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王女ちゃんの執事  作者: るー
1/16

第1話 で・eye『加藤さん、きれいです』

1 

 

 高3の5月がこんなに悲惨だなんて思わなかった。

 ゴールデンなウィークっていうのは毎年そこにあるものじゃなかったらしい。

『まだ進路が決まらないなんて。我が校の進学率を落とすのだけは勘弁ねがいますよ、ミスタ・アリ・カトウ』

 いや、おれは加藤(かとう)(あり)なんで、そこんところひとつ。と、毎度むかつく担任のガイコツマンは英文法の教師だけど。絶対にわかっていておれをフルネームで呼んでいる。

 生まれてきてくれて『アリガトウ』だなんて。

 売れない芸人みたいなセンスをひけらかす市役所勤めの父さんがつけた、おれの名前。

 同じく受験生な中3の弟は、加藤虎之介(とらのすけ)

 なんでも虎退治で有名な加藤清正の幼名だそうだけど。退治された虎みたいな根性なしで。おれのお古のスクールバッグやら半強制購入のデバイスやらが使えるという理由で母さんに押しつけられた進学先――つまり来年はマイ・スイート母校――に、文句も言わず進路決定。

 意志薄弱! 日和見主義! 弱肉強食!

 最後のはちょっとちがう気がするけど、仕分けられれば弱肉くんなのはまちがいない。

 おれは自分のことはさっぱりわからないくせに、ヒトのことをわかったふりをするのはムカシから得意だから。

 そんなわけで、ガイコツマンの頭の中もスルッとマルッとお見通し。

 やつは今度のことがあるまで、絶対におれのことなんか眼中になかったはずだ。

 良い子ちゃんでも悪い子ちゃんでもない。クラスの中心にいるわけでも、すみっこでうずくまっているわけでもない。いたって普通。ドラマでいうなら生徒1。

 ただちょっと、今回のことはおれ自身がとまどっている宙ぶらりん。

 反発するわけじゃないけど従わない。

 それって実は、スゲー“自分自身”が必要なことだったなんて。

 始めちゃってから気づいてもなぁ……。


『連休明けには、きちんと進路志望書を提出していただきます。あくまでも当校のカリキュラムに従えないとおっしゃるならば、今からでも、そのへんの公立高校に転校していただいてケッコーですよ。ミスター・アリ・カトウ』だってさ。

 見るからにやる気のない生徒に、さすがにガイコツマンもキレちゃったんだろうが。

 センセー、それはパートに出てまで高い授業料を払ってくれてきた母さんが、泣きまねをするセリフだぜぇ。

 まず泣いて。こっちをビビらせてからブチギレ→ガンギレ→父さん登場。

 あっさり女のうそ泣きにだまされる男に説教されるとか、人生がむなしくなって対決気分もなえるだろ。

 だったら自分のしたいことくらい、はっきりしちゃってくださいよ、おれ!


 そんな状況のまま連休中、ガイコツマンから最後通牒(つうちょう)を突きつけられたことは両親には黙ったまま、ひとりでモンモンと宙ぶらりん。

 なにしろふたりとも、進路は2年生になったときに家族会議で決めた、地元の国立大学・教育学部に向けて着々と進んでいると思ってるから。

 そして末は教師か公務員。

「でも、さあ――…」

 高校の3年間ならまだしも、今度はその先に〈人生〉ってやつが、くっついてるわけだしなあ。

 いいのか、それで? とか思っちゃったわけだ。

 だからって、それじゃどうするの? が思いつけないから、ガイコツマンだって、ついにしびれを切らしちゃったわけで。

「うーん」

 自分のしたいことがわからないなんて、おれってバカ?

 したいことがないから、どこか入れる大学に入って、また4年間考える?

「…………」

 4年後の自分が見えるのが、マジいやだ。

 そのくらいにはおれだって自分のことはわかっている。

 だからもう、クラブ活動に燃えちゃってるような子が、憎らしくてたまらないんですが、それって人間失格?



 あちこちから誰かの食っているものの匂いが漂ってくる、昼休み独特の空気をついクンクンかぎながら、脚はだらだらとガイコツマンのいる英語課教員室に向かっている。

 タイムリミットは放課後なんだけど――。

 勝手に空欄に戻した第1志望に、親の決めた学校名をおとなしく書きこみますか、おれ! な戦いは、どうにも1回じゃ終わらない気がして、まずは第1ラウンド。

 それなのにエレベーターの待ちボタンを押したとたん、こんなときに最もむかつく人種が、おれの人生への戦意をそいでくれた。

 向かいの芸術棟の2階から聞こえてくるギターとドラムの音。軽音楽部!

 音楽室は防音だ。つまりやつらはドアを開けているわけだ。

 リコーダーもまともに吹けないおれが言うのは悪いけど、文化祭でアニメソングなんかやって喜んでいるようなやつらが、めざすのはプロのミュージシャン! だの言うお気楽さはどうなのか。

 うらやましすぎて、いっそ腹立たしいっちゅーの。

「…………」

 考えたのは一瞬。

 静かに開いたエレベーターに乗りこんだおれの指は、めざす英語課研究室のある4階ではなく、ぷちっと2階のボタンを押していた。


 昼休みまでシュミにかまけているなんて、この時期じゃもう下級生に決まっているから。ストレス発散のお説教モード発動。

 ケチな学校はまだエアコンを入れてくれないし。いくらシャツ1枚でも汗をかきそうな夏日でも、ドアを開け放って騒音をまきちらしちゃイカンでしょう。

 おれは、バカでもアホでも最上級生。

 今しか使えない権力は、きっちり行使させていただきますよ。



 エレベーターに乗る前は聞こえていた音が、2階に降り立ったときにはもう聞こえなかった。

 ドア閉めた? or教室に帰った?

 出鼻をくじかれたけれど気分はもうお説教モード。

 ぐわし! ぐわし! と重たい二重ドアを引っ張り開けて音楽室に突撃。

 奥の防音ドアを引いたとたん、耳というより腹に響いた音に「うっ」。

 すがめた目が見たのは、部屋の奥まった場所でドラムを叩く、白い長袖Tシャツの男ひとり。

 おれがドアを開けたのにも気づかないでスティックを振り続けるのは、たぶんそいつが目をつぶっているからだ。

 目をつぶっているのに、空中に浮かんだシンバルにまできちんとスティックが当たるってどういうの?

 し…かし……身体が勝手に揺れる。なんだ、この音。

 背後でドアが閉まるとむっと蒸し暑い部屋で、なにかに取りつかれたように、メシを食ったばかりの胃をゆさぶる高速ビートを叩きだしている男は、部屋中に充満したその音とは、めちゃくちゃ違和感のある小さな顔を汗だくにして、前髪を振りたてていた。

 そんななりで目をつぶったま、頭のはるか上にセットされたシンバルを叩かれると、まるで祈りの儀式かなにかのようだ。

 男が振り上げてシンバルを打った手の甲でうるさげに額の汗をぬぐう。

 いっそ青く見えるほど白い手と、白い額。

 ふぅぅぅぅぅ。

 まず目が見たものを忠実に追いかけながら、おれは耳に残る残響を振り落とすためにため息をついた。

 爆音に揺さぶられていた身体が知らないうちに緊張していたらしい。

 吐いた息はけっこうな長さになって。

 それでこちらの気配に気づいたのか、男がパチッと目をあけた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 男の顔なんか形容できるほど、おれのボキャブラリーは豊富じゃない。

 だからおれの脳は、そこに見えている濡れて額に貼りつく長い黒髪やらデカイ目やら、小さい顔に似合いの細い鼻や真っ赤な唇なんていうものへの感想をひっくるめて、ひと言。

 敵。…で目の前の男を片づけたというのに。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 なんだっておれ達は、いつまでも見つめあったりしちゃっているわけだ?

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 まぬけな沈黙を破ったのは、ほめてやる! おれの口。

「あのさ、外に…音、もれてた、けど?」

「…………」

「…………」

「…………」

 ぽかっと小さく唇を開いたまま固まっていた男の顔が、みるみる赤くなる。

 男のくせに色白で細っこくて。

 白の長袖Tシャツの上から突きだしている、これも細っちい首筋にチラッと見える銀の鎖。

 おれの1番キライなタイプのしゃれおつクン。

「使用許可は? ちゃんともらってんだろうな。こんな昼休みに」

「…………」

 無言でこくこくうなずきながら立ち上がりかけた男のほうからカツンと小さな音がして。

「あ」

 小さく叫んでうつむいた男の足下にスティックが落ちた。

 ころころと床を転がってくるそれを見て、条件反射で拾いにいったおれは、中腰の不安定な姿勢でなにかと激突。

 それが、ドラムセットの後ろから走り出てきた男だとわかったときには、ペたりと床に座りこんだまま、膝立ちの彼と、また見つめあっていた。

「ほれ」

「…………」

 スティックを渡してやっても礼ひとつ返さないことよりも、見下ろされている立場が腹立たしい。

「なんだよ」

「ご、めんなさいっっ」

 握りしめたスティックを胸に押しつけるようにして頭を下げた男の前で、ふと気づく。

 こいつはなにを謝っているんでしょーか?

1。おれに落とし物を拾わせたこと。

2。おれに尻もちをつかせたこと。

3。まさか、おれにみとれた……こと?

 げ――――っっ!

 硬直したおれは、目の前の男がおずおずと目線を上げて、またしてもこちらを見ているのに気づき、指先からピキピキと絶対0度凍結。

 でも喉元まで凍りついたとき、ひくりと眉が動いたのは、やつの目の焦点がズレているのに気づいたからだ。

 どこ見てる? 耳?

 思わず手が耳を隠したのと、やつがため息をついたのはたぶん同時。

「ほんと、近くで見ると、こわいくらいきれい」

「――――!」

 脳内絶叫。

 母さん、こわいよ。こわい子がいるよ。

「や…、うそっ!」

 突然、目の前の男がのけぞった。

 盛大に目と口をあけて、やっぱりズレた視線で、おれの肩のあたりを見ている。というよりもはや凝視。なんだ?

 振り向いても当然そこには誰もいなくて。

 床に着いた両手と尻でずりさがると「やばっ」聞こえた小さな声。

「すみません! なんでもありません!」首筋まで真っ赤にした細っこい身体で正座して、床につきそうなほど頭を下げたやつが、次の瞬間にはバッタのように立ち上がっていた。

「忘れてくださいっ」

 ぺこりと膝まで頭をさげて。

 重たい防音ドアをベニヤ板かなにかのように豪快に押し開けたやつの背中が、ゆっくり閉まるドアの向こうに消えても思考停止。


「な…ん、だったんだあぁあ!」

 防音設備をいいことにして思いきり叫んではみたものの。

 自分の人生を他人任せにするのか、おれ! 勝負の第1ラウンドは、あっさり敗退。

 わけのわからない事態に遭遇しただけで、これほど気持ち悪いのに、わけのわからない人生に突入する勇気なんて、出るわけもない。

「よし。忘れよう……」

 どうでもへたれ人間なのは、ほぼ18年も生きていればわかりきったことだしな。うん。



 それでも放課後はやってくる

 帰りの学活で、いつものように『オールメン、シーユートゥマロー』とかましたガイコツマンは、教室のドアを開けて出ていく前に、じろりとおれを見た。

 はいはい。ここで受け取ってくれようなんて親切は、もちろんないわけね。ちゃんとうかがいますですよ。

 ため息をつきながら立ち上がる。なにしろ用紙はまだ真っ白。

 こうなると、なんだって親に決められた進路をいくことに、こうもこだわっているのか。それすらあやふやだ。

 な~んか、ちがう気がする。とは思う。

 じゃあ、どうちがうのか。

 だから、なんか。

 なんかって、ナニ?

 だから、なんか。

 以上。意見は出そろいました。ディベート終了。

「加藤?」

 呼びかけと同時にうしろから椅子を押されて膝かっくん。

「うわっ」

 ガタガタと騒々しく揺れる机にしがみつきながら、背後でゲラゲラ笑う男の声に、突然ひらめいた。

 中途半端人生の新たな選択肢。

 親の言いなりはイヤ。…な気がする。

 自分のしたいことは、わからない。

 ここでループしていたおれの明日を、助けろ木村。

「て…め。木村っ」

 あいうえお順の出席番号が続きなせいでグループ活動はなんでもいっしょ。

 おまけに習熟度別に仕分けされる英語と数学も同じケージに押しこめられるブロイラーズ。

「なんだよ、おまえがボケラッとしてるからだろ」

「な…」

 いやいや、その暴言はこの際、許す。

 レッツ、ギャンブル。ふってわいた第3の選択肢。

「木村。おまえ、進路志望――どこ?」

「はあ?」

 当然の反応だけど、ルーレットはもう回してしまったのよ、木村くん。

「おれ、ガイコツマンに、今から進路志望書を出さなきゃなんなくてさ。おまえと同じとこにするから、ちっと教えてくれろ」

「なにそれ。愛の告白? おまえ、おれと離れたくないの?」

 目の前の男をぶんなぐりたがる手は握りしめたものの、実はそうでもしなければ、逆にすがりつくかもしれない今の状況。

「うん」と、作りこんだかわいこちゃんモードでうなずくと、木村はなぜか視線をふせた。

「東大」

 ――――は?

 聞こえた音の意味するものを理解したときには、木村の姿はもう廊下に消えていて。

「なんだっ、てえええええ!?」

 髪の毛をかきむしりながら、本日2度目の絶叫をかましたおれは、その18分後にはガイコツマンを前に、腹話術の人形のようにアゴを落としていた。


「どうしました加藤くん。書類は確かに受け取りましたよ。ほかになにか、ご用でも?」

 いやセンセ、だってここは止めるところでしょ。ほら、大学の正式名すら書いてないし。進学率を落とすのは許さん! と、おっしゃったのは、そちら様ですよ。

 口をぱくぱくするだけで出てこない言葉に身もだえるおれに、ガイコツマンがにたりと笑う。

「しかしこうなると、夏の補講はすべて受けていただいたほうがよろしいでしょうねぇ。ほれ、時間割と受講料振込み票、用意してございますよ。まだ充分間にあいますから、わたしもお電話して、保護者のかたにしっかり! 事情を説明しましたら、万全のサポート体制を取らせていただきますから。がんばってくださいね、ミスタ・アリ・カトウ」

「…………」

「ん? まだなにか?」

「…………」

 ハマッた。

 この一件で、透明人聞からダメ人間に昇格したおれは、ガイコツマンにとってはもう世話の終わったブロイラー。

 教師が堂々と生徒を出荷用コンベアーに載せられるネタを、わざわざ差し出しちまったとは。

 バック・トゥ・ダ・18分前のおれ! ってか、木村コロス。なにが東大だ。

 いや、そんな口からでまかせ男のひと言に『そうか。こっちがまだ決められないなら、あっちに却下されればいいんじゃん?』なんて。情けなくも勝ち誇った誰かさん、求む猛反省。


 とほほ気分でエレベーターに乗って。1階ボタンを膝げり。

 はあああぁああ、と腹に溜まった怨念を吐きながら、開くドアの気配に、お受験ゾンビ戦士、一歩前へ。

 とたんに胸にぶつかってきたなにかによろけて、またエレベーターのなかに逆もどり。

「…ってえー。気をつ…ぅっ」

 そこでうなったのは、なにかに百トンの重さで圧しかかられたからだ。

 ドン! と鈍い音を立てて背中が壁に激突。

 悪夢のデ・ジャ・ヴ。勝手に押された再生ボタン。

 おれを身動きできなくしたのは、もやし並に細いくせに、重たい音楽室の防音ドアをバン! とひと突きで90度押し開けた異世界人(エイリアン)

「ちょ、おま」「ちくしょ! まさか、こんなとこで……」

「おい」「なんなんだよ。な…んで、おればっかりっ」

「おいって? こら」「逃げないと! どこか遠くに行かないと!」

 まったく会話にならないまま、どちらもボタンを押していないのにエレベーターが動き出す。

 なんだよ? どこに行くんだよ?


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