episode.14
赤い胴体に翡翠色の瞳を持つドラゴンがその全容を現した。
そのドラゴンは街に危害を加える事なく、ただ真っ直ぐにある少女を捉え言った。
『お探ししておりました、主人様。時間がありません。どうかお力を』
ハルの体は何かに導かれるように頭で考えるよりも先に筆を動かしていた。
縦横無尽に空を切る筆先からはキラキラと光が溢れる。それは時折、暇を持て余したハルが兵士やニコラに見せていたものだ。
その光の欠片を浴びた赤いドラゴンは伏せていた目をゆっくり開けた。
『必ずお助けにあがります』
「え?」
ドラゴンが空高く飛び立った時、ハルはニコラによって体を拘束されていた。
「ニコラさ………」
「今、何をしたのか答えてくれる?」
「なにを………」
自分は今、何をしただろう…。きっとドラゴンに力を貸したのだ。
なぜかは自分でもわからなかった。
ハルが戸惑っていると、上空からドラゴンの鳴き声が響いて、多くの民が空を見上げた。
途端に街は緊張感に飲み込まれた。
ドラゴンは2体に増え、その2体は対峙していた。
随分長い時間その光景を見上げていたのだが、その後に1体は姿を消し、もう1体は先程と同様に地上に降りて来ると、姿を人間の少年に変えた。
目撃した全ての人が息を飲んだ事だろう。
剣、弓が一気にその少年に向いていたが、怯む様子は無かった。
『そのお方を解放して頂きたい』
「………君は?」
少年もだが、ニコラも肝が据わっている。
『貴方がたの敵ではありません』
「信じろと?」
『拘束するのであれば私を。そのお方は解放してください』
緊張状態が続く街の一角に、異質な雰囲気を醸し出す老人が杖でトンと地面を叩いた。
「双方拘束の必要は無い」
「長老様!」
現れたのは白く長い髭を携えた長老様だった。
長老様は多くの民の前で語った。
「ドラゴンには純龍と龍人の2種が存在しておる。お主は龍人じゃな。人の血が混じっておる。
灰息を吐くのは純龍のほうじゃ。それに対峙できる存在がお主ら龍人で、過去にその龍人と手を取る事ができる人間がいたと言われておる。
森の魔女…ハルと言ったか。お主の魔法は少々特殊のようじゃな。見たところ、ドラゴンと手を取る事ができる人間なのじゃろう。
そうじゃな?そこの赤いの。」
問われた赤髪の少年は答えた。
『その通りです。このお方は我々に力をくださる特別なお方です。現在、純龍の勢力が強まりつつあり、人界にも被害が出ている事でしょう。我々としてもそれは本意では無く、力を解放された主人様にお力添えをお願いした次第です』
「力を、解放?」
『はい、されたではありませんか。伴侶様との誓いのキスです』
民衆がざわめく。
「しっ…してませんよ!?」
伴侶どころかそういった特別な人もいないハルが誓いのキスなどするはずも無い。
どこでそんな誤解が………
「まさか」
ハルの視線の先には険しい顔のレイが腕を組んで立っていた。
誓いのキスとは程遠いが、ハルが唇を合わせた事がある相手は、亡くなった母とレイ以外にいない。
『あのお方は主人様の伴侶となられるお方では無いのですか?』
少年の少年らしい純粋な問いは、民衆を大いに沸かせた。
ハルがいくら違うと否定しても、その声はもう民衆には届かない。
なんといったってレイはこの辺りで指折りの色男な上に、騎士団の副団長を務める有望株。
数多の女性がその隣を狙っているにも関わらず、まったくそれらを寄せ付けなかったレイが一人の少女を既に選んでいたとあれば沸いて当然だろう。
「あ、あの…ちょっ、ほ、ほんとに違うのに…!!」
涙目になって訴えても状況は変わらず、レイの所にも人が群がり姿が見えなくなっていた。
騒ぎの片隅で、赤髪の少年が長老様に囁く。
『……まずい事を言ってしまったでしょうか?』
長老は答えた。
「構わん。レイが森の魔女を気に入っていたのは事実。遅かれ早かれ結ばれる運命じゃろ。力が解放されたのであれば尚の事のぉ」
ハルにはその会話は届かなかった。
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ハルは一躍時の人となった。
赤髪の龍人はリディオと名乗った。リディオと長老様の証言と権限によりハルへかけられた容疑は解かれ、監視が不要になったハルは数ヶ月ぶりに森の大樹の根元の小さな家に帰った。
リディオは時折ハルの元を訪れては、従人のようにハルに付き従った。
森の魔女はドラゴンをも従える魔術師であるとたちまち噂が広まり、こんな森の中だというのにハルを訪ねてくる客人は一気に増えた。
それは昼夜を問わず、中には「二股がバレずにやり過ごす薬は無いか」と下衆な無理難題を持ち込む客もいた。
ハルは己の魔法で他者を貶める事はしない。
出来ないものは出来ないと断ってはいるのだが、寝る時間は以前の半分ほどに減った。
夜はリディオがドラゴンの姿で家の前で不審者が来ないか見張っている事が多いが、街の人々はこのドラゴンが害を成さない赤髪の少年だと知っているせいか、ほとんど怖がらず夜でもやってくる。
そして夜にやってくる客ほど下衆かった。
何よりも困った事は、森に多くの人が出入りする事で、ここに住む獣たちの害になっているという事だった。
草が踏み潰され、動物の心休まる時間は無く、多くのゴミが森を汚していた。
頭を抱えるハルの事はお構い無しに今日も客人がやってくる。
「はい」
「また倒れるまで無茶をしているな、お前」
力無く開けた扉の先にいたのはレイだった。




