信頼というもの
家に帰る道すがら、康平は未明が手にしているものに視線を落とした。
「で、何なんだ、それ?」
一見、ただの古びた紅い組紐である。古びた感じであるにも拘らず、色は鮮明な紅色だ。
いったい、どんないわくのあるものなのか。両端に金色の鈴が付いているが、チリ、とも音を立てないところをみると、ただの装飾なのかもしれない。
未明は足を止めてジッとそれに見入ってたが、やがて小さく首を振った。
「判らない。でも、確かに何かは感じる。私の知っている魔術とは違うみたい……」
彼女は、組紐をもてあそびながら、自信がなさそうに呟く。
「お前の知っている魔術ってったって、この世界で魔法が使える奴はいないんだろ? お前たち以外に」
「そうだけど、これは……」
未明は口ごもった。何か言いたそうにはしているが、言葉にならないようだ。
(これは、言いたくない、言えないってのより、言いようがないってやつか?)
康平は眉間にしわを寄せている少女を観察し、そう感じ取った。
未明が説明を渋るとき、だいたいは言っても仕方がないとか、そういう理由が多い――多かったのだと思う。要は、康平をあてにもしていなければ信頼もしていなかったということで。
だが、北海道での一件以来、康平に対する信頼を何とか表そうとしているのが、未明からはひしひしと伝わってくるようになった。
とはいえ。
(まあ、そんなに無理しなくてもいいんだけどよ)
難しい顔をしている未明を見下ろし、康平は内心そうぼやく。
信じるというのは、努めるものではなく、自然と生じてくるものなのだろうから。
やれる範囲でやってくれたらいいと思う。
多分、未明にとって、誰かを信じる気持ちになるということ自体が、大きな一歩のはずだ。その気持ちになってくれた以上、康平はのんびり気長に待つつもりでいる。
そんなことを考えながら未明を眺めていた康平は、ふとあることに気付いて、彼女に手を差し出した。
「それ、ちょっと見せてみろよ」
「? ええ」
未明が首を傾げながら、古びたその紐を康平に渡す。彼はしげしげとそれを観察し、ちょっと振ってみた。やはり、鈴は鳴らない。見るからに硬質な素材で鈴の中に動く玉も入っているにも拘らず、カスとも何とも音を立てない。
「やっぱり、これ、あいつが髪を結うのに使ってるやつと似てる気がする」
「門屋さんの……?」
「ああ。滅多にあいつの後姿なんざ見ないから、うろ覚えだけどな。こういう鈴がついてて、動いても何も音がしなかったから、多分、同じ奴だろ。ま、あいつも色々曰くつきの代物を集めてるからさ、それもなんかのご利益があるかもよ」
組紐を未明に返しながら、康平はそう答えておいた。言っておいてなんだが、彼自身、それほどしっかり門屋の外見を観察しているわけではないので、思い違いかもしれない。
未明が彼の手から組紐を取り上げ、小さな手のひらの中にそれを握りこんだ。そして、軽く首をかしげて康平を見上げてきた。
「……うん。ねえ、康平は門屋さんとどうして知り合ったの?」
唐突にそう訊かれて、康平は面食らう。
「何だ、急に」
「ん。だって、二人の接点って、何なのかなって。康平から声を掛けたの? 門屋さんから掛けてきたの?」
「ああ……あっちからだったよ。俺がこの仕事始めてすぐくらいの時だったかな。ヤツが、『取ってきて欲しい物がある』ってな。山奥の変な祠から、粘土で作ったような鳴らない鈴みたいなやつを取ってくる仕事だった。えらく簡単だったのに、やたら感謝されたのを覚えてるよ。それから、ヤツ経由で仕事を紹介されることもあるし、情報をもらうようにもなった」
「ふうん」
話を振ってきたのは未明の方だったのだが、彼女は、そんな気の抜けた相槌を打っただけだった。
「……何か気になることでもあるのか?」
横目で見下ろしながら康平が訊くと、未明はニッコリ笑って首を振る。
「別に? 接点なさそうなのに、何でかな、と思って。あ、下関にはいつ出発するの?」
屈託のない笑みでごまかそうとしているのは、手に取るように伝わってきた。
(ったく、何を隠してるんだか)
弾むように歩き出した未明の後姿を眺めて、内心ため息をこぼす。
ふと、康平の中には、彼女をいじめてやりたい気持ちが、真夏の入道雲のようにこみ上げてきた。
「今回は急ぐわけじゃないから、明日でいいだろ。帰ったら、飛行機の空席を確認してみるか」
サラッと伝えた内容に、ぎくりと未明が立ち止まる。
「え」
びくつきながら恐る恐る振り返った彼女のそのさまは、雷を聞いたときの仔猫か何かのようだ。
「何だよ?」
答えは判っているが、康平は澄まして問うた。未明は口ごもりつつ、おずおずと彼を見上げてくる。それは期待通りの反応だった。
「え……あ……、えっと……、……飛行機?」
「ああ。何だ? 何か問題でも?」
「別に……ない、けど……」
段々と、彼女の視線が下に向いていく。
未明が素直に「飛行機はイヤ」と言うなら、康平もすぐに教えてやるつもりだったが、もちろん、彼女がそんな台詞を口にする訳がなく。
結局、実際に乗るその時まで、下関へは新幹線を使って行くのだということは黙っておいた。




