北へ
新幹線は時速三百キロ近く出るらしい。
近づいて来たと思ったらあっという間に通り過ぎていく光景に、未明は窓に鼻先をくっつけるようにして見入っていた。その口は終始ポカンと開きっ放しだ。
門屋から教えてもらった場所への移動手段に、康平は電車を選んだ。自動車を使うことも頭をよぎったが、六時間も七時間も乗せていたら未明が酔うかもしれないと思ったのだ。
彼女は在来線に乗ったときも興奮を隠し切れないようだったが、新幹線になると更に驚きの境地に至ったらしい。
大宮で新幹線に乗り換え、走り出してからすでに三十分は経っている。その間、未明の視線は窓の外に釘付けだった。
そんな彼女を横目で眺め、三歳児でも見せないその驚嘆ぶりに、康平は満足感を覚える。
(次は飛行機だな)
電車でこれなら、空を猛スピードで飛ぶ飛行機となったらどんな反応を見せるだろう。
今でも充分見開かれている栗色の大きな目が、本気で転げ落ちるかもしれない。
実に楽しみだ。
更に三十分程が経過した頃、仙台駅に停車すると、ようやく未明が身じろぎをして座席に真っ直ぐ座り直した。
はふ、と息をついてから康平を見る。
「……本当に、凄い。いったい、どんな仕組みになっているの? こんなに長い間、こんな速度で動けるなんて……」
どうやら、速度そのものだけでなく、それが落ちないことにも驚いているようだ。
輝く瞳は明らかに回答が得られるものだと期待に満ち満ちているが、当然、康平の知ったことではない。彼は肩をすくめて答える。
「仕組みなんか俺にも解らねぇよ。……よく乗ってるけどな」
恐らく、日本人の大半が同じ考え方だろう。だが、彼は、未明から信じ難い者を見る目を向けられた。
「何も知らなくて、こんな恐ろしいモノによく身を任せていられるわね……」
「大丈夫だって、完璧に安全だから。頭イイ人がちゃんと考えてんだよ」
事故ったらその時はその時だろ、とは、思っていても口には出さない。
「ほら、また発車するぜ。次で降りるからな。後一時間くらいで着くから」
『田舎者』の相手をするのも面倒くさく、康平は適当にあしらっておく。彼の狙い通り、未明はどうしても動き出した窓の外に目が行ってしまうようだ。
静かになって、康平はやれやれと目を閉じる。
平日早朝の下り新幹線は空いており、人の気配は乏しい。
微かな振動が心地良く、康平はいつしか浅い眠りに落ちていった。
それは、ごく短い時間だった筈だ。
ふと目を開けると眉根を寄せた未明の顔がすぐ目の前にあって、ぎょっとする。
「! 何だよ?」
康平は咄嗟に身を引いてそう訊いたが、彼女は口を噤んでいる。
「おい?」
もう一度、訊く。
すると、やや迷った様子を見せた後で、未明はポソリと言った。
「あなたは、よくうなされてる」
「はあ? 俺が?」
「そう。夜とか、寝室の前を通った時に、聞こえてくることがあるわ」
自分では、気付いていなかった。
――何故……いつからだろう。
そう自問して、すぐに答えは出た。
目の前のこの『少女』の所為だ。未明が悪いわけではない。だが、彼女の存在が、記憶の底に押し込んで蓋をしていた康平の中の触れてはいけないものを刺激しているのだ。
「……気のせいだろ」
彼が素っ気ない声でそう答えると、何か言いたそうな顔をしながらも、未明はそれ以上追及してこなかった。フッと視線を落とし、座り直して窓の外に目を向ける。
それきり、二人の間には沈黙が横たわり、新幹線が盛岡駅で停車するまで、どちらも口を開かなかった。
再び在来線に乗り換え、電車に揺られること二時間。ようやく、釜石市に到着する。
駅前に取ったビジネスホテルの部屋は、ツインルームだった――外見年齢十歳の未明を一人で泊めるわけには行かないし、何よりも彼女を突け狙う襲撃者に備えてのことだ。新幹線の中でのことがあって、康平の中には部屋を分けようかという考えがよぎる。しかし、別々に夜を過ごすのはリスクが大き過ぎた。彼の中の問題よりも未明の問題の方が大きく、どういう選択をすべきかは、自明の理だった。
康平は溜息をついてルームキーを受け取ると、エレベーターに向かう。
「行くぞ」
さっさと歩き出した康平を、未明が小走りで追いかけてくる。
エレベーターの中は二人だけだ。
康平はちらりと未明を見下ろし、ようやく聞き取れるほどの声で言った。
「すまなかったな。お前のせいじゃない」
「え?」
唐突な謝罪に、未明がきょとんと彼を見上げる。康平は言ってしまってから後悔の念がよぎったが、出してしまったからには、仕方がない。
「新幹線の中でのこと。別に、お前のことがわずらわしいとかお前の話にショックを受けたとか――とにかく、お前のせいじゃない」
「……そう」
康平の言葉に、ホッとしたように未明の口元が緩む。やっぱり気にさせていたか、とは思ったが、彼は、それ以上の言葉は持っていなかった。
「またうなされてたら、起こしてあげるわ」
「……そうだな」
あっさりとした未明の言葉に、何となく彼の気分も軽くなったような気がした。