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王女ちゃんの執事  作者: るー
11/16

『き・eye』3

「兄ちゃん……、やっぱりやめよ。おれ、できない。おれ…こわい」

「大丈夫。すげーよ。すげーかわいい」

 虎のまつ毛にマスカラを塗っている五十嵐も、ため息をついた。

「ほんと、嫉妬しちゃうよ。あたし、中学んとき、も、ニキビでブツブツでさ、すっごいイジメられたんだよ。イチゴ女とか――…」

「うそ。だって沙織さん、すごくきれいだよ?」

「別れたカレシがね、皮膚科の医者だったの。肌トラブルなんて病気だと思って真剣に治療しちゃえば治るんだよーって。ゲスだったけど――そこは感謝しないと、ね」

「…………」「…………」

 言葉をなくして顔を見合わせたおれと町田の気持ちなんて、きっと五十嵐にはわかるまい。

 The 女子。

 男は2種類、過去の男と、今の男。

「沙織さん……」

 虎が痛々し気に眉をゆがめて五十嵐を見上げると、五十嵐はサムズアップで笑った。

「いいの。過去、過去。女子の正義は『かわいい』だよ、とんちゃん」

「…………」「…………」

 おれと町田が見合わせた目をそらしたのは言うまでもない。

 かわいいは正義。正義は強し。

「ほーら、加藤さん、どぉ? こんなにかわいい子、ちょっといないよ」

 どうやら顔は仕上がったらしい。

 まだ男でも女でもない15歳の少年が、ほんのちょっと化粧するだけで完璧に女になる。

 同じ年頃のおれは絶対にそんなことにはならなかったと思うし。おれが見ても美形だと思う16歳の町田に今メイクをほどこしても、こうはならないだろう。

 虎がまとう空気は、五十嵐が自覚せずに持っている、町田やおれへの――異性への(こび)と恥じらい成分を含んでいる。

「ね、とんちゃん、ネイルもしよ? 顔って鏡がないと見えないけど、手は見えるじゃん? 手がかわいいとテンション上がるんだー、女の子は。ね」

「沙織…さん――…」

 虎がおびえた目をしばたたく。

 幼稚なイジメのきっかけが、100均ショップでマニキュアのテスターを使っているところを見られたことだ、というのは白状させた。

「頼む、五十嵐。おれ、ぜってー勝ちたいんだ。全力で、こいつ、女に仕立ててくれ」

「…………」「…………」

 虎と町田が息を飲む。

 事情を知らない五十嵐は、色をなくした虎の頬をなでながら、おれの横で硬直する町田をちらりと見た。

「町田もかわいいよねぇ。加藤さんに(にせ)カノジョは許しても、本当の女の子はいやだなんてぇ。けど、これっきりにしときなよー。こんなにかわいい子、外に出したらダメ。男はバカなんだから…、傷つけられちゃうよ」

 バカな男に身体も心も傷つけられた五十嵐に、こうもしんみり言われれば、女最強説も撤回しないとな、と思わないでもないが。

「…………」「…………」「…………」

 五十嵐の(かも)したしんみり気分にやられて、言葉をなくした3人のなかで一番かわいそうなのは誰かなんて、おれに決まってる。

 今や性格はともかく…外見はどストライクな女と弟にゲイだと思われているおれ。

「困ったお兄ちゃんたちだねぇ」五十嵐が苦笑して、くりくりと虎の髪をなでる。

「そんじゃ、とんちゃん。もっとかわいくなっちゃぉか」五十嵐がピンク色のマニキュアの小瓶を小さなポーチから取り出して。

「あー、かわいい。あたしも妹いたらなぁ」

 虎の両手に頬ずり。

「頼んだらいいじゃない。妹になって、って」

 町田がほほえむほど、その言葉と態度で五十嵐は虎を幸せ色にしてくれているんだろう。

 ありがとう、王女さん。

 町田があんたでラクになるように、おれの弟を――、虎を守ってやってください。

 あと、おれにもちょっとだけ勇気ってやつをいただければ幸いです。

「うわー。ピンク……、きれい」

 虎が五十嵐に預けた手指をうっとりと見ている。

 しゃがんでおれものぞきこむと、頬を染めてはにかんだ。

「どぉ兄ちゃん……」

「うん。スゲーいいかんじ。あのクソ野郎に見せつけるだけじゃもったいない気がしてきたわ。ずっとそのままで…いてほしいくらいだ」

「…………」

 虎は静かに泣いた。

 ぽろりぽろりと涙をこぼして。

 五十嵐はちらっとキツイ目でおれを見たけど唇を引き結んで。

「こらこら、とんちゃん。女の子は泣かない!」

 コットンで虎の涙をぬぐってくれた。

 死にたいほどの絶望を宿したことのある魂は言葉もなく共振するんだろうか。

 町田がうなづく。

 そうだな。あとはおれだ。


 五十嵐の用意してくれたジーンズに眉をひそめたおれに、五十嵐のきびしいお言葉。

「加藤さんばかなの? 女の子は女装なんてしないんだよ」

 絶句したおれに町田もくすくす笑ったけど、安心したのか虎も笑って。

 ユニセックスなシャツとジーンズでも髪を半かつらでセミロングにし、五十嵐ご自慢の花飾りのついたミュールとかいう靴を履くと虎はもう驚くほど女子だった。

「お…まえ、すごいな、五十嵐」

「すごいのは、とんちゃんでしょーよー」

 五十嵐が大はしゃぎで虎の腕を取って、弾む足取りで先を行く。

「す…ごい、です。加藤さん」

 町田がまぶしそうにおれを見上げてくるのは王女さんを見ているんだろうが。

 おれもあらぬところに視線を投げて。ありがとな。礼を言ってみる。

 都合のいいときだけ信じて悪いな、王女さん。



 駅前のロータリーにあるアイスクリーム屋に虎と五十嵐をふたりで行かせたのは、虎に自信を持たせるためだ。

 おれがやるんじゃ意味がない。

 虎にやらせる。

 おれはなにが起きようとキレずに見守る。

 そう決めて始めたんだから。

「あーあー、ナンパされちゃいましたよ、いいんですか?」

 町田がくすくす笑うのは、表面上は取り(つくろ)っても、おれがイライラと落ち着かないのがわかるからだろう。

「ふん。あれならまーだ、おれのほうがマシだわ」

「えー。そんなのわからないでしょ? とんちゃんには、ああいうやつのほうがイイ男かもですよ?」

「ま…、ち、だぁ――っ」

 立てた中指を背中に隠したのは、五十嵐が虎の手を引いてこちらに向かってくるのを目の端で見たからだ。

「ほーら見ろ。ってか、そろそろ時間だ。五十嵐を頼めるか?」

「――はい。終わったら連絡…くれますか? おれ待ちたいです。五十嵐もきっと待つって言いますよ」

 なぜ弟に女装なんてさせるのか。

 なぜ虎が泣いたのか。

 きっと言わなくても町田にはわかるんだろう。

「兄ちゃん、聞いて! おれたち、ナンパされちゃった」

「違うよ、とんちゃん。あんなので満足しちゃダメ。あたしが油断してた。あー悔しい。あんな程度のやつらに声かけられちゃって」

 五十嵐の超絶お姫様発言に笑ってバトンタッチ。

「そんじゃ、ちょっと行ってくるわ」



 2時に来いと言っておいて、ガキが改札を出てきたのは2時14分。初手からおれの怒りを沸騰させたガキの前に虎はしっかりと立った。

 そうしてみれば、ガキが虎をいたぶった理由もわかる。

 虎より貧相なチビ。虎より頭も悪いのは確かだし。

「西野くん……」

 虎をおどおどと盗み見ていたくせに、通り過ぎたガキがビクンと立ち止まる。

「話…あるんだけど。もうキミの家には…行きたくないんだ」

「…………!」

 口あんぐり、か。

 まぁ、気持ちはわかる。

「あのね、西野くん」

「加藤かっ!?」

 西野の肩からトートバッグがずり落ちた。

 それを拾ってやるって、どこまでお人よしなんだ、虎。

「あのね、おれ、こんなで――、おれ、変かもだけど――…」

 どこがだよ。

「おまえが一番かわいいわ、ここで」

 西野に聞こえるように言って、背後に寄り添ったおれに、虎は耳まで真っ赤に染めて唇を震わせたけど泣かなかった。

 西野がのけぞって。初めておれを虎の連れとして見る。

「来いっつっといて、うちの子を待たせる失礼なガキに、おれは、お仕置きしたいんだがな」

「やめて、兄ちゃん」

 虎は即座に首を振った。

 うん。ちゃんとわかってるから、がんばれよ。

「西野くん。もうやめよ。写真、捨てて。これ以上、西野くんのこと――、嫌いになりたくない」

 あああああ、もう!

 おれの弟は、自分を絶望のふちに追いこんだ相手に、こんなことを言うばかだから。

 仕方ない。汚れ仕事はおれがやる。

 展開についてこられずに硬直している西野の尻ポケットからスマホを拝借。

「ちっと借りるぜ。ここでぶち壊さないのは温情だ」

「ちょっ! なにすんだ」

 やっと事態についてきた西野が伸ばしてきた手から、奪ったブツはバンザイ隔離。

 おれのほうがたっぷり20センチは背が高い。届くもんかよ。

「てめ、返せ!」

「中のものぜーんぶ見て。初期化して返してやるよ。それともあれか、見られたくないもん、いーっぱい入ってるか? これ」

「…なっ、ふ、ざけんな!」

 ぴょんぴょんクソダニ、手の鳴るほうへ。

「ふざけてんのは、どっちだ、チビ。もしかどっかにコピーしてても、こっちにはてめぇの送りつけてきたメールが山とあるからな。拡散しやがったら、こっちもさらすぞ。女装ネタなんて屁でもねえのは見りゃわかんだろ。かわいいんだよ、うちの子は」

「てめ、……お…れの…ド…、くそ、ぇ……」

 なにやらわめきながらジャンプして、しつこく手を伸ばしてくる西野をひとにらみ。大事なのはゲームアプリかよ。情けないやつ。

「しつけーと、投げるぞ」

「――――っ」

 ひきつけた西野は、血走った目で虎をにらんだ。

「くそオカマ野郎! 兄貴はやくざか! とんだ変態だ。変態兄弟!」

「兄ちゃんを悪く言うな!」

 いいぞ。やり返せ虎。

 とはいえ。頭上で電車が止まった気配がする。次の流れが来る前にここはおさらばだ。

 利口な虎もちゃんと察したし。

「行こう、兄ちゃん。用は…すんだ」

「ざけんな、こらっ」

「返してほしかったら先生に…言って。――渡しておく」

「そうそう。持ちこみ禁止のものを教室に落とすようなまぬけは、親と一緒に呼び出されてセンセに説教してもらえ」

「くそ、待て! やくざ。返せ、ちくしょっ」

 語彙(ごい)の乏しいチビをスウェイバックでかわして、ひょいとピポットターン。壁にした虎の背中に肩からぶつかったガキに最後のひと(おど)し。

「どー見ても。女、襲ってるぜ、おまえ」

「――――!!」

 改札から流れ出てくる他人の目が、今、オソロシイのはおまえだけだな?

「――――おぼえてろっっ!」

「おう」

 有名すぎる捨て台詞(ぜりふ)をありがとよ、チビ。初体験だわ。感激だ。


 転げるように走り去る西野の姿を、虎は拳を握りしめて目で追っていた。

 その肩を抱けば、おれたちは誰もが目をそらしてくれる恋人たちで。

「あいつがどんなもん入れてるか、見るか?」

 西野のスマホをオンにしようとしたおれの指に、そっと虎が手を添える。

「兄ちゃんが消してくれれば――おれは…いい」

「えっちな画像とかあるかもよ? あいつの弱み、握ってやれば?」

「そういうの…、おれ、いやだ」

 そうだな。それがおれの、かわいいかわいい弟だ。

 背を押して歩きだしながら背中をぞくぞくっと伝った戦慄(せんりつ)

「おまえ――、このかっこで、おれってのは」「兄ちゃん」

 思いつめた瞳。

「そのことは――3年半、待って」

「…………」

 虎はおれに肩を抱かれ、おれのシャツのすそを握ってはいるけど、まっすぐひとりで歩けている。

「おれ…ね。おれ、高校卒業して――ひとりでやっていけるようになるまで、ちゃんと男でいる…よ。母さんたちに、生んでもらった礼は…して、出る」

 お…まえ――。

「自分が苦しいほう…選ぶのか」

「兄ちゃん、わかるでしょ。おれ、ほんとに今…幸せなんだ」

 虎が空にかざす指。薄いピンクの爪がキラキラ光る指。

「きれい……」

「だな」

「ネイリストとか、もう(もう)かんないかな。男性サイズのかわいい靴職人とかどうだろう。おれ、今だから沙織さんのミュール、履けるんだもんなぁ」

「…………」

 すばらしき将来設計。

 猫みたいななりで、おれの腕の中のかわい子ちゃんはやっぱり虎だ。

 ――あ――

 思いさしたのは、とてもいいことな気がした。

 ナイスアイデア、ナイスおれ。

「なぁ、虎」

「…ん」

 行先も決めないそぞろ歩きに、こそこそ話はデートの定番。

「おまえ、中国語で虎のことなんていうか、知ってるか?」

「んもう! 虎は好きくないのっ!」

 だからー。

「マオっていうんだよ。だからマコトにチューオーの央で真央。なんかよくね?」

 素直におれの腕に抱かれながら虎が首を傾げて顔を上げる。

 五十嵐が自分もしているようなナチュラルな色味の少ない、まつ毛だけが瞳を彩る化粧は、子猫のようなアーモンドアイによく似合ってる。

「この猫はおれが見つけたんだから命名もおれ。おれとデートするときは、おまえ、真央な。うん、いい、いい」

「にい…ちゃ――…」

 ぶわっと盛り上がる涙にあわてたのはおれ。

 ハンカチ? ティッシュ?

 おれは五十嵐じゃない、化粧直しなんてできねぇぞ。

「んもう。ハンカチも持ってないの? 待っててあげたのに」

 生意気な。

 人差し指で頬をぬぐってやると虎がはにかんだ。

「女の子って大変……。涙が出てもこすれないんだね。――もう、泣けない…や」

「…………」

「ねぇ、もう少し、このままでいても…いい?」

 いいに決まってる。

 誰かいないのか、知り合いは。

 今こそおれを見ろ。見つけろ吾川。言いふらせ!

 鼻息も荒く肩をそびやかすおれを、虎がその細腕で去勢した。

 男の猛った気分なんて一瞬で消し去る、甘い女の子マジック。

 野郎にされたら蹴り倒しかねない真夏の腕くみが、じわりと汗ばんできてさえ振りほどけない。

「ねぇ。なにか沙織さんに、お礼がしたいな。買い物に行こ?」

「いいけど。そろそろ町田が五十嵐に困ってるだろうから、呼んでいっしょに選んだら?」

「ぇぇっ! 一海さんたち、まだいてくれてるの? …ってか、そだね。一海さんに嫌な思いさせちゃってるよね、おれ。いくら弟でも……、こんなカッコの子に、兄ちゃん、取られたくないよね。おれ、一海さんと仲良くしたかったのに…どうしよ……」

「…………」

 それが本音だよな、虎。

 おれに友だちがいることを、うらやましがってたもんな。

 だからあと3年半、おまえが偽りの自分に耐えて生きるって言うなら、おれも気合を入れて見守ってやる。

「一海はそんなにケチな人間じゃねぇぞ。おれを信じてくれてる。おまえを本当にかわいいと思ってくれてる。全部さらけだすことだけが正しいってことは…ないだろ?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「兄…ちゃん……」

「もう泣けないって言ったの、誰だ」

「だっ…て……」

 助けてくれ、五十嵐。おれには無理みたいだ、女のエスコートは。

 それなのに王女さん?


 そりゃちょっと、ハードルが高すぎるってもんじゃね?

 ――はぁぁぁぁぁ――

 空に、ため息を聞かせてみた午後3時。


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