門屋という男
朝食を終えると、康平は次の行動を切り出した。
「もう外に出てもいいんだよな? なら、俺の知ってる古物商のとこに行くぜ」
「古物商?」
「そう。いわく付きの物をよく取り扱う奴で、眉唾な話もよく知っている筈だ」
「眉唾……」
彼女にとっては至極重要なことをキワモノ扱いされたためか、未明が複雑な顔をする。
「何変な顔してんだよ? 食い終わったんなら、行くぞ」
「はぁい」
康平が促すと、彼女は食器をキッチンに運んで水に浸けた。習慣付いたその行動に、短い間にだいぶこの世界に馴染んできてるよなぁ、と感心する。別に彼がそうしろと言ったわけではないのだが、どうやらネットからありとあらゆる情報を仕入れているらしい。
未明は、驚く、いや、呆れるほどに、ためらいがない。
同じ地球上でも国が変われば文化も変わる。未明の場合は国どころではなく世界が変わっているのだ。普通の神経ならば、食事一つにしても、口にするのをためらいそうなものなのに。言うなれば、転勤を繰り返している家庭の子どものようなものなのだろうか。
「康平、準備できたよ」
一度部屋に戻った未明が戻ってきた
「ああ、じゃ、行くか」
康平は飲みかけのコーヒーを流しに捨てて部屋の鍵をポケットに入れる。
古物商は、康平が住む新宿に店を構えている――正確に表現すると、店というよりは事務所かもしれない。雑居ビルの一室が『店』なのだが、店主いわく「研究九割、商売一割」らしい。由来の解らない妖しいモノが所狭しと置かれているのだ。特に看板を出しているわけではないのだが、人伝で情報が伝わり、一部の者の間では有名人だ。
店がある場所は康平の住んでいるところからはそこそこ距離があるが、歩いて行けないほどではない。特に急ぐ理由もないため、彼は徒歩を選んだ。裏通りなので、先日の買い物の時のような人混みはなく、今度は未明もじっくりとこの世界を観察できているようだ。
「この間は人ばっかりで何も見えなかったけど、やっぱり、この世界の『機械』って、スゴイわ」
青の点滅から赤に変わった歩行者用の信号機を、未明は口を開けて見上げている。
そんなもの一つに感心する様子を見るのは、正直言って面白い。
「……ちょっと、何にやにやしてるのよ?」
膨れっ面で見上げてくる顔は、まるきり子どもそのものだ。これが、彼の記憶にぼんやりと残る美女と同一人物なのだと言われても、さっぱり信憑性がない。
「別にぃ。何でもねぇよ」
少しも『何でも』なくない表情に、未明はより一層、頬を膨らませる。
「いいわ。あなただって、私の本気の魔術を見たらびっくりするに決まってるんだから」
「そりゃ、是非ともお目にかかりたいもんだね」
内心ではそんな羽目には陥りたくないと思いながら、康平は軽口を返す。「今に見てなさい」とか何とか下の方から聞こえてきて、彼は笑いを噛み殺した。
そんな軽いやり取りをしながら、やがて目当てのビルが見えてくる。
「――ここだぜ」
着いたのは、古臭い、七階建てのビルだ。看板は胡散臭い金融業者や何たら興業など、いかにも真っ当ではなさそうなものばかりが出ている。
消防法に間違いなく引っかかる、ごちゃごちゃと物が置かれた狭く薄暗い階段を上って四階に辿り着くと、表札も何もない扉があった。一応、チャイムを鳴らすが、返事がないのはいつものことで、待つことはせずにそのままドアを開けて中に入る。
「……どなた?」
康平からすればガラクタにしか見えない代物と、古臭い紙の山の向こうから、間の抜けた声がした。
「俺」
「『俺』じゃ判らないよ、康平君。不法侵入で警察呼んじゃうよ?」
「判ってんじゃねぇか」
辛うじて床が見えている場所を選んで奥に進むと、唯一の家具と言ってもいいデスクに到着した――その上も書類だか本だかで埋め尽くされている。
「やあ、こんにちは。ご無沙汰だねぇ」
少なくとも四十路は越えているだろうこの男は、名を門屋宗助という。ひょろりとした面長の顔に丸メガネ。顔立ちは三秒目を離したら忘れてしまいそうなほどに淡白だ。ぼさぼさの髪を後ろで一つにくくっており、容姿にも身にまとう空気にも、覇気の欠片も感じられない。
「今日はどうしたの? 後ろの彼女は誰?」
未明は康平の陰に隠れて見えない筈だが、門屋はケロリとそう言った。こんな物騒な雑居ビルで、戸に鍵もかけずに平然と過ごせる男だけのことはある。
康平は、背後にいた未明を前に押し出した。
「こいつは、未明。俺の今の依頼人だ」
「依頼人? こんなお嬢さんが?」
門屋はそう言ってずり落ちてきていたメガネを押し上げ、しげしげと彼女を見つめる。
「へぇ……」
メガネの奥の糸のように細い目が、ジッと未明に注がれ、居心地が悪そうに彼女が身じろぎする。
「面白いねぇ」
ポソリと呟いた言葉は、どんな意味だったのか。
門屋はニッコリと笑うと、康平に視線を戻した。
「で、どんな用?」
「ああ、おたく、アヤシイ骨董品なんかの研究をしてるんだろ?」
「アヤシクなんかないよ」
鼻息を荒くする門屋は無視して、康平は続ける。
「ヒ……何だっけ?」
度忘れして未明を見下ろすと、彼女は門屋から目を離さずに答えを寄越す。
「ヒヒイロカネ」
「そう、ヒヒイロカネって、聞いたことないか?」
未明に正されながら康平がそう訊くと、門屋が目を丸くして彼を見上げた。
「君がそんなものに興味を持つなんて、どうしちゃったの?」
「どうでもいいから、教えてくれよ」
「まあ、そりゃ、知ってるよ。伝説の鉱物の一つだよね。赤く輝く金属で、磁石にくっつかないんだって。そう聞くと、銅っぽいけどなぁ。大昔にその製法は失われてしまったと言われているけど、結局は『鉄』なんじゃないかって。一説によれば、餅鉄っていう磁鉄鉱の一つのことだとも言われている。餅鉄っていうのは、普通の砂鉄よりも純度が高くってね。より強い鉄ができるから、精錬技術が未発達だった時代には、いい刀の原料として魔法の代物のように扱われたかもね。まあ、それを製鉄した後、一工夫したらヒヒイロカネになるとかならないとか。西洋のオリハルコンと同じだっていう説もあるけど、あっちは銅系らしいしねぇ。ああ、そうそう。かの有名な草薙の剣――天叢雲剣はヒヒイロカネでできているという人もいたなぁ。ホンモノだったら、是非とも欲しいよね」
息継ぎをしているとは思えない流暢さで門屋はつらつらと言い切った。
うっとりと、涎を垂らさんばかりに中空を見る彼を、康平は気色悪そうに見遣る。
「それじゃ、結局のところ、『伝説の鉱物』でもなんでもないんじゃないの?」
「まあ、そうだね。でも、そんなもんでしょ? 当時にすれば、優れた鉄剣は魔剣とか神剣とか呼ばれても不思議はないでしょうし。二千年前にチタンでも持っていったら、それこそ『伝説の金属』になるよ、きっと。剣を作ったら、『軽くて強くて錆びない』、まさに魔法のような代物だね。要は『浪漫』ですから。謎が謎のままでも浪漫、謎を解くこともまた、浪漫、てね。ま、気になるなら岩手でも行ってみれば? 餅鉄の産地としては、一番岩手が有名だよ」
観光にでも誘うかのように軽く言われ、康平は未明を見下ろした。
「どうする? 他に取っ掛かりもないし、取り敢えず行ってみるか?」
「ん……何もないよりかは、いいかもね」
どうせ確かなものなど何もない。ならば、微かな繋がりから探っていくしかないだろう。
――ゼロではないだけマシだ。
「ありがとよ。また、何か思いついたら教えてくれよ」
「そっちも、何か判ったら、教えてちょうだいな。報酬は、調査結果ということで」
「安い報酬だな」
「僕にとったら、何よりも大事なものだよ、情報は」
そう言いながら、門屋はデスクの向こう側からヒラヒラと振ってくる。
「じゃあね、気を付けて行ってらっしゃい」
それは、単なる旅へと送り出すものに対する社交辞令なのだろう。だが、康平には、何か含みがあるように感じられて仕方がなかった。
「ああ。じゃあ、またな。行くぞ、未明」
何かモヤモヤしたものを残しながらも短く返して、康平は少女を促した。
ビルから出ると、まるでそれまで息を詰めていたかのように、ハフ、と未明が息をつく。そうして、チラリとビルを見て、康平を見る。
「ねぇ、康平。あの人って――」
言いかけ、彼女は口を止めた。
「門屋か? 何だ?」
眉を上げて水を向けると、未明はまたビルを見上げた。ジッと、宙を見る猫のような眼差しを留めていたが、やがて小さくかぶりを振った。
「――ううん、やっぱり何でもない。帰ろ」
そう言ってさっさと歩き出した小さな背中を、康平は眉をひそめて見つめた。
「何なんだ?」
訳が解からなかったが、そもそも、彼女の存在自体が意味不明なのだ。
康平は小さく肩をすくめ、未明を追った。