大地震
卒業生を送り出し、まだ肌寒いある日、その悲劇は起こった。見るも無残なカタチでわれわれの前に現実を突きつけた。新学期には三年生になり、間もなく進路を決める時期がくる。愛莉の家は祖父の時代から教師をしていて、父、母、そして、二つ上の姉もそれを目指して現在、地元の教育大学に通っている。そんな環境で育った自分も当然、進学しかも教師になるのかと、なんとなく考えていたときにその悲劇は史上もっとも悲惨な災害として、日本中を悲しみと恐怖で包みこんだ。
学年末テスト最終日、一年間の総決算を数時間前に終え、親友の紀子といつも学校帰りに寄るファストフード店で、そのときを迎えた。
向かい合わせに座った店内で、今まで必死になって話していた紀子が眉をひそめていった。
「ねぇ食べ過ぎたのかな?なんか気持ち悪い」
そう言えば前にいる紀子が右に左に動いているようだ。
「まさか」
ほぼ同時にふたりが言った。
「地震!」
目をまん丸にしてお互いを見ている。それから、ふたりともしゃべってはいるが何を言っているのか、さっぱりわからない。
それに気づき愛莉がひとこと言った。
「だよね!」
その言葉が出るまでどれぐらいの時間が経過したのか分からない。
かなり長かっただろう。思わず周りを見渡すと、大きな愛莉の声に、店内の客はみな首を上下に動かして納得していた。
「だって愛莉が左右に揺れているもん!ビックリした!わたしお酒も飲んだことないのに、酔ってるのかなぁって・・・」
気を取り直した紀子が早口でしゃべりだした。
「一緒。このまま貧血で倒れるんだと思った。でも長かったね」
愛莉は頷きながら言った。
「震源地どこかな?二~三分は揺れたよね?」
ケータイを開きながら紀子が言った。それから、地震の規模や被害がわかるまでもう少し時間がかかった。日が暮れて家に戻ると、母の里美が明かりも点けずテレビを見ていた。
「スゴイよ!愛莉」
里美はたんたんと今日の出来事を話した。震源地は家から五百キロも離れているのに、かなり揺れたこと、棚から皿や本が落ちていたことなど。
それがどれほど大きな地震であったのかはテレビを見てはじめて知った。それよりも凄かったのは津波である。学校で習った「津波」がどこの国に行っても「TSUNAMI」であるということを思い出した。
いや、それほど日本語の「津波」が輸出されるぐらい、全世界では認知されているのを忘れていた。
「大丈夫だとは思うけど、お父さん今日、学会で東都なんだけど、ケータイが繋がらないんだ」
どうして暗い中、テレビを見つめていたのか今の母の言葉でわかった。
「大丈夫だよ。だって東都でしょ?」
母を勇気付ける為にも、いつになく明るく愛莉は言った。
「愛莉はどこにいた?お母さんね、ちょうど子供たちが帰って後片付けしている時だったの。てっきり近くだと思って、慌てて防災情報を見たら、五百キロも離れているでしょ。よっぽど大きかったんだね?怖いわ」
愛莉の顔を見て安心したのか、いつも通りに里美は話した。
実は愛莉も少し不安であった。自分たちもファストフード店で揺れを感じ、家に帰り初めて映像を見て、父親と連絡が取れないと聞けば誰だって不安になる。大人の、しかも母親の里美ですら怖いのである。
ましてまだ高校生の娘である愛莉ならなおさら恐ろしいであろう。
「こんな時は慌てず騒がずって言うでしょ?すぐ、お父さんは帰ってくるよ」
怖さなど少しもないといった表情で愛莉は言った。
「そんなこと愛莉に言ったかな?学校でも教えたことあったかな?」
防災先進都市で教鞭をふるっている教師とは思えない里美の言葉であった。
「うん!お父さんやお母さんから聞いたことないよ。おじいちゃんだよ。日本は地震大国だから、いつ来てもおかしくない。だからいざ来た時は、まずそう言って自分も周りも含めて落ちつけって」
わずかに上を見上げて愛莉は言った。
「フ~ン!お父さんらしいね。私にはそんなこと言ってくれたことないけど・・・」
ちょっと拗ねた感じで里美が言った。父親のことは心配だが、ふたりともあえてそれに触れず平静を装っているのをお互い感じていた。
そんな中、姉の望が帰ってきた。今度は三人で今日の出来事を順々に話し合った。夜になると、テレビでは次々と惨状を映し、多くの人々が眠れぬ夜を過ごしているのは想像に難くない。いつの間にか三人とも寝入っていて、朝の光が差し込む頃、チャイムの音で目覚めた。
「お父さん!」
泣きながら愛莉が父のカバンを持ってリビングに入ってきた。ドロドロの疲れきった父の姿を見て三人は、どれほど苦労して心配する家族が待つ家へと辿りついたかを悟った。安心した三人はいつもの笑顔に戻って、父をまるで傷ついた子供か、それとも帰還した兵士かのごとく労った。
今話していたのに、次の瞬間父はいびきをかいて眠りについた。