第8話 出発の前と佐渡の動向
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- 1538年(天文7年)11月上旬 -
- 加賀(石川南部) 宮腰湊沖 角盤級 球磨 -
「海よーふふん海よーとても大きな海よ♪」
歌詞は物凄く簡単だった記憶があるのだが、何故か思い出せない。嘘です察して下さい。
さて現在、角盤級球磨の甲板では、新人達が冬の荒れる日本海で航行する船に慣れるべく訓練という名の掃除の真っ最中である。デッキブラシで甲板を擦るだけだが、全員が真面目にやっている。これは俺が率先してデッキブラシで擦っているからだ。
第二次世界大戦の日本の山本五十六大将の名言である「やってみせ、言って聞かせて~」ではないが、上が率先して実践しているのだから下は聞こえよがしに文句は言えない。
尚この球磨には、建造時に試験的に船底と舷側の間に出っ張り・・・所謂ビルジキールがあり、既存船に比べて横揺れはかなり軽減されている。多分、今回の試験結果を基に、更なる調整がなされて新造船に反映されるだろうと大内義隆くんは言っていた。
ただ、既存艦船にビルジキールを取り付けるのは、ここ2年以内に就航した4隻の角盤級や御座艦である1隻の改角盤級。あと2隻の弁財天級貨物艦だけとなる。
これは、艦船が次の段階・・・つまり鋼鉄製の艦船へと進化すべく、鉄から鋼鉄へと加工するのに必要な反射炉の開発と燃料になる石炭の採掘。そして石炭の加工物である骸炭の生産。あと動力となる蒸気機関の開発が始まったからだ。
なお蒸気機関だけど、開発が大きく遅れても当面の動力はゴーレムにする予定なので、艦船自体は半年以内には実験艦を試験配備する予定だ。
というか、もっと早く石炭とか蒸気機関とか思い出せよ俺。多分、見えざる手の力が発動しているんだろうけど・・・。
考えても見て欲しい。鋼鉄は石見(島根西部)のたたら製鉄で基礎技術があるし、かなり早い段階で周防(山口南東部)や肥前(佐賀から長崎)に導入した陶磁器の製造方法で焼成技術のデータはある。
そして九州には三池や筑豊といった大規模な炭田が存在している。気付かないなんて無理があり・・・いや、済んだことです。はい。
何故こんな事を言い出したかというと、今回の作戦に間に合いましたよ。鋼鉄製の新型砲!口径はこの時代でもありふれた105ミリ。尤も、砲身が丈夫になってライフリングが施され、詰める火薬も増加したことで破壊力が増している。また反動を抑えるための駐退復座機も導入した。
駐退復座機というのは、簡単に言えば先端部に発射口の穴の小さな水鉄砲(中身は空気なんだけど)かな?砲身が射撃時に発生させた衝撃を、駐退機の中の空気がバネのように受け止め、そのとき圧縮された空気が砲身を元の位置へと押し返すというもの。
今までは、射撃時の衝撃は雑にゴーレムが受け止めて緩和していたんだけど、これからはこういった機械でやることになったのだ。
なにしろ近江(滋賀)、越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)、加賀(石川南部)、伊勢(三重北中部から愛知、岐阜の一部)といった最前線に加え、紀伊(和歌山、三重南部)、伊賀(三重西部)、志摩(三重東端)といった最前線への中継となる国の道路と耕作地の整備のために重機たるゴーレムの需要が激増したんだよね。
で、ゴーレムにやらせる作業の優先度は道路整備だから、代用できるなら代用しようとなったんだ。多分これも見え・・・いや、済んだことです。はい。
- 1538年(天文7年)11月上旬 -
10日間程の船上訓練を行った後、随伴してくれる弁財天級貨物艦太陽華と共に宮腰湊を出航することにする。尚、太陽華には石見(島根西部)から持ってきた大量の物資と陣地構築の専門家である300名の工兵が乗船しており、佐渡(新潟佐渡島)で確保した廃村で拠点作りに従事してもらう予定だ。
「首領」
百地正蔵さんが、ゴツイ籠手に一羽のノズリを乗せてやって来る。
「これは百地殿。もしかして佐渡からの連絡ですか?」
「はっ。こちらを」
そういって百地正蔵さんは折り目のついた紙を差し出す。紙には『明けの空。赤朱鷺色に染まる』という文字が。
「本間宗家が、毛利に従属することを前提に話し合いがしたいか・・・」
「目的が一つ変わりましたね」
隣にいた大内義隆くんが笑う。
「百地殿。すぐに用意するから北畠殿に文を届けて貰いたい」
「御意」
百地正蔵さんはそう言って頭を下げた。




