第5話 はじめてのダンジョン
「どうやら、これがフランツィアから僕たちへのお・も・て・な・しらしいね」
エドワードの手の中にある潰れた魔導具を見て紫は頰を引き攣らせた。どう考えても人間の握力で潰せるようなものではない。
「そうだな。ああ、全く大したおもてなしだ。心がこもっているよ」
そう言うレオンの目には殺気が宿っており、今にも腰の剣に手を伸ばしそうだ。
「やっぱり、あの王様何か企んでると思ったのよ」
一方、オリヴィアは沈着冷静な様子だ。
「私も一応は貴族令嬢として社交界に身を置いていたことがあるからね、人の悪意には人一倍敏感なのよ。盗聴程度ですめばいいけど、あいつがユカリちゃんを見る目…。何事もなければいいけど」
オリヴィアは思わせぶりにため息を吐いたが、紫は彼女の言葉の真意が気になって仕方がなかった。
「それってどういう…」
「大丈夫だよ!いざという時は僕たちがユカリチャンを守るから」
エドワードは紫にウィンクをして言った。
図らずもオリヴィアの予想は後に現実となるのであった。
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「ダンジョンに潜る」
旅の道中、急にセオドアがそんなことを言い出した。
「魔王を倒すためにはある程度実戦に慣れておく必要がある。ピエリアの剣があるとはいえ、剣を振るう前に倒されてしまっては意味がない。訓練のためにもマニヨン洞窟へ行く」
一行は南へ進み、フランツィア王国の中でも最大級の規模を誇るダンジョンマニヨン洞窟がある町ニームへ向かった。
フランツィア南部にある都市ニームは、マニヨン洞窟をはじめとしたダンジョンが数多あり、冒険者ギルドもあるため、冒険者の町としてよく知られている。町は景観より機能性重視といった感じで城壁に囲まれており、多くの冒険者がそこで仕事をしている。そして、あまり治安が良くない。
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「私とレオンは前衛、オリヴィアとエドワードは後衛で魔法の支援、ジェイミーは全体の探知をしつつ臨機応変に対応しろ。あと、魔石拾いだ。ユカリは…そうだな、最初はよく見てろ。」
セオドアはてきぱきと指示を出し、皆それに従って動く。皆はいつもの騎士服ではなく、冒険者らしい格好をして腰に剣をさしている。紫は、剣の柄を握りしめ、緊張した面持ちだ。
ダンジョンは冒険者たちの姿でごった返していた。紫は最大限警戒して周囲を見回してみたが、ここは本当にダンジョンなのかと疑いたくなるほど敵の姿が見えない。
「マニヨン洞窟は有名なダンジョンだから五階層までは観光地化されていて、誰でも入れる。攻撃性のある魔物もほとんど湧かない。だが、それも5回層までだ。6階層からは最大限警戒しろ。ユカリ、ダンジョンは熟練の冒険者、或いは騎士でも普通に命を落とす、そんな場所だ。有事の際は自分の命を守ることを最優勢しろ。なにせお前は唯一の勇者で、王国の希望だからな」
セオドアは険しい顔で言った。紫も彼の言葉を聞いて改めて気を引き締めた。だが、なぜだろう、先ほどから震えが止まらない。彼女は他の者に悟られまいといつも通り装った。
「はい。ダンジョンに入るのは初めてですが、皆さまの足手まといにならないように頑張ります」
そこからは何事もなく進んでいった。階層を経ることに段々人は減っていき、5階層に着いた時にはもう人はまばらになっていた。
「ここからいよいよ6階層に入る。今日は初めてだから潜るのは10階層までだ。正直、魔物はそんなに強くないが、それでも例外はある。セーブポイントまではくれぐれも気をつけろ。敵は魔物だけじゃない。」
セオドアは最後にそんな意味深な言葉を吐き、自ら先導する。それに従って一行も動き出す。
ダンジョンは、洞窟というだけあって薄暗く、湿った空気が流れている。
「前方、トーピの群れがいます!」
ジェイミーが声を張り上げる。
「エドワード」
「応」
セオドアがエドワードに指示を出した。紫は前方に目を凝らすが、まだトーピらしき魔物の姿は見えない。しばらく進み、角を曲がった時、ネズミらしき小さな魔物の群れが視界に入った。
エドワードが魔法で炎を放ち、トーピを焼き払う。それを見届けたジェイミーがトーピの小さな魔石を回収する。
そんな調子で一行は進み、7階層のボス部屋の前まで辿り着いた。
「先に言っておくと、ここのボスはゴブリンだ。群れで出てくるとやっかいだが、一匹だとそれほど脅威にはならない。ユカリ、今まで見ているだけで退屈だっただろう? 俺が足元を狙って攻撃するから、その剣でとどめを刺せ。」
「…はい」
セオドアが急にそんなことを言い出し、紫は驚きつつも返事をした。今までは見ているだけだったが、次からは自分も戦う。紫はその事実に震えた。いや、実際震えが止まらない。止まらないどころか、ますます酷くなっていた。これには流石に他の仲間も気付かないわけにはいかなかった。
「大丈夫よ、ユカリちゃん。私たちがついてるから」
いち早く彼女の変化に気づいたオリヴィアはそう言い、震えている紫の肩に手を置いた。
「オリヴィアさん、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。」
紫は空元気で返事をし、震えを誤魔化すように剣を握る手に力を込めた。オリヴィアは、そんな紫の様子を心配そうにじっと見ていた。
セオドアが扉を開き、ボス部屋に突入する。部屋の中央後方にそれはいた。緑色の肌に醜悪な顔、手には棍棒を持った、一度見たら忘れられない魔物、ゴブリンだ。確かにセオドアが言った通りゴブリンは一匹だけだった。
セオドアが目にも留まらぬ速さで剣を振るい、ゴブリンの両足を切断する。あまりの速さにゴブリンは何が起こったのか分からず、膝をつき困惑していた。
「ユカリ」
セオドアに呼ばれ、紫は剣を構えてゴブリンに接近する。足が鉛のように重く、うまく進めない。人間なら誰しもが持つ感情、恐怖が邪魔をしていた。それでも紫は前を進み、ゴブリンに向かって剣を振り下ろそうとした時、ゴブリンはようやく紫を敵と認識した。
「グギャギャ」
ゴブリンは即座に戦闘態勢に入り、手に持っていた棍棒で紫に襲いかかった。
「いやっ…!」
紫はあまりの恐怖に尻もちをついて目を瞑り、来るべき衝撃を待った。
ところが、いつまで経っても衝撃がこない。紫は恐る恐る目を開くと、首を刎ねられたゴブリンと彼女の間にレオンが立ちはだかっていた。彼が助けてくれたのだと認識した途端、紫は堪えていた涙が溢れた。様子を伺っていた他の皆は心配そうに駆け寄る。
「今日はここまでだ」
一連の様子を眺めていたレオンは静かに告げた。