『で・eye』3
乙女ちっくに胸の前で両手をもまれても――。
「あのな、町……」
「おれ、王女さまに大丈夫だって笑ってもらいました。加藤さんといれば大丈夫だって。加藤さんも、見てました? ――あ、それとも聞こえてました?」
いや、見えねえし、聞こえねえし。
「おれ、知ってるやつなんて今回が初めてで。おれ、どうしていいか、わかんなくて。そしたら王女さまが――あ、加藤さんがいて。大丈夫、大丈夫って……。そしたら加藤さんが金色になって。金色の加藤さんといたら、おれいつもみたいに吐いたりしなくて、あの、すみません!」
「…………」
おまえそれ、文法めちゃくちゃだし。…ってか、おれ、イヤホン出すの、忘れてやがります。
はあ~っと、ため息をついて。
シャツの胸ポケットに手を伸ばしかけたら、いつの間にか町田が真っ正面にいた。
空間移動もすんのか、おまえ。
も、いい。も、疲れた。
なんでもありだ。
ただし、おれ抜きで。
おれは帰る。
「加藤さん」
はい。
「五十嵐、死にます」
は、いいいい?
「理由はわかんないけど、あいつ、ダメです! ダメ色なんです!」
「…………」
「おれ、知ってるやつは……いやです! 助けてやってください! 五十嵐助けてやってくださいっ」
「…………」
どうして、ここでおれを見るのよ? おまえの大好きな王女さまは、今、どこなのよ。なんでもありだって言っても、おれにだってキャパシティーってやつがあるのよ。
そんなわけで町田――。
「そういうのは、な。王女さんに頼め」
胸ポケットのイヤホンを探りながら、おれがドアのノブに手をかけると。
「だから!」
凡人のおれには計り知れないポテンシャルを持つ町田は、おれが重たいドアを10センチも開けられないうちに、おれの肩をにぎりつぶしてくれていた。
「ぐあああ」「こんなに頼んでるんです」
肉体的な脅しに屈したわけじゃない。とは言えない。
「五十嵐いる?」
上級生が顔を出したことでざわつく昼休みの1年の教室で、おれはなにをしちゃっているんでしょーか、とも思うけど。
ことなかれ主義でやってきたおれは、流血ざたには慣れているらしい町田とちがって、過剰な肉体の接触には弱いらしいということが、今の段階で判明したのは喜ばしい。
もう二度とヤバイやつには近づかない。
教訓は痛い目をみてこそ身に染みる。
「あー。せんぱ-い。どうしたんですかあ?」
五十嵐は窓側の日当たりのいい席で、ひとりで弁当を食っていた。
明るい、実にさわやかな青春乙女の図。そう見えないのはなんでだろう。
もちろん深く考察するのはめんどうなので、そんな思いは右から左。
たたたっと走ってきた五十嵐が、背伸びしておれの耳元に唇をよせる。
またしても未知の甘い香りがぷ~んと漂って。あーもう、なんて役得。
「町田、お休みですよー? やっぱ恥ずかしがってるの?」
「うーん……」
聞いたセリフはちょっとナニだけど――。
「あのなー、ちょっと、その町田に頼まれて、聞きたいことあるんだけどさ。今いっしょに消えんのマズかったら、放課後どっかで会わない?」
「えー。今でもいいよ? ってか、今のがチョーうれしい。ウワサになれるじゃーん」
うおおおお。なんて、かわいいことをっ。
「そんじゃ、五十嵐ちゃん、お持ち帰りしちゃうかなぁ~」
「うふ。ゲイのひとならチョー安心ですねん」
「…………」
テンション一気にダダ下がり。町田、許さじ!
とはいえ、意外と生真面目さんだったらしいおれ。
「でえ? 話ってなんですかー?」
廊下を並んで歩きながら五十嵐に聞かれると、町田に命令されたことが律儀に優先順位の1番上に浮上。
もっとも五十嵐を見ているかぎり、町田のばかげた妄想を笑いとばせる気配が濃厚なのが、このお気楽気分の元のような気もしないでもない。
「町田がさ」
「うん」
「おまえが自殺しそうだって」
おかげで身もふたもない言いかたになったのを、ちらっと反省しかけたとき。
横を歩いていた五十嵐の姿がふいに視界から消えた。
なに気に振り返ったおれが見たのは、ふわ~っと床に傾いでいく五十嵐。
「うわっ!」
「ごめん…なさい……」
うつむく五十嵐の横顔から目をそらすしかないおれは、ただひたすらに空を見る。
ふだんは足を向けることもない専門棟の屋上で、前髪を揺らす風がグラウンドでテニスをしている、どこかの学年の授業風景を音で伝えてくる。
見ているものはそれぞれちがっても、おれは五十嵐とふたり、それを聞いている。
この小さな世界がおれたちのいま所属する世界で。
この小さな世界をすら、おれたちはいま見失っている。
ボールの弾む乾いた音で、おれは自分の居場所を確かめるけど。五十嵐の耳がなにを聞き、その目がなにを見ているのかおれにはわからない。
町田に見えたなにかが、いま、どうなっているのかも。
「――でも、町田って、すごいよ…ね」
「…………」
「なんで、わかったんだろ……」
「…………」
それを、笑い飛ばすはずだったおれに聞いてくれるな。
「あたしね。もう2ヶ月……生理…ないの。いつも順調…なのに」
「……………!」
よろけるくらい許してくれ。
「も、どうしていいか……、わかん…ない」
「…………」
いや、おれもわかんない。
…つうか、おまえ、なんだそりゃ。生理不順の話じゃない…よな?
「相手は? 知ってんの?」
「言えるわけ…ないじゃん」
震える小さな声で答えた五十嵐は笑っていた。人形みたいにキレイな顔で。
「バカか、おまえ」
なので、おれの口はするりと思ったことを吐き出した。
「相手、わかんねえわけじゃねえんだろ? だったら連帯責任じゃん。なんで言わねえよ! なんでふたりで抱えねえよ!」
「だって!」
だって、なんだ?
「捨て…られたく……ない」
「…………」
目の前で、完ぺきストライクな女に泣かれているのに、おれが頭に浮かべていたのは、めちゃくちゃ気にくわない男・町田。
くそばかやろう!
だからこんなことは、おまえの王女さんに頼めって言ったんだ。
「だから中出しなんかさせたのか? え? 妊娠するかもしんねえって、わかってて! ゴムもさせずにセックスしたのか、おまえ!」
「だ…って……。だっ、て……」
「うるせえ! 1回、死んでこい! バカ女!」
「ひ…ど……」
「…………」
ああ、ひどいさ。おれは冷血漢だ。人非人だ。
目の前で女に号泣されて。それを冷静に見下ろせる鬼ちくしょうだ。
だから?
五十嵐は赤ん坊のように声をあげて泣いている。
おれは――おれの腕は――、そんな五十嵐を抱えて怒っている。
――町田っ――
許さねえ。
こんなことに、おれを巻きこんで。
――許さねえ!――