第8話 伊豆の噂
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いま世界を騒がすあるモノに似たモノが出てきますが偶然です。ええ、たまたまです。
1536年(天文5年)10月1日
- 摂津(兵庫南東部から大阪北中部) 大坂城 -
「公方さまは征夷大将軍の地位を返上するので儂にも管領の地位を返上せよと言うて来た」
足利義晴さんからの書簡に目を通していた元就さまはぐるりと周りに視線を送る。視線の先にはいま毛利領の政治を束ねる立法の長である桂広澄さん、行政の長である井原元師さん、司法の長である相合元綱さん、外交の長である口羽広良さん、軍部の長である渡辺勝さんがいる。諜報の長は俺だ。
「御屋形様の管領就任は細川六郎を蹴り落とすだけの単なる飾り。返上して幕府が無くなったとしても問題ないかと」
「管領の上の地位といったら征夷大将軍しかありません」
「征夷大将軍は源氏の頭領しかなれませんからな」
「御屋形様に日ノ本を統一して欲しいなら、征夷大将軍で間違いないのじゃがな」
桂広澄さんの言葉にその場にいた全員が乾いた笑い声を上げる。いずれ近江より東に侵出するにしても今はその時期ではない。近江(滋賀)の開発と越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)敦賀の要塞化を優先させることで意見が一致している。ただ征夷大将軍は源氏長者以外はなれない訳ではない。史実の織田信長だって源氏長者じゃないけど、主上から征夷大将軍に推任されたぐらいだしね。
それに、源氏の血統の人から文句が出ても征東将軍とか鎮狄将軍とか、これから東に攻めて行きますみたいな役職が過去になかった訳ではないから、足利義晴さんが征夷大将軍の地位を返上したから元就さまを新しい大将軍に任命しようという話が朝廷や公家から出るかもしれないので注意を払う必要はあるだろう。
「では管領の地位は返上することとする。元近。公方さまと幕臣たちが毛利への臣従を申し出てくる場合は許可する。そうでない場合、他国に行かれないように手を打て。全て任せる」
「御意」
元就さまの命令に俺は深く頭を下げた。
1536年(天文5年)10月10日
- 京 山城(京都南部) 施薬不動院の麓 -
「六郎の命もあと僅か・・・」
行きつけにしている蕎麦屋の小部屋にある窓越しに見える人だかりを見て俺は声を漏らす。人だかりが出来ている先には、「公方さまに対する反逆の罪で細川六郎を10月10日未の刻に三条河原にて磔刑に処す」という内容の高札が立っている。
罪人の公開処刑は庶民娯楽というのは鉄板ネタだが、実は庶民に罪と罰の何たるかを説くためにやっているのだ・・・と思う。なにしろ、字の読めない人と字が読める人というコンビが定期的に表れては高札の意味を聞いて周りの人に読み聞かせるという小芝居を朝から何度も見ているからだ。しかも小芝居してる人たちは毎回服を着替えたり変装したりと結構芸が細かい。
「欧仙さま、お客様です」
「通してくれ」
店の主人から声がかかったので返事を返す。
「畝方殿。ただいま戻りました」
そう言って部屋に入って来たのは旅装姿の大胡秀綱さん。俺を見て頭を下げ、それから奥さんぽい女の人と6歳ぐらいの少年が頭を下げる。
「無事の帰還嬉しく思います。家族が住まわれる家は既に用意が出来ています。案内させますね」
「忝く。それと、少々お時間を」
いま一度大胡秀綱さんは頭を下げる。
「では家族の方は部下に送らせましょう。百地」
外に声をかけると、百地正蔵さんから「御意」と声が返って来て一人の女性が現れる。そして大胡秀綱さんの奥さんぽい女の人と6歳ぐらいの少年を連れて店を出ていく。
「さて話を聞こうか?」
「実は伊豆(静岡伊豆半島)韮山城近郊で奇妙な病の兆しがあると・・・」
大胡秀綱さんは僅かに声のトーンを下げる。伊豆か。確か御伽衆はまだ潜らせてなかったな。聞くと、春の初めからこの時期まで悪性の風邪が流行っているらしい。普通、風邪というと体力が落ちる晩秋から春先の間に流行るモノだ。その風邪はまず味覚と嗅覚に異常をきたし、やがて激しい咳と共に高熱を出して衰弱死に至るという。ただ発症するのは老人が多く、若者は罹って死ぬ者もいるにはいるが症状が軽く完治する者が圧倒的だという。
「その噂の出所は?」
「仕官先を求め韮山に流れついた同門がおりまして・・・」
どうやらその同門の人の子供が哮喘 (喘息)を患っているらしく、哮喘が謎の病気と同一視されて住民に迫害される前に逃げだした。そして江戸城城下の近くにある湊で大胡秀綱さん一家と偶然に再会し、そのときにこの奇妙な病の話を聞いたのだという。
「畝方殿は京では疱瘡を撃退し甲斐(山梨)では泥被りの被害軽減に尽力されたと伺いました。何か手立てはありますか?」
大胡秀綱さんは真剣な目で俺を見る。
「どちらも難しいですね。疱瘡も泥被りも原因は一つだが、哮喘には原因がいくつかあり、謎の奇病は原因すら判らない。それで何とかなるとは言えませんよ」
「そうですか・・・」
大胡秀綱さんはがっくりと肩を落とす。
「ただそうですね。大胡殿の情報は裏取りした上できちんと支払いましょう。こちらから出向くことは出来ませんが、同門の方がこちらに訪ねてくるのであれば最善は尽くします」
俺の言葉に大胡秀綱さんは若干顔色を良くする。なお、大胡秀綱さんがもたらした奇妙な病気の情報は、一か月後にその価値を爆上げすることになる。




