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王女ちゃんの執事  作者: るー
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『ひ・eye』2

「兄ちゃん、お母さんが早くお風呂に入れって」

「勉強中。1日くらい風呂に入らなくても死なねえっつっとけ」

「1日くらい勉強しても、試験の結果は変わらないって――。言い返されると思うけど」

「…………」

 椅子から立ち上がったおれが、ドアに向かわないのに気づいた虎之介が二段ベッドのはしごに飛びつく。その両足首を握ってV字開脚。

「きゃああっ」

 はしごに両腕ですがりついた弟が、女のような悲鳴を上げるのを聞いて、喪失しかけた戦意を振り起こして右足エンジン点火。股間マッサージ開始。

「ひい――っっ」


 机の前にもどっても、教科書を開くでもないおれの肩を、虎之介がぽこぽこ叩いている。

「ばかっ。子ども産めなくなったら、兄ちゃんのせいだ」

 いや、虎よ。産むのはおまえの奥さんになったひとだぞ。

「こんなひと、教師にしようとか、お母さんたち間違ってるっ」

 だな。

「暴力反対!」

 うん。

 だからおまえの反撃はいつもかわいくて。もっと、いじめられちゃうんだぞー、なんて。今はかわいがってやる余裕もないので、ぽこぽこパンチは無視。

「良い大学、良い就職先。そんなものになんの意味があるんだろな」

「そんなこと! ぜいたくに悩めるのは良い場所を知ってるひとだけだよ。自分がいる場所の位置もわかんないひとは、そんなこと悩まない。見えない。選択肢なんて…ない!」

「…………」

 利口な虎。

 兄ちゃんは今、猛烈に感動している。おまえにはわからんだろが。

「おまえ、するどい」

 立ち上がって、振り向きざまに虎之介の細い身体をぎゅうううう。

「ぃ、ぁぁああああ。ぐ…る、し」

 おれの胸に鼻と口を押しつけられてもだえる虎之介には、こんなのはいじめだろうけど。

 おれはいじめっこでいいのか。

 もう悩んでる時間がねえ。

 なにしろ、たかが期末試験の成績を底上げしたい理由なんて、つまり木村の敵は、志望は東大だと木村にヘドみたいに吐かせた親だよな。と結論するしかないんだから。

 自分のためじゃない不正。

 止めるべきか、止めざるべきか。そこが問題、大問題。




「ほっとけ!」

 教室の後ろドアで待ち伏せしてやったおれに木村の第一声。

 おはようくらい言えねえのか。って、まあ、おれもそんな心境じゃない。

「今だけしのげれば、いいのかよっ」

 ぴくっと震えた背中が痛ましい。

 だめなのは木村もわかっている。それなのに、やらなきゃならねえんだな。

 そんなに大事か、親との戦いに、たかが一度、勝つことが。

 なんだってそこまで追いつめられちまったんだ、おまえ。


 2時限め、5教科めの政経で木村はこときれた。

 おれにバレていると知りながらカンニングを続けられるほど、悪いやつじゃないんだ、仕方ない。

 机の脚が床をこする音に、ちらっと振り向いて見た木村は机につっぷしていた。

 木村を追いつめたやつより、同じフィールドで、同じユニフォームを着て、木村に蹴りをくれたおれのほうが性質(たち)が悪い。

 わかった。おれも捨てる。三者面談のあとのうちの鬼ババァの報復は、せいぜい小遣いカットだ。死にたくなるようなものじゃない。

「先生!」

 窓辺の教員卓で、懸命な生徒をよそに自分だけパタパタ扇子を振って涼んでいるガイコツマンに手を上げて。

「木村が具合悪そうです。おれ、保健室に連れて行きますから。友情に免じて追試ください」

「なんですと? ――こら、アリ・カトウ。え? 大丈夫ですか、コウジ・キムラ」

 ダメなのは見ればわかるだろう。

 扇子パタパタ迫ってくるガイコツマンから木村をガード。

 男の泣き顔なんて、誰にも見せられない。

 そのまま前ドアまでインターセプト。

「これ! アリ・カトウ。待ちなさい。本当に具合が悪そうじゃないですか。あなたひとりで大丈夫なんですか? 保健委員はどなたです」

「先生、ババ引くのはおれだけでいいよ。テスト続けて」

 廊下から叫んだおれに、なぜか教室から「うおー」という野太い声と拍手。

 ばかなやつら。

 おれはヒーローじゃない。

 ヒーローが友だちをこんなにするか?

 木村はおれに引きずられて歩きながら、ガキみたいにしゃくりあげてる。



 証拠は必要だ。

 おれは木村を医務室に引きずりこんだ。

 高校の養護教諭なんて、生徒のグチを聞いてナンボの仕事。

 帰宅部のおれは部活でケガをすることもないし、医務室になんて来たのは初めてだけど、白衣の胸に米沢というネームプレートをつけた、うちの虎ほど小柄なオバチャン先生は初対面のおれにも異様にフランクだった。

「つきそいって、きみさ、そもそもテスト、投げてたんだろ」

 失礼な。

「6割埋まってなきゃ、たとえ友だちが死にかけてても放置したに決まってるでしょ」

「6割とはまた志が低いこと」

「おれ、受験科目じゃねえし」

「あらま。けっこうシビアだね」

 がっはっはって。少しは木村の心配をしてやれよ。

 指先で目ん玉ひんむいて「充血してるうえに貧血だ。寝不足かい?」で終了って。

 当たってそうだからいいけどさ。

「センセ、おれらの答案持ってきて、ここで残りは受けさせてよ」

「そりゃダメでしょ。きみらもう監督者なしに廊下とか歩いて来ちゃったじゃん」

「木村マジ具合悪いのに、カンニングしたってか?」

 ベッドに横になった木村の身体がギクリと弾む。

 おれはとことんダークヒーローだ。

「先生は信じるけどさー」

 規則は曲げられないってか。ザッツ公務員。おとといきやがれ、だ。

「そういえば、きみら3年て言ったっけ。――どうする?」腕に抱えた書類ばさみにペンを走らせながらオバチャンがベッドの木村をのぞきこむ。

「えと、木村くん。きみはここで次のテスト受けるかい? 今回のテストで内申、決まっちゃうからね。内申点も必要な大学に行きたいなら、多少無理してもさ。ここならすぐ横になれるし……。がんばってみたら?」

 内申点! そんなものを考えたこともなかったおれって、どこまでお気楽野郎なんだ。

「センセ! そうしてやって! 木村、数学得意だからさ」

「よし。じゃ、きみ、なにくん? ま、いいや。きみがいるうちに先生、数研で問題用紙もらってくるよ。ちょっと木村くん看ててやって。木村くんは10分でも20分でも、この時間で眠っておきなさいよ。テストのために徹夜して、あげく具合が悪くなるんじゃ本末転倒だぞ」

「はーい」

 返事をしたのは名無しのおれ。

 木村はかたくなに背中を向けている。誰に? もちろん、おれに。


「推薦。取りてえのか」

「…………」

「それとも志望校…東大ってのは、マジなのか」

「チクれよ! チクればいいだろっ」

 それはまた図々しい望みだね。

「で? おれに決めさせるんだ、おまえの将来。ふてぇなおまえ」

「…………」

 木村が息を飲む。

 そうだよ、気づいたか。

 おれがチクれば、停学にしろ退学にしろ、親の決めたコースからは外れられる。

 やらかしたのはおまえでも、背中を蹴りとばすのはおれ。

「おれはチクらない。おまえの望むものが手に入るなら最後まで続ければいい。ただしもっとうまくやれよ。前のおれですら気づいたんだ、後ろの近藤や横の田中にもわかる。見える。まぁ、やつらはクソ真面目だから、最後まで自分の答案とにらめっこしてて、おまえのことなんか気にしやしねぇだろうが」

「…………」

「木村よ……」

 おれは、なんにもしてやれねえから、さ。

「おれごときに軽蔑されんのと、親とやりあうの――。どっちが(いて)ぇかなんて、考えるまでもないんじゃね?」

 おれ的最大のエールを送って窓際に向かうと、背後で安ベッドがきしんだ。

「軽蔑なんて……、もう死ぬほど、されてらぁ」

 生まれて初めて聞いた声。

 町田がここにいたら確実に卒倒する、おれでさえ背筋が震えたほどに冷え冷えとした、うめき声のようなつぶやき。

 誰に? なんて考えるんじゃねえぞ、おれ。

 めんどくせぇのはキライだろ?

 キライだよな。



「ミスタ・アリ・カトウ。今日のことは、あなたの厚い友情に敬意を表して、政経の石巻先生には申し送りをしておきましょう。25分ロストした分の加算は先生が公平にしてくださるでしょう」

「うす」

 自分の寛容さに酔いしれて廊下に出て行くガイコツマンの後ろ姿を見送って。廊下側の列の前から2番目の席にまだ足立がいるのを確かめる。

「よう。足立、おま…」

 そこで言葉が途切れたのは、足立が露骨におれから目をそらしたからだ。

「ちょっと、加藤ぉ」

 机に(ひじ)をついてにやにや笑っているのは吾川。

 同じ事件の目撃者でも、この差はどこからくるものか。

「あのな、足立」「あんた、この間のボーヤと木村、二股かけてんの?」

 はぁああ?

 やばい。視界のすみで足立があとじさる。待て、足立。

「加藤がホモだったなんてねぇ」

 吾川のダメ押しで、足立、逃走。

「待て、足立。おれの話を聞けっ」

「ヒューヒュー」

 マンガのセリフのような吾川の声に精気を吸い取られつつ、廊下に飛び出した足立を追いかける。


「足立! 待てってば」

 とりあえず女子に負けている場合じゃないので、きっちり下足場で追いついて。

「おまえ…ばか? 腐女子吾川にのせられてんじゃねぇよ」

「ふ…婦女子って。あた、あたしも婦女子ですけどっ」

「…………」

 ああ。すばらしい。足立、おまえこそ、おれが求める汚れなき純粋女子高生だ。

「とにかくな、落ち着け。おれはおまえに聞きたいことあってよ。ちょっと、その――、時間くれねえか?」

「あた、あたしも、あの、本当は、加藤くんに聞きたいこと…あって……」

 なに赤くなってんでしょ、この娘。

 やだ、そなの?

 すぐに、ひらめくおれの優秀な脳みそが、なぜに織田信長の没年を覚えられないか。

 とりあえずため息をついとこかい。


 ふたりきりのところを、ひとに見られるのは恥ずかしいという足立の乙女心を尊重し、おれは足立を音楽室に誘った。

 男としては、後ろめたいことがなければ人目があったほうが気楽なんだけども、そこはまぁレディーファーストで。

「こんなとこ……、入っていいの?」

 足立はひと気のない廊下でもう、おどおどしはじめた。車が走っていなくても、赤信号では横断歩道すら渡れない生真面目ちゃんなんだろう。

「試験中だから誰もいねぇだろ。平気、平気」

 芸術は3年間通しての専門科目なので、音楽を取っていない人間には馴染みがない場所が、どれほど金をかけて作られているか驚けよ。


「あ、加藤さん」

 町田がいたのは想定外。

「…あ」

 両手で口をおおう足立は、まあ想定内。

「いやいや。木村はまともな男だから、心配すんな」

 自分も驚いたので、ぽろっとおれの口から出た言葉の威力は200%想定外。

 足立は目を見開いて、おれと町田を交互に見ると真っ赤になった。

「じゃ、かかか彼が加藤くんのカレシ?」

 ちがーう。違うよ、足立。

「うわ、どうしよ。おれ、じゃまですね」

 おまえも違う。

(わり)ぃ。説明めんどうだから、とりあえず座ってくれ、ふたりとも」



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