つながり
未明に言われて急ぎ壇ノ浦古戦場跡に向かった康平は、広場の端の方に立って海を睨んでいた。何があってもすぐに対応できるように、未明は右腕だけで抱き、左手は空けてある。
朝はあれほどの晴天だったというのに、海底トンネルから出てみると打って変わって空には重苦しく雲がたちこめ、海は荒々しく波立っていた。こうやって柵際に立っていると砕けた波の飛沫が飛んできて、康平は脱いだジャケットで未明を包みこんでから抱え直した。
(これも、未明が言っていた『旧き神々』とやらのせいなのか?)
康平は空と海とを眺めて眉根を寄せる。
この荒天は、恐らく、気圧がどうのこうのとかそういう自然の摂理とやらに由来するものではない。
肌を逆なでされるような不快感が、彼にそう伝えてくる。
何か、この世界には属していない、異質な力がもたらしたものだ、と。
そんなふうに感じるのは、未明と魔法でつなげられているからなのだろうか。
康平は左の手のひらに目を落とす。
今は何も見出せないが、そこに刻まれている文様から伸びる不可視の鎖で彼と未明はつながっているのだ。
それを介して、康平は未明を守る力を行使する。
(まあ、使い過ぎりゃ守る相手の命を食い潰すってんだから、守ってんだか守られてんだか判ったもんじゃないけどな)
は、と自嘲の笑みが漏れた。
使いたくはないが、使わなければ彼女を守れない。
そんな厄介な代物ではあるが、未明との数少ない明らかなつながりであるそれを、最大の欠点を知らされてからも康平は手放すことができなかった。
彼はそこにある見えない鎖を握り込むように、拳を固める。
それが物理的なものであるならば、決して離しはしないのに。
小さく息をつき、康平は肩にもたれかけさせた未明の寝顔を横目で窺った。
未明がこの世界に残りたがっているということは、伝わってくる。だが、世界か自分の望みかという究極の選択を迫られたとき、果たして彼女はどちらを選ぶのか。
何が何でも未明は自分の望みを――康平との未来を選んでくれるはずだという確信は持てなくて、彼の胸の中は目の前の海よりも波立ってしまう。
(俺か、世界か)
普通に考えて、後者に軍配が上がるのは当然だ。
そんなのは判り切ったことだったが、しかし、それでも、康平は未明に彼を選んで欲しかった。
彼は胸の中のモヤモヤとしたものを吐き出すように、息をつく。
と、その時、海の中に波以外の何かが見えた気がした。
康平は目を凝らしてそれを追う。
魚にしては大きいが、かといって、アザラシとか、そういうものではなさそうだ。イルカにしては色が薄くて、頭が丸い。海獣ではあるようだが、康平はその生き物の名前を知らなかった。それは一頭だけで、明らかに浜を目指して泳いでいる。
「なんだ……?」
思わず呟いた康平の腕の中で。
唐突に、それまで身じろぎ一つしていなかった未明が身体を起こす。
「未明? 戻ってきたのか?」
「康平、あれを受け取って」
呼びかけた康平に答えたふうではなく一方的にそう言うと、彼女はスウィッチが切れた電気仕掛けの人形さながらに、またコトンと彼の肩に頭を落としてしまった。
「あれって、何だよ……?」
訳が判らないまま、取り敢えず康平は海岸に下りてみることにした。
彼は身を乗り出して柵の下を覗き込む。高さは二メートルかそこらか。
未明を肩に担ぎ直して柵を乗り越え、彼女の頭を片手で自分の肩に押し付けながら康平は飛び下りる。そこそこの衝撃で、彼は未明がうっかり口の中を噛んでしまってはいないかと心配になった。力の抜けた唇にそっと指を差し込み中を探ってみたが、出血らしいものはない。
康平は柔らかな唇を親指でなぞってから、その感触を振り切るように海へと目を向けた。
謎の生物はかなり近づいてきており、もうじき浜に到着しそうだった。
だが、岸まであと少し、というところでグルグルと旋回し始める。どうやら水深が足りずにそれ以上は近づけないらしい。
「しゃぁないか」
ため息混じりにぼやいた康平は肩から下ろした未明をコンクリートの壁に寄り掛からせると、顔をしかめながら海へと入った。水の深さがちょうど彼の膝に届く辺りまで進んだ時、数メートル先でとどまっている海獣がヒョイと頭をもたげた。それは口にくわえた何かを康平に示す。
棒状のものだということだけは見て取れたが、すぐにまた水面に潜られてしまったからはっきり何かは判らなかった。
海獣は康平が辿り着くのを待ってはくれず、それきりスイと流線形の身を翻して岸から遠ざかって行ってしまう。
「おいおい」
呆気に取られて康平は立ちすくんだが、もしかして、と思い当たった。あまり波を立てないように海獣がいた辺りまで行って、海底に目を凝らす。
(あった)
揺らめく海面下に、何かが見える。
海の中に腕を突っ込むと結構深く、康平はほぼ全身ずぶ濡れになった。諦めの境地で海底を探る。
波でどこかに行ってしまわないようにゆっくりと動かした指先に触れた何かを、彼は掴んで持ち上げた。
「これって、アレか……?」
手の中の代物は、確かに剣のようではある。それは、間違いない。だが、逆に言えば、ただの古びた剣だ。未明が永い間探し求め続けるようなものには、見えない。
康平はしげしげとそれを見つめ、肩をすくめる。
彼にどう見えようが、これがホンモノなのかどうかの判断は、未明に任せるしかないのだ。
コンバットナイフよりも気持ち大きめ程度のそれを軽く振って水気を切り、康平は踵を返して岸を目指す。
海から上がると、彼は脱いだ靴をひっくり返して水を出した。履き直してみると中はまだグジュグジュと湿っていて不快この上なかったが、仕方がない。次いでシャツを脱いで力いっぱい絞り上げ、また身にまとう。これもまた、快適とは程遠かった。
着替えを持ってくれば良かったと康平は思ったが、まさか海に入る羽目になろうとは予想だにしていなかったのだから仕方がない。
彼がそうしている間も未明に目覚める気配はない。未だ濡れそぼったままの我が身から守るべく華奢な身体をジャケットでしっかりと包み込み、康平は彼女を抱き上げた。




