第5話 武田刑部元繁、動く
武田元繁
1467年(応仁元年)に安芸分郡守護である(厳密には守護代てきな立場)の武田元綱の子として安芸の佐東銀山城で生まれる。
1499年(明応8年)に家臣の温品国親が離反しこれを鎮圧するも弱体化。安芸武田氏は大内氏に従属する。
1505年(永正2年)に父・元綱が病死し、元繁が跡を継ぐ。
1508年(永正5年)に明応の政変で、足利義稙を奉じた大内義興に従い上京。
このとき、若狭武田氏から独立する。
1515年(永正12年)に大内義興の命で、厳島神主家で後継者を巡って発生していた内乱を鎮圧すべく帰国。
この際、義興は権大納言飛鳥井雅俊の娘を養女として元繁に嫁がせていたが、元繁は帰国早々に離縁。
出雲国の尼子経久の弟・久幸の娘を妻とし尼子氏の支援を背景に大内氏から離反。
安芸国内での勢力拡大を図るべく、佐西郡大野河内城を攻めとり、さらに己斐城を攻める。
しかし、これに対抗すべく出陣した毛利・吉川軍により山県郡の有田城を奪われてしまう。
1517年(永正14年)2月。
武田元繁が山縣郡今田城に進出してきたという報は、すぐさま元就さまのもとにも届けられた。
安芸武田氏は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする一族。配下に山縣氏や板垣氏がいたり元繁という名前からも推測できるように、甲斐武田氏とは同族の関係だったりする。
また、元繁自身も武勇に優れ、若い時には中国の英雄である項羽と称されるほどの剛の者だ。元繁自身は大内義興に従い上京。尼子氏の台頭で大内氏の命令を受け安芸(広島)に戻ってきたけど、尼子氏と組んで大内氏に反抗。たちまちのうちに安芸の中央を支配した国人でもある。
いま俺は元就さまに呼ばれ多治比猿掛城に登城していた。普段の俺は、多治比猿掛城の麓にある畝村と唐芋畑の間にある四郎と六郎太の家に居候している。彼らからすると、俺が家の主であり、彼らは住み込みらしいが・・・
「お呼び出しにより罷り越しました・・・一応お尋ねしますが、なんでしょうか?」
元就さまの執務部屋に通された俺は深々と頭を下げる。
「三四郎。此度の武田刑部の目的、読めるか?」
元就さまが尋ねる武田刑部とは今田城に入った武田元繁のことだ。
「武田刑部の目的は有田城の奪還しかありません。時期は農繁期が終わった秋でしょう」
まあ、この時期に武田元繁が北に進出してきたってことは、歴史という正解を知らなくても、普通に考えて2年前に毛利方に取られた有田城の奪還である。有田城を含む山縣郡はもともと安芸武田の配下である山縣氏の一族の領地だからね。
元就さま。俺が興元さまの延命に尽力してからは俺への警戒を解き、足踏式脱穀機を導入してからは、こうして二人だけで会って度々俺の意見を求めるようになった。
大内氏を後ろ盾に安芸の近隣の国人を纏める毛利氏から最近分家したとはいえ若干21歳の青年である。自身を支える人材と言える人間が全くといっていいほど居ない。
素性が判らない俺だが、有用な手駒として使っていく気になったようだ。ただ、いまだに家臣のみなさんには紹介されてはいない。
宗家に仕えているライバルである高橋久光さん辺りに目を付けられて、宗家に差し出せとか言われるのを危惧してると本人から直接聞いたので間違いない。
「どうする?」
問われて俺は懐から一枚の紙と白と黒の碁石を取り出す。地図は有田城を中心に元就さまの多治比猿掛城、武田元繁のいる今田城、吉川家の小倉山城が描かれている。ゴッドアイアースの書き写しなので、位置関係はかなり正確である。山とか川といった地形は大雑把に描かれた簡単なものだが。
ついでにいうと、小倉山城、有田城の下には吉川家の丸離れ三引の家紋が、多治比猿掛城には一文字三星の家紋が今田城には割菱の家紋が描いてある。
「戦になれば、武田刑部は有田城の後詰に来る我らを迎撃するために部隊を分けてくるでしょう」
俺は今田城と小倉山城の間、今田城と多治比猿掛城の間のそれぞれに黒の碁石を、続けて有田城前と黒の碁石の前に白い碁石を置く。
「我々はまず、それらの部隊を叩けばいいのです」
いかにも策ですといった感じで話をしているが、実際は史実をなぞっているだけだ。史実では、武田配下の熊谷元直が元就さまを挑発すべく別動隊として600騎で多治比領に侵入して民家に放火して回っている。元就さまは150騎の兵でこれを撃退し更に追撃。さらに本家に援軍を頼み毛利の有田城への後詰めを防ぐために冠川に面した場所に築かれた陣地を守る熊谷元直を討ち取る大金星を挙げる。
それに激怒した武田元繁が冠川に出てきたところを元就さまに討たれる・・・という流れになる。ま、この辺は史実での勝利パターンを知ってる強みだな。
「武田刑部が、どれだけの兵を集めるか次第か」
元就さまが地図を睨みながら唸る。俺は正解を知ってるけど今は言わない。五千という数はこの時代、出していい数字じゃないからね。
「地形の確認など事前の調査は某がやっておきます。それと、殿はいつでも出陣できる準備をお願いします」
俺の言葉に元就さまは目を丸くする。
「郡山の大殿はいまだ2歳ですよ。殿が後詰の総大将を引き受けなくてどうするのです。初陣を済ませて下さいね」
元就さまの顔が不敵に歪むが、顔色が悪いのは言わない。
「殿。そろそろ吉田郡山城に向かいませんと」
部屋の外から声がする。
「判った。すぐに出る」
何度か頷き、覚悟を決めたらしい。元就さまはパンと頬を叩き立ち上がる。この日、吉田郡山城であった評定で、元就さまが対武田戦での総大将になる事が決まったそうだ。
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