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王女ちゃんの執事  作者: るー
13/16

『ほ・eye』2

 もちろん、へたれ男のおれは、知恵がわくまでなにもしないという選択肢にチェック。

 おれには王女さんが退屈している姿も、悲しんでいる姿も見えないし。

 見えない相手が消えたところで、知ったこっちゃない。

 ブラスバンド部の大会が近いせいで、昼休みすら音楽室が使えなくなった町田のドラムはもう聞けないし。

 孤高のお受験戦士らしく、ひとりで生きていくわ。



「…ってえ!」

 席を立ったとたん、なにか硬いものにわき腹をずどんと突かれた。

「あ、悪い」

 後ろの席で立ち上がった木村の通学バッグだ。

「なに入ってんだよ、それ」

「それが受験生に聞くことか。タブレットと参考書に決まってるだろ」

 まともな返事をしてきた木村は、振り返りもせず廊下に出て行く。

 腹をこすりながら廊下に出ると、かかとを小さく上げ下げしながら足立が木村を待っていた。形容するなら、まあルンルン。

 並んで歩き出すふたりの頭を見ながら、腹立たしくなるおれはどんだけ小者?

 足立がハイヒールをはくようなキャリアウーマンになればちとやばいとはいえ、ぺたんこの上履きの今は真横を向けば即ちゅーできそうな位置関係。

 はぁ…。

 やっぱり同級生っていうのは便利だよなぁ。

 しかもやつらは幼馴染ときたもんだ。

 受験生の分際でライトに恋愛ごっこも楽しみたいなら、効率よく通学時間にいちゃこらできる最強ハッピーセット。少しはおれに感謝してんのか?

「うわっ」

 舌打ちしつつ廊下を曲がったとたん、肩を小突かれて床に尻もち。

(わり)ぃ。あ、加藤か。無事か?」

 おれならなんだ。おれなら謝りもせず走り去っていいというのか、宮原。ラグビー部の元主将が走りながらぶつかってくれば、それはタックルだ。

「ちょっと。あんたって廊下に転がるのシュミなの?」

 無様に床に尻もちをついたなりで見上げると吾川がせせら笑っていた。

 手にした巨大なスケッチブックで口の前をおおい、さらに眉をしかめる。

「男子なんてみんなトイレに行った上履きで歩いてんだから、廊下なんて菌の温床よ。その手で公共物にさわるまえに、ちゃんと石鹸で洗いなさいよ」

「…………」

 もちろん無言で伸ばした手を吾川のスカートになすりつける。

「ぎゃああああああ」

 報復は硬いスケッチブックでのハリセンチョップ。

 バホッという打撃音と「ってぇぇぇ」というおれの怒号が廊下の壁に反響するなか、吾川は「やだ、ひらめいた」と鼻をひくひくさせてスカートのポケットからスマホを取り出した。

「ちょっと加藤。さっき宮原くんに押し倒されたポーズ再現してよ」

 スマホはすでに撮影モードでカシュカシュ鳴っている。

「誰が押し倒されたんじゃっ」

「あ。いいね。もっと怒って。視線、あたしの頭の20センチ上ね」

「…………」

 ジーザス。これはなんの罰ゲームですか?

 いや、むしろこれは、女ってぇぇぇ、と天に叫ぶところなの?

 なにしろおれは町田に言わせれば、王女さんのお願いを無視しているぶしつけな男で。わがまま女に振り回されるのも運命らしいから。



 翌日。

 それは確信に変わった。

 なにしろ、女ってぇぇぇと心の中で叫ぶ以外にない状況。


「だからー。校門を出たとたんにオバハンの三輪自転車にひかれたんだよ」

 おれは病院の待合室で、何度目かわからなくなった説明を虎にしていた。

「なんてことないと思ってたら駅につく頃にはなんか足が猛烈に痛くなって。線路脇のこの整形外科を思い出して必死で歩いたのに、もう途中で――…」

 ここで虎に寄り添うように立つ町田が苦笑い。

 なにしろ、痛すぎてもう歩けねえ、と泣きが入ったその時点でおれが頼ったのが怪力小僧の町田だからだ。いわゆる松葉杖係。

「そんで、町田にここまで連れてきてもらって。いざドアを開けようとしたら、あ、おれ金も保険証もないじゃん…て」

 そこでやっと虎に電話。

 虎の事情も考えず、病院の名前と場所だけ告げて、金と保険証を持ってきてと頼んだだけでスマホの電源を落としたので、事情がさっぱりわからなかった虎が()探しして見つけ出した保険証と自分のキャッシュカードを握りしめて、電車に飛び乗ってやってきた、と。

 中学生の虎ですら、パート仕事中のおふくろには、おれの状況を把握してから電話する節度があるのに。『なんか骨が折れたっぽい』などと、適当なことを言うだけ言って音信不通になる18歳。

「とにかく兄ちゃんは注意力散漫! 赤ちゃんの頃から落ちたり転げたりして、お母さんたちを震え上がらせてたらしいけどっ! 18歳にもなってまだ落ち着けないの?」

 はい。申し訳ありません。

 中学生に説教される高校生。

 受付カウンターの向こうの看護師さんたちが笑っている。

 うつむいてても聞こえてるからな。

「しかも小指の骨が1本折れたくらいで一海さんまで呼びつけて! まず家族に連絡しなさいっ!」

 だってマジ痛くて。心細かったしよぉ。

「も、いい。ちゃんと皆さんにご挨拶して。帰るよ」

「――はい」


 エレベーターを降りるまで無言だった町田が、ひょいとおれの腕を肩に乗せた。

「体重かけてくれていいですよ」

「いや平気だから、引きずれば」

「で。次は道路の段差につまづいて転びますか? 車道側に倒れたら、今度こそ笑い事じゃすみませんね」

 なぜ断定?

「今回は別に転んだわけじゃねえし。昨日の尻もちで打った尾てい骨のほうが、なんぼも痛いわ」

「やっぱり。今日の自転車だけじゃないんですね?」

「なに、それ。ー海さん、なにか知ってるの? 兄ちゃん、どうしたの?」

 虎の顔が真っ白だ。

 大丈夫。おれはおまえみたいに優しくない。

 いじめられて黙っていられるほど強くもない。

 誰かにやられたんならやり返してる。

「なんでもねぇよ。最近ちょっと、おまえが言うみたいに注意力散漫てやつなのか、やたらひとにぶつかったりして、あちこち(いて)ェだけ」

「まさか、ほかのとこも痛くしてるの!?」

「だから、なんでもないって」

「なんでもないことないでしょ! ぼくだけならいいけど! 一海さんにまで迷惑かけて……。しっかりして!」

「…………」「…………っ」

 気押されて黙ったのはおれで。笑ったのを隠して口元を押さえたのは町田。

「なんだよっ。言いたいことあるなら言え」

「いいんですか?」

 いやよくない。

 どうせ年下の子に説教される不甲斐ない男に追い打ちだろが。

「とんちゃん――」町田が話しかけたのは虎に。

「お兄さんを心配すると、とんちゃんは…女の子になっちゃうんだね。とてもかわいいと思う。でもね、気をつけて。世の中のひとはまだそんなに…優しくない」

「…………」「…………」

 じわじわと染みる町田の忠告。

 まだ男でも女でもない虎を理解し、守れるのはおれだけだという重たい現実。

「ごめん、一海さん。ぼく、動揺して――」虎は瞬時に“弟”にもどっていた。

「ぼく、気をつけないと。ぼく…兄ちゃんに甘えてちゃ、だめだよね」

「うん」うなづく町田の強さを虎は本当にはまだ知らない。

「今は仕方なかったけど。ひととちがうことを隠して生きると決めたんだから、少しさびしいくらい冷静でないと、だよ」

「…………」「…………」

 これは町田の体験談だ。

 虎は町田がゲイであることを隠してきた、これまでの人生からの忠告だと思っているだろうけど。

 おれは知っている。

 この先もたぶん、一生ひとりで苦しむ町田を。

「おれの心配より自分の心配をしてください、加藤さん」

 町田がふぅ…と大きく息をつく。

「ごめん」

 町田がいつになくシリアスな理由はおれだってもうわかる。

 暑さのせいではない汗が町田の額に浮いているのも気づいていた。

 町田はずっと自分のことは後回しにしているけども。



 虎がおれのために線路下の百均ショップにシャワーサンダルを買いにいったあと、駅のロータリーのベンチにおれを座らせた町田は「すみません」と言って黄色いレンズのグラスをかけた。

 夏のおしゃれ男子としては必要充分な装備だが、町田がそれを必要とする理由は違う。

「やべーのか」

「さすがに王女さま抜きで、このひとごみは。すみません」

「いや、謝るのはおれだわ。すまん。(いて)ぇで頭っぱいになったらもう、おまえしか思い浮かばなくて……。おれはなにもしてやれねえから……。おまえだけでも王女さんを追いかけろ。あのおばさんと仲良くなってくれ。応援するぜ」

「…………」

 だからなんだ、そのひとを責める目は。

 グラスごしでもわかるぞ、このやろう。

「守護霊さまの引越しなんて、聞いたこともありません。自分でなんとかしてください」

「守護霊?」

 王女さんが?

「おれも宗教的な解釈はくわしくないですし、便宜的に加藤さんにもわかるようにと思って使いましたけど……」

「守護ってつまり……、おれは王女さんに守られていた、と?」

「王女さまがいなくなったらどうなるかってことは、今回、加藤さんだってよくわかったでしょ」

 わかったってなにをだよ。

 ふてくされたおれの気持ちなんてお見通しの町田がため息をつく。

「王女さまがいないと、加藤さんて人並みはずれて災厄にまきこまれるひとだってことをです」

「…………」

「…………」

「…………」

 おれの気持ちを今度も町田は正確に察した。

「いても巻きこまれてただろ、なんて思ったらいけませんよ。王女さま、聞いてらっしゃると思うので」

 ――――は?

 思わずぶんぶん周囲を見回したおれに見せる町田の苦笑。

「どうせ見えないくせに」

 失敬な。

「これにこりたら二度と王女さまを無視するようなことはしないでくださいね」

「別にこりてねぇし。おれの勝手だし」

 女の実力行使に負けて言いなりなんて、まっぴらだ。

「加藤さん!」いつになく辛らつな町田も引く気はないようだ。

「お仕置きがその程度ですんでいるうちに、まずはあの女性とお近づきになる方法を考えましょう。王女さまが帰ってこないなら、こちらからお迎えに行かないと」

「…………」

「…………」

「…………」

 なんでおれが。どうしておれが。

 さわれもしねえ女のためにっ。

 おれがむすっと考えていることは、こちらを見もしないのに町田にはお見通し。

「ふてくされてる場合ですか。死活問題ですよ」

「…………」

 不感症のおれに焦れて、きっと、虎を助けるために王女さんが見つけてきた男。

 どれほど感謝しても足りないと、おれだって思ってる。でも。

「もうちっと、かわいげのあるやつ、いなかったのか」

 つぶやいたら町田が小さく手を振った。

「仕方ない。やっぱり真央ちゃんだ」

「はぁぁぁぁぁあ?」

 そりゃ声も出る。

 15歳の中学生に30おばさんをナンパさせるのか?

 そりゃどう考えたって無理。親子だって通る年齢差じゃん。

「じゃあ、加藤さんがあのひとと友だちなれますか? 彼女を気にいったのは王女様で加藤さんじゃないでしょ。加藤さんは好きなひとがいるんだから、よっぽどうまく立ち回らないと、ややこしくなっちゃいますよ」

 好きなひと? おれに?

 ああ、な。

 そういや、いたな、むかしはな。

 カノジョってやつに夢を抱いてる男がな。

 短めの黒髪に卵型のちっちゃな顔。短い爪にほっそり系の小柄な子。

「兄ちゃん、これならギプスしてても履けると思うんだけど。どうかな」百均の白いビニール袋をガサガサと振りながら、小走りに寄ってきた虎がすとんとおれの前にしゃがんだ。

「すぐ履くからって言って、レジで値札取ってもらったからね」

 シンデレラにガラスの靴を履かせる王子のような、キラキラと輝く瞳。短めの黒髪に卵型のちっちゃい顔。短い爪にほっそり系の小柄な子。

 はい。リピートアフタミー。

 短めの黒髪に卵型のちっちゃい顔。短い爪にほっそり系の小柄な子。

 おれの…おれの好みのルーツって……、虎なのか!?

 ――げぇええええ――

 てかそれって、男だから当てはめてもみなかったけど、町田も充分に必要充分の範疇(はんちゅう)じゃないの!?

「加藤さん。現実逃避してる場合じゃありません。浪人するはめになるほどのケガをする前に、ささっと片づけてしまいましょう」

 だからおれには無理だってぇ。


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