episode.10
ハルは開いた口が塞がらず、涎が垂れないようにだけは気をつけている。
「凄い………」
初めて見た剣術大会、ただその言葉に尽きる。
「みんな気合入ってますね。ハル殿がいるからでしょうか」
「魔術師に見られていると気合が入るの?」
「魔術師ではなく、ハル殿に、ですね」
「…?」
よく分からなかった。
カルロはこの大会には出ないのだと言う。先程オリンドが試合をして、負けて帰ってきた。
「ぐっ…いい所見せたかったのに」
「すごいねオリンド。あんなに重そうな物振り回して。……木刀、だっけ」
「訓練とかでも使うんですけどね、本物は怪我しちゃだめなので」
そりゃあそうか。という事は副団長のあの重そうな剣は今日はお目にかかれないと言う事か。
残念だが仕方がない。そとそも剣なんて使わないに越したことはないのかもしれない。
だが木刀も重い物だ。
それに、兵士たちの普段ハルの元まで物を取りに来る時の表情とはまるで違う真剣な表情だけでもこの催しの見物とも言える。
むしろそっちが目当ての人も多くいるだろう。
特に…
「キャーーーーー!!」
「レイ様ーーー!!!」
あの色男が出るのであれば尚更。
熱狂的な観客をハルは騎士たちに向けるそれとは違う意味で凄いなと感心していた。
「…凄い人気者なんだね」
「副団長は女性は全く相手にしませんけどね」
「そうなの?」
「はい、ハル殿くらいですよ」
…。
それは女と見られていないということでは?とハルは口元をへの字にした。
「よく見てた方が良いですよ、ハル殿。今の副団長は虫の居所がすこぶる悪いので、多分瞬殺です」
「…瞬殺?」
試合はスタートの合図は無く、どちらか一方が動いた瞬間から始まる。
トーナメント戦を勝ち抜いた騎士が副団長との交戦資格を得る。所謂ラスボス的な感じかとハルは思った。
カレン騎士団には他にも活動拠点がいくつかあって、団長さんはそのどこかにいるらしく、聞いたけど興味が無くて忘れてしまった。とにかくそういう訳でここで1番強いのがレイと言う事だ。
瞬殺で勝負がつくとはどういう事かとハルには想像が付かず、キャアキャアと響く歓声の方に意識を持っていかれそうになる。
そんな中で相手がジャシっとレイに向かって動く。
始まったのだとハルが瞼を普段よりも少し大きく開けると、カァーンッと双方の木刀がぶつかる音がして、次の瞬間には勝負がついていた。
「え………」
相手の木刀は後方に弾き飛ばされ、レイの木刀の先端が相手の首元にあと僅かで触れるというところで止まっていた。
歓声がピタリと止んだのはほんの一瞬で、観衆はレイの圧倒的な勝利に大いに湧いた。
カルロとオリンドも興奮していて、取り残されているのはハルただ1人だけだ。
まさに瞬殺………。
ハルは未だついて行けずに唖然とレイを眺めていたのだが、不意にレイと視線がぶつかった。
試合の後で昂っているかと思ったのだが、その表情は普段よりも穏やかで、これで良いだろうかとハルに問うているようだった。
結局ハルはレイが一礼して観衆の前から姿を消すまで、拍手を送る事もままならずただぼーっとしていた。
あの一瞬の光景が目に焼きついて、鮮明に思い返す事ができる。
「ちょっといいか?」
そんなハルを現実世界に連れ戻したのはレイだった。そのままハルに声をかけにきたのだ。
カルロとオリンドは関係無いのに「どうぞどうぞ」と返事をして、ハルはレイについて行くしか無くなってしまった。
ついて行くと言っても、テントの端に移動しただけだった。
カルロとオリンドも見える位置にいる。
先に口を開いたのはレイだった。
「祭りに来ているとは思わなかった。カルロが手を借りていたようで申し訳ない」
「えっ?あ、いえ…大丈夫です。元々これを見に来たので」
「…剣術大会の事を知っていたのか?」
「ああ、はい…。知人から聞きまして」
兵士の誰かから聞いたのであればそう言うだろう。知人というのが誰なのか気になったが、それがハルが相手にする個人的な客であれば、絶対に口を割ることは無いだろうとレイは追求をやめた。
「報酬は、足りたか?」
レイの今日の勝利はハルに捧げるためのものだ。
「はい、凄かったです。本当はあの剣を使っている所を見られるかと思って来たんですけど…そんなの関係ないぐらいかっこよくて」
「俺が?」
「?ええ、はい」
「……………そうか」
レイに視線を外されて、何か悪い事を言ってしまっただろうかとハルは頭を働かせた。
答えはすぐに出た。
この色男、今日は女性にキャーキャー言われすぎててうんざりして部下に厳しく当たってしまうほど虫の居所が悪いんだった。
ハルにとってかっこいいとはレイのその容姿と言うよりはあの剣術を総称して言ったのだが、そう弁解したところで特に意味は無いだろう。
謝っておこうかとハルが口を開くよりも先にレイが言葉を発する方がはやかった。
「もう少し待てるか?送って行く」
「え、えっ?いや、大丈夫でーー」
「暗がりの森を一人で帰すわけにはいかないだろ。待っていろ、仕事を片付けてくる」
有無を言わせない副団長の姿だった。人を従わせる魔法か暗示をかけているのかと思う程隙がない。
一人で帰ったら後が怖いので、ハルはカルロ達の元で待たせてもらう事にした。
と言ってもカルロもオリンドも仕事があって見える範囲とは言え動き回っているので、ハルは邪魔にならないように端の方で椅子に腰掛け、たまに声を掛けてくる兵士たちにどうもと頭を下げる首振り人形になっている。
そんな所に、迷子を連れて行ったっきり戻って来なくなった妹を心配したのか一足先に店仕舞いをしたらしいセルソがやって来た。
「忘れ物だよ」
「あ、ありがと。食べちゃって良かったけど」
渡されたのはハルが屋台で買った物だった。そういえばろくに食べなかったけどいつの間にか空腹は忘れていた。
「まだいるのかい?」
「うん。人を待ってる」
「へえ…。友達?」
「違う」
「ふーん。それはそうと、もうすっかり暗いけど帰りは1人で大丈夫かい?」
セルソとハルが話し込んでいると、カツンと足音が響く。
「俺が送り届ける」
「あ…副団長」
用事は済んだのだろうかとハルはレイを見上げたのだが、レイはセルソを向いていて視線は合わなかった。
「これはこれは!副団長殿が送ってくださるなら心強い」
「ああ」
「じゃあ俺は行くからね、ハル。」
「あい」
何やら上機嫌で手を振るセルソにハルは真顔で手を振り見送った。




