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王女ちゃんの執事  作者: るー
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『で・eye』4終章

 15時間ぶんなぐりたいと思いつめた相手が目の前にいるのに、おれは根性なしだ。

 駅前広場の端の植木に隠れるようにしゃがみこんで、たぶんおれを持っていた町田に、飛びかかって膝蹴りをかますくらい犯罪にもならないだろうに。

 ――おまえとは関わらない――

 町田の姿が目に入った瞬間に身体が決めた今後の方針。

 町田がうつむいていたのをいいことに、学校に向かう制服の群にまぎれて逃走。



「さっき、五十嵐が行きました」

 すっと横に並んだ人の気配に、捨てたはずの暴力衝動再燃。

 吸いこんだ息で身体が固まるような怒りで胸倉をつかんだおれに、町田が見せた顔。

「どうぞ」

 静かに目を閉じて。アゴを上げて。

 なぐってくださいってか?

 おれの気持ちなんか、充分ご存知だってか。

 ――むかつく――

 乱暴に突き放して歩き出す。

 通学路で見せ物になんか、誰がなるか、ばかやろう。

「五十嵐、加藤さんに救われたんですね……」

「あ?」

 だめだ。止まらない。こいつとは関わらないと決めたのに。

「どこが? なにが? おまえ、おれをあいつに押しつけて! おれをどんな気分にさせたのか、わかってんのかっ」

 歩道の真ん中で立ち止まるおれたちの横を、迷惑げに過ぎていく制服の群。

 遅刻ギリギリの電車で来ているろくでなしのくせに。ちょっと進路をふさがれたくらいで、えらそうに迷惑ぶってんじゃねえ。

「加藤さん……」

 町田の顔が苦し気にゆがむ。

 情けなさに舌打ちしながら、それでもおれの手は町田を離す。

 いやらしい、卑屈な、ことなかれ主義。

 町田は、きびすを返したおれの腕をつかんだ。

 離せ!

「加藤さん! どうしてあなたが染まるんですか? あいつがなにに苦しんでたかは知らないけど。あいつ、加藤さんのおかげで最悪の状態からは抜けました。あとは……、あとは、あいつの問題ですよ?」

 はぁあああ?

 聞いちまったおれは? おれの問題は?

「おまえになにが見えんのか! どんだけ神様なのか! おれは知りたくもないけどなっ」

「…………」

「おれは聞いちまった! そんで、なんもできねえ自分にむかついた!」

「…………」

「今のおれはどう見えるよ。あ? こんなにむかついてるのに、おまえをなぐることもできねえ! なんもできねえくせに、あいつに聞いちまったことも忘れられねえ!」

「…………」

「おまえは、いいよな。おれをフリスビーかなんかみたいに飛ばして、もう平気です、もう終わりました、ありがとう? なにが終わったよ? あのバカ娘の問題はなにも解決してねえし! おれのむかつきも収まってねえ」

「…………」

「この世にぶっ倒れるほどイヤなもんがあるならな! おまえが死んどけっ」

 吐き捨てて歩き出したおれの腕を、へし折りそうな力で町田が離さない。

「だ…から、てめ。力で人をどうこうし」「思いました!」

 仁王立ちでおれをにらむ町田の目は濡れていた。

「何度も何度も――思いましたっ」

 袖をめくってグイッと突きだされた左腕の手首には、まがまがしい傷がついていた。

「でも、()けないんです! もどされちゃうんです!」

「…………」

「お…れの言うことなんて、誰も信じてくれなかった。おれは見えるのに。わかるのに。気味悪がられてハブかれて、つら…かった」

「…………」

「だから死んじゃえって! 川に飛びこんでみた。家のベランダから落ちてみた。自転車で神社の階段から飛んでみた。でも、おれはいつだって病院で目が覚めた!」

「…………」

「だから、うつむいて。だから目をつぶって。見ないですむようにしてきたのに、どんどん見えるようになるんです! わかる…ん、です……」

 最後はフェードアウトして消えた震える声を、おれは自分が恐ろしくなるような平静さで聞いていた。

「だから?」

「…………っ」

 おれの冷たい声に、町田の大きく開いた目から、つるっと滴が落ちた。

 そんなもの、おれは涙だなんて言わせねえ。

「結局、傍観者なら、なにが見えたって関係ねえ。なにもできない自分の情けなさにむかついたおれの気持ち……。わかんねえよな、おまえには」

 誰も自分が無力だなんて知りたくねえんだよ。

 特に、自分のしたいこともわからないようなクズは。

 いつか、なにかが見つかる。自分にしかできないなにかが。

 そんなのは自分に対するごまかしだなんて、ほぼ18年も生きてりゃイヤでもわかる。

「ま。長生きしろよ」

 おれだって、それでも生きていくしかないんだから。




 1時間目が古文だったのは運が悪いとしか言いようがない。

 呪文を聞きながら意識を飛ばさずにいるのは、ほぼ不可能。

 おれは、五十嵐がキライだ。あんなバカ女、自業自得じゃねえか、と思う。

 なのに、なにがイヤなんだ?

 おれは、どうしたいんだ?

「…………」

 忘れちまえ! と思うのに。

 刻一刻と五十嵐の腹の中でヒ卜になる細胞のことが頭を離れない。

 親になる自覚も意識もないやつの子として、この世に出てくることって幸せか?

 ウマレテキテクレテ アリガトウ

 そんなことを恥ずかしげもなく言う親を持つおれにしてからが、18年も生きてきてまだヒトとしての幸せってなんなわけ? と思うのに。

「…………」

 おまえの存在を、おれは知った。

 おまえの母親は、おまえもろとも、この世から消えようとした。

 おまえの父親は、おまえを知らない。

 おまえに存在する意義はない。

 少なくともこのままじゃ。



「あ……」「あ」

 昼休み。おれが町田と出くわしたのは2階の階段踊り場。

 3年生の最大の特典は教室が1階にあることだ。

 遅刻寸前の全力疾走距離も短くてすむうえに、購買も食堂も、当然グラウンドも同じ地平線上にあることの恩恵は計り知れない。

「…………」「…………」

 それをわざわざ、餓えたガキの群に逆らうようにして階段を登っていれば、おれのほうが分が悪い。

「加藤さんっ」

 だからって、こうもあっさり、ここで出会ったことの意味を決めるのはやめろってえ。

 おれは屋上でメシを食おうとしているのかもしれないだろがあああ。

「放課後――、加藤さんも来てくれますよね」

「…………」

 おまえ、それ、語尾が質問形になってねえ。断定してるだろ。

「おれ……、こんなにヒ卜が好きだと思えたの…初めてです。感謝ですっ」


 おれは、ぺこりと頭を下げた町田が差し出したものを素直に受け取ってしまうほど、いわゆるボーゼン自失ってやつで、しばらく踊り場のど真ん中に突っ立っていた。

「おーい」おれを現実に引き戻したのは木村だ。

「なんか、すっげーコワイ顔して、おまえが階段をあがっていったって……。なに? なんでこんなとこで突っ立ってんの? おまえ、電波くん? ここ圏外?」

「…………」

 (てのひら)で握りつぶしていたものを、ゆっくりと目の前で広げて確かめる。

「……おれ、アドレス、もらっちまった」

「はああ? 誰に? 下級生? うっそ、マジ? どんな子? イケてんの?」

「…………」

 おれらよりはな。

 思ったことは絶対に忘れる。

 くそったれ。



 おれに連絡しろって?

 おれに、わざわざ、自分から首つっこみます! と表明しろと?

 マジいやな野郎。

 はああああああああ。

 盛大にため息をつきつつ校門を出たところで、おれは真っ正面から誰かにぶつかった。

「んもう、先輩。まえ見て歩かないと」

 鼻を押さえて、くぐもった声で怒ったのは五十嵐だ。

「あ。(わり)ィ」

 …って、ナチュラルに謝ってるし、おれ。

「町田ね、東口のネカフェに行ってる。先輩とウワサになっちゃったのに、おれともふたりでいるとこ、見られたりしちゃダメだって。なーんか真面目だよね、あいつ」

「…………」

「今日ね」歩き出した五十嵐は、うつむいて笑った。

「カレシともしたことないくらい、町田とトークしちゃった」

 …ってことは、もうあいつも五十嵐の問題を知ってるわけか。

「先輩には、バカ女って言われちゃったって打ったらねー、町田、加藤さんは優しい人だからってレスしてきたよ。……ほれちゃってんね」

 いや、最後のそれは……。

「あたし、カレシにバカとか、言われたことないよ。沙織はいい子だね、沙織はかわいいねって……。親にも言われたことないくらい、いっぱいほめてもらって…さ」

「いいように遊ばれたってわけだ」

 頭にボン! と浮かんだロリータオヤジ像。

「ひ…どいよ、それ」

 立ち止まった五十嵐を3歩進んでから振り向く。

 五十嵐は笑っていた。下まつ毛で大粒の涙を止めながら。

 だから、おれは言わなきゃならない。五十嵐が泣けるように。

「人殺しになろうっていう女に、そんなことは言われたくないね」

「…………!!」

 みるみるゆがむ顔から、目をそらさないのだけがおれの誠意。

 3歩の距離を1歩でもどって、地面にくずれそうな五十嵐の身体を抱きとめた。

 五十嵐は、おれの腕のなかで、あんあんとガキのように声をあげて泣いた。

 おれたちは完ぺきに帰宅部のやつらや道ゆく人の見せ物になっていた。

 だからって、そんなのがなんだ。

 おれには、人殺しをする女を引き止めるどんな力もない。

 おれは死んでいくガキになにもできない。

 おれにできるのは、いま、腕のなかに抱きしめているバカを泣かせてやることだけだ。

 なにしろこのバカは、町田をぶっ倒したときから笑っていた。

 死ぬ気だったときだって泣く場所もなかったバカだから。


 町田はネカフェで病院を探していた。

「あんまり近くないほうが、いいよね」

「……うん」

 泣きはらした目をふせて、五十嵐がうなずく。

 そんな顔を見せなきゃいけないのは、おれらじゃない。別のクソバカ男なのに。

「おまえ……、マジ言わねえつもりか? 金だってかかるのに。どうすんだよ、ひとりで」

「お金は…どうにか……する。でも――…」

 五十嵐に見上げられて。答える前からわかった気がした自分の返事。

「ひと…ひとりじゃ――、行け…ない」

 しゃくりあげだした五十嵐の肩に手を置いて、町田がおれを見る。

 はあ……。

「わかったよ。行くし」



 待合室で、クソ幸せな妊婦のオバサンたちに、あからさまにさげすみの視線を向けられたのだって屈辱だったのに。

 そのあと問診室に呼ばれたおれが、看護師のオバサンたちに周りを取り囲まれて、医者のバーサンにされた説教の数々。

 高3にもなって、まともにつきあった女のひとりもいない童貞のおれが、日々妄想していた、めくるめくえっちの世界。

 汚れなき思春期真っただ中の男の美しいドリームを、粉々に打ち砕いてくれたリアルな女体構造図と、身もふたもない避妊術の講義。

『まぁいっしょに来た誠意だけは認めてあげるわ』

 言い放たれて。

 もう一生、女なんかとは関わらねえ! と思ったほどいたたまれなかった女の世界から、保護者の同意書類と手術日の予約を取って外に出たとき。

 五十嵐は伸び上がっておれの唇にチューをした。

「ありがと、先輩。あたし、泣きそうに幸せだった。これでママに…言う決心も――ついたから……」

 魂が抜けたままのおれを置いて走り去っていく五十嵐の後ろ姿を、おれは外で待っていた町田とふたりで見送った。

「女って……」

 小さく吐き捨てた町田の意見には100%賛同するけど。なんでここでおれをにらむんだ。

「加藤さんが五十嵐を見捨てなかったのは、加藤さんの純粋な善意だと思ってました」

 いや、マジそうなんですけど。

「弱ってるやつにつけこむなんて、最低です」

「ちょ…」

 お待ちなさい。

 伸ばしたおれの腕の先を、黄色いレンズのグラスを決めて、ヒップホッパーのようなヘッドフォンをがっちりと耳にはめた町田の背中が遠ざかる。

「おら、待てって。こら!」

 歩いている男を小走りで追いかける情けなさ。

 ムッとして本格的に戦闘モードに入ったとき、ふと浮かんだイヤガラセ。

 そうだ。おれは肉体派じゃない、頭脳派だ。

 短期勝負のブースト走行で追い抜いて、くるっと回転。

 世の中を遮断して、うつむいたまま近づいてきた町田はさすがの運動神経で、上体を折ったおれの唇が唇に触れる前にのけぞった。

「うわっ」

 半歩下がった町田の耳からヘッドフォンをむしり取って。

「間接キッス、してやるか?」

 耳の中に直接イヤガラセを流しこみ。

「…………!!」

 人形のように硬直した町田は、次の瞬間にはおれの肩に強烈な一撃をかまして、おれに尻もちをつかせてくれていた。

「て…めっ。だから暴力はやめろって――…」

 地面についた尻から背中まで伝ったしびれる痛みに、うめきながら起き上がりかけたおれは、路地の植えこみの前でうずくまっている五十嵐と、走り寄る町田のクソ長い脚を見た。


「ごめんね。も、大丈夫だから――」

 笑う五十嵐に、かける言葉なんかあるか?

 おれも町田も男だから。そんなこと、気づけもしなかったこと。

「罰…だよね」

 母になる喜びに満たされていても、きっとつらいんだろうと思う女体の変化。つわりだ。

「死ぬまで忘れなきゃ……いいんじゃ、ね?」

 そっぽを向いてつぶやいたおれの胸に、どんとぶち当たってきた小さな身体。

 また泣き出した五十嵐の信じられないくらい細い腰に右腕をまわして。

 左手で町田の髪をわしづかみ。

 …ったく。なんで、おまえまで泣くよ。

 もらい泣きもできないおれは、どうすんの?

 ――はあ……――

 やっぱ、冷てえのか…な。おれ。




 結局、五十嵐は男と別れた。

 たぶん誰かに特別扱いされたかっただけの五十嵐は、母親に号泣され、激怒する母親から逃げることしか選ばなかった男に渡された金で、殺人者になった。

 男の前で破いた札を、きっちり拾って銀行で新札にもどしたという母親のエピソードを、おれたちに話してくれた五十嵐の笑顔は、半分消しゴムで消した落書きみたいにゆがんでいたけど。

 いつか――、心から惚れた男の子どもを産みたいと思う女になってくれればな、とおれは思う。

 もうなにもしてやれない誰かの存在を忘れなければ――、まだなにかがしてやれる誰かに気づけるかもしれないだろ?

 ウマレテキテクレテ アリガトウ なんて。

 恥ずかしげもなく言う親父のような男のすごさを、おれも初めてしみじみ知ったわけだしさ。

 おれはともかく、女のくだらないトークにも、まめに返信してやる町田のような男がそばにいれば、五十嵐はセックスなしでも自分の存在を認められるのかもしれないし。

 でも俺はそんなに甘くないし。

 まったくもって実にうんざりだしっ。

 ことの流れでグループに入れられてしまったSNSで[せんぱーい 今日 音楽室でお昼しよーよー]という五十嵐には、絶対につきあわない。

 はずが――…


「先に食っても、あとに食っても胃がつれぇ」

「そぉ? ドラム叩いてる町田ってかっこいいよねー」

 平然と飯を食いながらリズミカルに頭を振っている五十嵐と、なぜかほぼ毎回並んで飯を食いながら町田をながめている。

 食ったもんが胃のなかで跳ねるような町田の音が、なぜか最近マイブームだから。

 不安定に揺れる。

 それが身体なら、なんだか安心な気がして。

 本当に揺れているのはどこなのか、なんなのか。

 まあ、今は見ないふり。



【後書き】

校正用にプリントアウトしてあったものをここにupするため自炊〔スキャンデータ化〕しながら気づいたんですけど――。ムーンライトノベルズにupした成人向けバンドマンシリーズ『いじわるはデフォルト。鼓動は変拍子』とキャラ名が、かぶりぎみですね。同時期に派生として書いてたかな? 汗 

でもキャラの名前は姓名判断で調べて、性格・性質に合うように画数調整しているので今さら変えられません。このままいっちゃいます。

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