義務と冀望
――望むものは手に入ったよ。さあ、どうする?
問いかけの声は響いてきたけれど、高みから見下ろしてくる異形の姿はなく、この場にいるのは彼女独り。
彼女の迷いを見守るものは、もういない。
彼女に選択の問いを投げかけるものは、もういない。
きっと、もう二度と訪れない。後はもう、彼女が選ぶだけ。
たった今、淡々と訊ねてきたのは、彼女自身の声だ。
目が醒めたら、決断しなければならない。
だから、未だ答えを見いだせていない彼女は夢の中をたゆたいながら、さらにその奥へと潜っていく。
――このまま、眠りの底にいられたらいいのに。
切実に、そう思った。
心地良い眠りに身を任せ、何も選ばずにいられたら、と。
――でも、それはできない。
『ミアカスール』に――『希望をもたらすもの』に、『逃げる』という選択肢は許されていない。何かをするにしても、しないにしても、どんな時でも、彼女は選ばなければならないのだ。
この世界にとって間違いのない最善の道は、彼女だって判っている。
これまで何度も何度も繰り返してきたように、今度もまた、旅に出る。
これから先も、永遠に、それを繰り返していく。
それが、正しい方法。彼女が選ぶべき道。
――だけど、私は……
その方法を、彼女は望まない。それは、彼女の望む道ではない。
彼女がすべきこととしたいことは、真逆の方向に伸びていた。
合致することのない義務と冀望に、彼女の身は引き裂かれそうになる。
これほど永い時を彷徨ってきて、こんな迷いを抱くことなど、今までなかったのに。
彼女は、いつだって、すべきことを選べてきたのに。
――でも、私は、彼に逢ってしまった。
それゆえ、シンプルに、すべきことを選ぶことができなくなってしまった。
したいことを選びたいと、願うようになってしまった。
この世界に足を踏み入れなければ、彼に逢うことがなければ、良かったのだろうか。
ご飯を美味しいと感じること。
静かな夜を寂しいと感じること。
青い空を見て美しいと感じること。
そう感じることに頷いてくれる誰かが、隣にいてくれること。
傍に誰かがいて、触れられて、温かいと感じること。
自分は独りではないと、実感できること。
孤独を、つらいと感じること。
それら全て、この世界に来て、康平に出逢うことがなければ、知らずにいられた。
知らずにいられたら、それを失うことを恐れずに済み、それを失いたくないからと迷うことも苦しむこともなかった。
――だったら、ここに来なければ良かった? 彼に出逢わなければ良かった?
再び彼女は自問した。
答えには、迷わない。
ほんのわずかなためらいも必要とせず、その問いには『否』としか言えなかった。
この世界に来て、彼女は幸せだった。
手に入れた喜びだけでなく、失うことへの恐怖ですら、彼女にとっては大事な宝物になった。それまでの彼女は、本当に何も、何一つ持っていなかったから。
だから彼女は、今まで渡ってきた世界のどこよりも、この世界を守りたいと願っている。
康平がいるこの世界を、彼女にたくさんのものを与えてくれたこの世界を守りたいと、切望している。
この世界で、康平の隣で、生きていきたい。
ただ、傍に居るだけでいいから。
それなのに、彼女がいるとこの世界が壊れてしまう。
彼女の存在そのものが、この世界にとっては癌なのだ。
彼女は、ここにいてはいけない存在なのだ。
だから、本当はすぐにでも、ここを発たなければならない。
すべきことと、したいこと。
――康平……康平。私は、どうしたらいい?
魔力を回復する眠りの中、巨大な振り子時計の振り子のように二つの選択肢の間で揺れ動く彼女の眦から、涙が一つ、零れ落ちた。




