episode.23
「ハル」
「?」
ハルの森の小さな家の何十個分かと思うほど大きなお屋敷の綺麗な絨毯が敷かれた廊下で早朝、ハルは呼び止められた。
まだほんのり眠気を残した体を操って、ゆっくりと声のした方へ振り向く。
誰に呼び止められたのかは見ずとも分かった。
「いっ!?」
レイに呼び止められたハルがぼんやりしながら振り向くと、何故か体がガチッと拘束されて、ハルの視線にはレイの胸元がドアップで映った。
叫び声をあげる間も無く、僅かに漏れた小さな悲鳴はその鍛えられた胸筋に吸い込まれ、背中にはそれはまた鍛えられた力強い腕が回されて、ハルはびくとも出来なかった。
「おはよう」
「お、おお、おは、おは、おはよう、ございます」
朝の挨拶にしては情熱的過ぎる気がする。
やっと解放されたハルはその頭が追いつく前にローブを奪われていた。
「!?」
「屋敷でこれは着ない約束じゃなかったか?」
「ね、寝起きですよ!?まだネグリジェだったらどうするつもりでーー」
「だから確かめただろう」
まさか………まさかまさか!
あの、時と場も弁えないような熱烈なハグは、ローブの中を盗み見る、もしくは感覚で中に何を着ているか確かめるためだったと言うのか!?
なんて事を………。
「まさか副団長がこんな手練れだったとは…」
いや、不思議はない。何てったって色男だからな。
これからはもっと気をつけねばならない。何をかと問われると分からないので聞かないで欲しい。
ぶつぶつと独り言を呟くハルだが、レイはその内容を気にしていないのかそれとも上手く聞こえていないのか、食堂までただ黙ってハルの隣を歩いていた。
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初夏の森は緑が生い茂り、風が吹けばカサカサと心地よい音を立てる。
ハルにとっては心地の良い温度なのだが、そうでは無い人もいるようだ。
「暑くないんですかー、ハル殿ぉー」
「そんなには。ちょうどいいくらい」
大樹の根元にある森の魔女の小さな家は、その大きな幹と生い茂る木の葉で日陰になっている事が多く、むしろずっと篭っていては寒いと感じる時があるくらいだ。
特にハルは痩せていて筋肉も無い。
対して、昼過ぎにやって来たオリンドは暑がりなようで、このくらいの暑さでも蕩けそうになっている。
騎士団に補充用にと頼まれていた薬を取りに来たオリンドだったのだが、あまりに暑そうにしているのを不憫に思ってお茶を出した。
「っぷはー!生き返りますー!」
魔法で氷も作って入れたのが相当に良かったのか、オリンドは一気に飲み干していた。
「暑いのはほんと勘弁して欲しいですよね〜、俺凄い汗っかきだし」
「代謝が良いのは良い事だと思うけど」
ハルも汗はかくけれど、顔なんかは特に滴るほど汗をかいた事は1度もない。
冷え性だし代謝は絶対に良くない。
「それはそうかもしれませんけど、ベタベタになって嫌じゃないですか」
「そう…かな?」
「そうですよ!灼熱の太陽の元でガチガチの騎士服を着る事になった日にはもう!地獄ですよ地獄!!」
「かっこいいと思うけどね、騎士服…」
「正装ってのはどうしてあんなにも暑苦しいのか…。ハル殿と副団長の結婚式はぜひ涼しい時でお願いしたいです」
げふっ、と何も飲んでいないのにむせた。
「あれっ?もしかして夏のご予定でしたか?それならそれで全然!おめでたいですからね、俺の事は気にしないでください!」
「い、いや…そうじゃなくて…」
うん?とオリンドは首を傾げた。
「そういう話には、なってない…と言うか………」
「ええっ!?だって、一緒に住んでるんですよね!?」
「それは…まあ………」
「婚約してるんですよね!?」
「う、うーん…?」
「副団長の事だから、間近なのかと………」
ハルは今、自分でもどんな顔になっているか、まともな顔である自信が無かったので、作業をするふりをしてオリンドから顔を背けた。
「ハル殿が森を出たのは、副団長と結婚するつもりがあるからですよね?」
「う、んん…そう、かな?」
曖昧に返事をしたのは、実のところ真剣にそう言う事を考え始めたのは昨日からだからだ。
それまでは流れに流されるまま、思考を意図的にやめていた部分あったと思う。
割と強引なところがあるレイの事だから、早いうちに挙式をと言われるかもしれないとほんの僅かに思ったりもしているけれど、今のところその素振りはない。
「おかしい」
「おかしい………かな…?」
「おか………。いえ、おかしくない?かもしれない?です」
おかしいらしい。そんなにだろうか。
「あ、ああ!もうこんなに時間が!!すみませんハル殿!俺もう行かないと!!」
「あ、うん…がんばって、ね…」
そんなつもりは無いのだろうが、慌てて出て行くオリンドはまるでこの魔女の家から逃げ帰るようだった。
開いた扉から初夏の爽やかな風が吹き抜けていた。




