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暗黒神話  作者: トウリン
帰着

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51/65

海底で

 身体を離れた未明みあかは、そのまま海の底へと向かう。渦巻く潮の流れも、実体を持たない彼女には影響を及ぼさない。康平に身体を預けた古戦場から出発し、真っ直ぐに対岸の福岡に向かう形で海の底を進んだ。

 未明は泳いだことなどなかったけれど、思念体であればどんな動きも思うがまま、だ。水の中に生まれ付いたかのように巨大な魚群を擦り抜け、名前のわからない大きな魚をかわす。


 程なくして辿り着いた山口と福岡の中間辺りの海底には、様々な物が朽ち果てた姿を晒していた。


 海底に実体のない足をつけて、未明はぐるりと辺りを見渡す。


 関門海峡は狭い。

 山口と福岡との距離は最も狭まるところで六〇〇メートルそこそこ、離れたところでも二キロ程度で、水深も深いところで五〇メートルほどだ。

 取り敢えず未明は、壇ノ浦古戦場を中心に、東西各々二キロも探してみることにする。面積としては、たいしたものではないけれど、問題は、その潮の速さと複雑さだ。潮の干満により一日四回向きが変わる潮流が海底に沈んだものを何処に流していくのか、未明には見当もつかない。ましてや、『ユヌバール』と思しき剣が沈められたのは遥か昔のことなのだ。


(実際、かなり無謀よね)

 そんな状況で、そもそも、あるかどうかも判らないようなものを探すなんて。

 せめて、確実に存在しているという保証があってくれたらまだいいのだけれども、それすら、ないのだ。

 まさに雲を掴むような話だ。


(でも、私は億分の一の確率にも、賭けてみたい)

 この世界で、康平と一緒に生きていくために。


 未明はその望みだけを目標に気を入れ直した。

 今、彼女の足の下には関門トンネルが走っている筈だ。ここから西には関門橋がある。まずはその場に立って、意識を拡げてみた。魚やその他の海棲生物たちの原始的な渇望を掻い潜り、何か琴線に触れるものはないかと、未明はそこかしこを探っていく。


(――あれ?)

 ふと、未明は微かな違和感を覚える。彼女が立っている場所から南西の方向――ちょうど、関門橋の真下の辺りだろうか。未明は海底を蹴って、そちらに向かう。


 橋に近づいた頃だった。

 水中でも鮮明だった未明の視界が、一瞬揺らぐ。


(これって……)

 見上げてみると、先ほどまでは存在していた橋の影が無くなっている。海面を見上げてみても、昼の輝きがない。


 やはり、次元がずれたのだ。

 直前まで感じていた康平の気配もふっつりと途切れ、未明は何故か心細さを覚える。彼と自分を繋ぐ魔術の鎖が伝えてくる鼓動のような微かな振動が、わずかなよすがだった。


 無性に、それを辿って後戻りしたくなる。

 その衝動の強さに、未明はたじろいだ。

(こんなに、不安になるなんて)


 独りきりには慣れている筈だったのに。


 ずっと当たり前だった状況を心細いと感じるのは、自分の心が弱くなった証なのか。もしも弱くなったのだとすれば、また独りの時を過ごすうちに、以前のように何も感じない自分に戻れるのだろうか。


 ――自信が、なかった。


 未明はキュッと唇を噛み締める。

 近いうちに『ユヌバール』を見つけることができなければ、そして、本当にこの世界の『亀裂』が拡大する理由が彼女にあるのであれば、手遅れにならないうちにこの世界を離れなければいけないのに。


(行きたくない。行きたくないけど、でも……)

 どこに行っても、自分は厄介の種になる――そんな考えが、未明の頭の中から離れない。


 この世界が、康平の傍が、安住の場所になるのではないかと、期待してしまった。

 彼の隣で安らいで、色々なものを観て、聴いて、食べて。

 どこの世界からも弾かれる、どの世界でも異分子でしかない自分は、もう嫌だった。

 康平がいるこの世界の一部になりたいと、願った。

 そうなることを、切望してしまった。


(でも……)

 しばらく、未明は動けなかった。


 だが、やがて頭を一振りして雑念を追い出すと、再び動き出す。


(『いずれ』ではなく、『今』のことを考えよう。今、やるべきなのは、『ユヌバール』を探すことなのだから)

 そう自分自身に言い聞かせ、未明は一点を見つめる。

 これから目指す先にあるのは、恐らく門屋が言っていた『宝剣』とは別のものだろう。できたら、あって欲しくないもの――しかし、確認はしておかねばならないものだ。


 トン、と蹴って先を目指す。

 彼女が向かうその先からは、何かが蠕く、地響きのようなものが伝わってくる。それは微かなものだが、間違えようがない。

 微かに粘度を増した水中を、未明は進む。


 そして、彼女は辿り着いた。


 そこにあるのは、ごく小さな『亀裂』。これまでに見てきたものとは、比べものにならない、わずかなものだ。その隙間の向こうで、時々何かが動いた。


(『水に棲まうもの』……オスラム……)


 ソレは、『旧き神々』の中でも、最も力のある存在だった。

 八個の金色の目と鋭い牙を具えた口吻を持つ巨大な頭に、無数の触手。強いて言えば、蛸か海月に似ているのかもしれない。だが、そのカタチのおぞましさは、そんな可愛らしいものとはかけ離れている。未明にしても、『旧き神々』の中でも一番見たくない相手だった。とにかく、耐え難いほどの生理的な嫌悪感を掻き立ててくれるのだ。


(この程度の『亀裂』で良かった……ホントに)

 未明はしみじみとそう思って、胸を撫で下ろした。この間のシーカイのように、もろに全体像が見えていたら、速攻で逃げ帰っていたかもしれない。

(とりあえず、康平のところに帰ろう)

 不意に、無性に彼の傍に行きたくなった。意識を向けると、違う次元に来ているせいかはっきりしないけれども、繋がる鎖から魔力の流出を感じる。


(康平が、力を使ってる?)

 となると、彼がアレイスかキンベルのどちらかに襲われている可能性がある。

 あるいは、この、生物の気配のない海の底が与える錯覚かもしれないが。何か理由をつけて、ここから立ち去ってしまいたい――そんな無意識の働きがあるのかもしれない。


 ほとんど駆け出すようにして、未明は次元のひずみから抜け出す。

 身体にまといつくようだった水が、さらりとした心地良いものに変わる。と同時に、様々な生物が巻き起こす命の気配が溢れかえった。


 思念体の未明は遠く離れた自分の身体を意識する。

 一瞬後には、全身を包み込む温もりをその身に感じていた。


 未明は、重く感じる眼瞼を、上げる。

 間近から真っ直ぐに注がれている眼差しにまず覚えたのは深い安堵だ。


 ああ、帰ってきたのだ、という、安堵の念。


 その想いに背を押され、未明は自分を見つめている康平に向けて、ふわりと微笑んだ。


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