第8話 東日本は曇天なり波やや高し
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- 1539年(天文8年)5月下旬 -
- 越中(富山) 松倉城 -
元就さまが今年の春に新たな本拠地として定めた近江(滋賀)観音寺城に朝廷から使者が来て、正式に元就さまの正三位右近衛大将と鎮西大将軍へ補任されたと告げられた。
元就さまは「慎んでお受けします」と受諾したけど、同時に打診された幕府の開府は、いまだ東日本の趨勢が定まっていないので時期尚早だとして固辞した。
まあ、いま毛利氏が幕府を開くと、毛利幕府の敵は朝延の敵と認定され、武田氏も伊逹氏も戦うことなく毛利氏に降伏する可能性があった。でもそれだと、将来に禍根を残すことになりかねない。
なにしろ、武士の始まりと言われる関東圏のいわゆる坂東武者と呼ばれる人達は、上から下まで力こそパワーもとい正義な人達が多いんだよ。
数字で彼我の戦力差を説いても、実際に戦ってみないと解らないとか脳筋な主張する人が多いんだよね。
一応、毛利氏では従属したり臣従したり降伏した勢力の当主や幹部の人たちは、きっちりと教育することで色々と理解させるんだけど、如何せん数が多い。肉体言語で語り合ったほうが手っ取り早いというなら、渾身の力でぶん殴って反抗心をへし折ったほうが良いということになったんだ。
武田信虎さんが、居城である江戸城から兵2万を率いて出陣したという情報は、あっという間に陸奥(福島、宮城、岩手、青森、秋田北東部)伊達領に広がった。
この報を聞き、伊達家当主である伊達稙宗は「武田は信濃(長野及び岐阜中津川の一部)の統一に動いた。いまのうちに越後(新潟本州部分)に兵を送り、上杉を取り込むべし」と主張した。
これに対し、嫡男の伊達晴宗と有力家臣の桑折景長と中野宗時は、「武田は下野(栃木)から陸奥に攻めてくる。可及的速やかに国境に兵を配置して防御を固めるべし」と主張して意見が真っ二つに別れてしまった。
このとき、同盟関係にあった常陸(茨城の大部分)の佐竹義篤が、武田軍が常陸に攻め込む可能性を示唆し、いざというときの支援を要請したらしいけど無視されたそうだ。
「佐竹は大胆だな」
世鬼煙蔵くんの報告を聞きながら笑う。実は既に佐竹氏と武田氏の間では同盟が結ばれており、今回の武田氏の陸奥遠征で常陸は、武田氏の船を使った補給地となることが決まっている。
仮に伊達氏が武田氏を撃退しても「常陸に武田氏が攻めてくることは事前に指摘しているし、その結果として常陸は占領され補給物質の中継地になったのだ。その事で文句を言われる筋合いは無い」という言い訳を仕込んだのだろう。
まあ、伊達稙宗がこの言い訳で佐竹義篤の行為を不問にするかどうかは疑問だし、常陸に耳目を集めた佐竹義篤の行動に武田信虎さんがあまり良い印象を持つとは・・・いや、貸しが出来たと思うかな?
ただ、佐竹義篤も佐竹という家の命運を天秤にかけるのだからなりふり構わないのは仕方ないところではあるけど・・・
「小山田殿に、『武田と伊達を天秤に掛けている勢力があるけど大丈夫?ねぇ大丈夫?』って手紙を出しておきましょうか」
嫌がらせというか煽りぐらいにはなるだろう。
「手紙ですか?」
世鬼煙蔵くんが怪訝そうな顔で聞いてくる。
「毛利の情報収集能力の一端を見せるだけですから内容はそれだけで十分なのです。あ、手紙を渡すとき小山田殿に直接会う必要はありませんよ」
煽りとか言えないので、取りあえずそれらしい事を言う。
「御意」
世鬼煙蔵くんは、俺が手紙に『武田と伊達を天秤に掛けている大名がいるけど大丈夫?ねぇ大丈夫?』としか書かない事を悟って小さく頭を下げる。
「施薬院頭さま。長尾の使者が参りました・・・」
退室する世鬼煙蔵くんと入れ替わるように小姓の一人が入ってきて、訪問者が来たことを告げた。




