episode.28
細くて小さな黒い生き物に胸をバシバシとどんなに叩かれたところで痛くも痒くもない。
そんな可愛らしい生き物にされるがままのレイはそれを止めさせるでもなく穏やかな顔で見下ろしていた。
「もうっ!!!!!もうもうもう!!!こんなに恥ずかしい事はないです!!」
「………そうか?」
「そうかってそうでしょう!?どうしてそんな平然と…」
とにかくレイはハルを怒らせたらしい。
事の発端は夕立ちだ。
ハルは森の家の外で薬草採りに勤しんでいた所にザッと降られた。急いで家の中に入ったものの、髪や服は濡れてしまった。
「ああもう!」なんて言って頭を振るって濡れた髪から雫を飛ばしながら、濡れた服を着替えようと脱いだ。
時を同じくして、仕事を終えたレイはハルの迎えの為森に入っていた時に雨に降られた。
レイはその身を庇うものを持ち合わせておらず、もうすぐそこに見えている魔女の家に走った。
もう濡れたのだがそれでも濡れまいと魔女の家の扉を、走った勢いを止めずに開けたのだ。勿論、ノックなどしなかった。
魔女の悲鳴が、森中に響き渡った。
「ひどい」
「下着だろう」
「なっ!?なんでそんな反応なんです!?まさか見慣れて……!」
絶対聞こえているはずなのに無視された。
何と言うことか。この色男、女性の下着姿など飽きるほど見たとでも言うのか!
「も〜〜〜っ!!どうして入ってきたんですか!!」
「お前に用があって来たんだから入るに決まっているだろう」
「だからって酷いです!!」
「わざとじゃない」
当たり前だ。わざとでたまるか。
「それよりお前、鍵もかけずに着替えている方が悪いだろう」
「ちょうどよく誰かが来るなんて思わないじゃないですか」
「俺じゃなく客だったらどうしてたんだ」
「ノックもせずに入ってくる客なんていません!!」
「俺なら入る」
「そんなの知りませんよ変態!!」
ああもう!もうもう!とプンプン怒りながらも、ハルはレイの濡れたジャケットを乾かすのに魔法で緩く風を起こしていた。
バサバサと軽く払ってレイに手渡す頃には、雨など嘘のように上がり空は夕焼けに染まっていた。
ため息混じりに「帰りますよもう」と言うハルはまだ髪が少し濡れている。
「もう怒りはおさまったのか?」
「おさまったというか…まあ良いです。副団長はそういう女性の姿を星の数ほど見て来たようですし、それに比べたら私はサルがオムツをつけたようなもの。考えると悲しくなるので考えるのをやめました」
ハルはレイのせいで………いやいや、レイのおかげで以前に比べたら少し太った。
だが肝心な所は貧相に痩せこけたままで、刺激物になりそうも無い。
刺激するつもりも無いのだが。
「星の数……。お前俺を何だと思って…」
「自分にそういった魅力が無い事はよく分かっています。さ、帰りまーーうわわわわわわ!!」
雨も上がったし、陽が落ちてしまう前に帰ろうとドアノブに手をかけたハルだったが、その細い体は易々とレイによって抱き抱えられていた。
「な、な、な、なに!?何ですか!?」
「お前がどれだけ魅力的か、教えてやろうかと思って」
「はあっ!?」
「そう言う話じゃなかったのか?」
「違います!」
レイはハルを丁寧におろすと、ジトっとハルの目を見つめた。耐えられなくて先に目を逸らしたのはハルの方だった。
そんなハルの目にかかるほどの前髪を、レイは脆い陶器でも扱うかのような優しい手つきでハラリと避けた。
「前々から思っていた。お前は可愛らしい顔つきだよな」
「!?」
ボッと急速に体温が上がって、特に顔が熱くなっているのが自分でも分かる。
頬にレイの手が添えられれば、そこに全神経が集中してレイの熱を余す事なく感じとる。
「ああそうか、お前はもう俺のものだったか」
言いながら伏せられた瞼の隙間から覗く瞳が、ハルの顔の下の方に付いている薄紅色の何かを捉えて、そしてそれを捕まえてしまおうと近づいてきてーー
「や、いやーーーーーーー!!!」
ハルは咄嗟に、レイの口元に自分の掌を当てつけ、ぐいと押しやった。
レイの眉間に皺が刻まれたのは言うまでも無い。
仕返しと言わんばかりにレイがハルの掌をペロリと舐めれば、「ぎゃー!」とまたまた騒がしい魔女の悲鳴が部屋いっぱいに広がった。
「なっ!なんて事を…!何をしたんですか!?何をしようとしたんですか!?
「…」
「あああっ!聞きたくありません!!」
レイに一言も発せさせず、ハルは一人でじたばたともがいていた。
聞いておきながら答えさせないのはレイが何をしようとしたのか見当がついているからだろう。
そんな様子もレイが見れば可愛らしいと言えるが、おあずけは中々堪えた。
「一度済ませているだろうに」
「ああ、あれと一緒にしないでください!まるで私が、副団長の寝込みを襲ったみたいじゃないですか!」
「そうは言ってない。が、そうだな。あの日の事をからかいの材料にしたのは悪かったな。俺はお前に命を救われたんだから」
「そんな大袈裟な話では………い、今、揶揄っていると言いましたね?揶揄っていたんですね!?」
「キスは本当にしようとした」
「キ………っ!?聞きたくないと言ったのに!!!」
きいっと目に涙を溜めるその姿は、恋人の前で恥じらう年頃の少女そのものだ。
かつて、彼女は森の奥深くに住む人間嫌いの奇妙な魔女とまで噂されていたのだが、これを見て誰がそう思うだろうか。
勇敢で可憐で、少しばかり特異で、自分の犠牲を厭わない心の綺麗な魔女だ。
そんな魔女はレイの恋人である。
彼女との時間はまだ始まったばかりだ。急く必要はないのだからゆっくりとその距離を縮めていければいい。
「ま、俺もどこまで我慢が効くか分からんがな」
「………何の話ですか?」
怪しげにこちらを見るハルの頬はまだ僅かに紅く染まっている。
そんな魔女にレイは手を差し伸べる。
「帰るか」
魔女は手を取り「はい」と答えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
続編を検討中ですが一旦ここで第一部完結という形にさせていただきます!
拙い文章にもお付き合いいただいて、感謝感謝です!
ありがとうございました!




