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暗黒神話  作者: トウリン
帰着

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そして、ありふれた日常へ

 帰り道。


 康平と未明みあかは戦っていた――ネタは、本日の夕食について。


「だから、私が作るってば。やらせてよ」

「いい。食事は、一生俺が作る。あんな悪夢はゴメンだ」

「でも、やらないといつまでたっても上達しないでしょ?」

 そう言って、未明は康平の腕にすがってくる。ピタリと彼女の身体の前面が彼の腕に密着した。


 その手から、彼はさりげなく逃れる。

 この外見になってから、康平は、少々彼女の扱いに困っていた。何しろ微妙な年頃なのだ。以前の姿なら、そもそも『そういう気』が起こらなかった。当然だ。あんな子どもの姿にサカるようだったら、単なる変態だろう。大人の姿の時なら、何をしても許される――本人の同意があれば。

 だが、今の姿は、手を出すには躊躇する年のようだというのに、不意に、妙に大人びて見えるのだ。その上さらにたちが悪いことに本人にこれまでとは違うのだという自覚がないから、何もためらうことなく接触してくる。


 未明があの『魔道書』を身体に受け入れた時、彼女は十歳程度だったらしい。だが、その後、どれほどの時が流れたのかは、判らないという。一年かもしれないし、百年かもしれない――あるいは千年……万年。自分が実際にはどれほどの年なのか判らないのだと、彼女は少し寂しそうに言った。

 未明の中身が何歳なのだろうと、それ自体はある意味どうでもいいことだ。未明は未明で、見てくれが赤ん坊だろうが老婆だろうが、関係ない。だが、彼女に対してナニができるかという点には、大いに外見年齢が影響する。


 後、五年――いや、せめて三年。

 そのぐらいは待たなければ、ならないだろう。


 深々と溜息をついた康平に、未明がへそを曲げる。

「そんなに、イヤなの!?」

「そうじゃねぇよ。それじゃ、逆に、何でそんなに料理したいんだよ。作ってやるって言ってるだろ? 明らかに俺の方がうまいんだし、だいいち楽でいいじゃねぇか」

 康平のその言葉に、未明の足が止まった。

「未明?」

「だって……今までは、――」

 何かを言いかけた未明は口をつぐみ、顎を引き気味にジッと上目遣いで見つめてくる。いや、本人は睨んでいるつもりかもしれないが、迫力は皆無で破壊的な愛くるしさしかないのだ。

 やめてくれよ、それ、と康平は目を逸らす。反抗的だから耐えられるが、一言「お願い」とねだられれば、月を取ってくれという願いにだって頷いてしまうだろう。


 そんな愚かな弱さをごまかして、康平は先を促す。

「どういうことだよ?」

 今度は、未明の方から視線を横に流した。

「未明?」


「――らなかったの」

「え?」

「『料理』を知らなかったの! 他にも、色々。今までは、ただ命を守ることだけが目標だったから……。食べ物の味なんて考えたことなかったし」

 未明のその言葉に、康平はハッと胸を突かれる。

 確かに、『命を保つ』ことと『生きる』ことは似て非なるものだ。それは、康平自身も知っている。


 うつむいている未明のつむじを、康平は見下ろす。

 突然胸に込み上げてくるのは、どうしようもないほどの愛おしさだ。


 手を伸ばして、頭を撫でる。

 だが、それだけではこの気持ちは収まらない。

 両腕を伸ばして捉えた身体を、引き寄せる。


「康平?」

 胸の辺りでモソモソと未明の声が響くが、構わず腕に力を込めた。丸い頭を抱え込むようにして、前よりも届きやすくなったそれに顎をのせる。


「しょうがねぇな」

「?」

 腕の中で、未明が首を傾げたのが判った。


 ――ああ、もうどうしてくれよう。


 彼女のそんな些細な仕草で、康平の胸は息もつけないほど締め付けられる。

 自分の中に、誰かをこれほど強く想う気持ちが生まれようとは、思っていなかった。きっと、一生、独りで生きていくのだと思っていたのに。


「もう、何でも付き合ってやるよ。あの死にそうにクソまずい料理だろうが、なんだろうが」

 康平の言い草に未明が抗議の声をあげるのが聞こえたが、彼は笑って受け流した。


 これが、『幸せ』というものなのだろう。

 こうして未明を腕の中に入れていると、幼い頃に失った何かを、取り戻したような気持ちになる。


 もう、二度と手放したくない――手放せない。

 この温もりがあれば、この温もりさえあれば、果てしなく拡がっていく未来が見える。

 この温もりがなければ、きっと、明日の朝日を見ることもできなくなる。


 だから、けっして失えない。

 その想いが、彼の腕に力を籠めさせる。


 苦しくなってきたらしい未明の手がパタパタと彼の背中を叩いて、康平はひと息漏らしてから渋々と彼女を解放した。


 再び未明と並んで歩き出しながら、彼は心中で祈る。

 

 この時が、明日も、明後日も、続いていくことを。


 永遠ではなくていい。けれども、未明が――彼女が生きている間だけは、この平凡で穏やかで退屈極まりない日常が続いていくことを。


 彼は何よりも切実な想いを込めて、祈らずにはいられなかった。


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