買い物
新宿は、よくぞここまで、というほどの人でごった返していた。
「はぐれるなよ? もし、はぐれたら駅に行ってジッとしとけ。この改札の所な。お互いに動き回ったら、絶対に見つからないぞ」
駅の改札を出た康平は、隣で立ちすくむ未明を見下ろして再三電車の中で言い聞かせてきた注意事項を最後の念押しで口にした。
「解った……けど、すごいな。今日はお祭りでもあるの?」
康平のシャツと短パンをギリギリそれらしく身に着けた未明は、人混みの凄まじさに目を見張っている。
やっぱり、この少女は、どこか未開の地から出てきたらしい。少なくとも、ここ並みの都会に足を踏み入れたことはないようだ。
「ここはこれで普通なんだよ。行くぞ」
康平は、猫の仔を摘み上げるように未明の襟首を掴んで歩き出す。目指すのは廉価な衣料品で有名な某チェーン店だ。そこだと、インナーからアウターまで一着千円から三千円程度で購入できるから、当座の仕度は整えられる。
「ちょ……ッ、ちゃんとついていくから、放してよ」
見下ろせば、十歳の女の子としては屈辱的な扱いに、未明が康平を睨み上げていた。
「しょうがねぇな。じゃあ、これでも握っとけ」
そう言って、康平はジャケットの裾を差し出した。二十九歳の男として、十歳の少女と手を繋いでいる絵面はあまり想像したくない。
未明は素直に裾を握ると、歩き出した康平を小走りで付いてきた。
スイスイと人混みを縫っていく康平に、未明はついていくのがやっとのようで、目新しいものが満載の光景にも口を開くことなく足を動かしている。
人の集団という荒波に揉みに揉まれた未明がぐったりした頃、ようやく目当ての店に着いた。
「よし、じゃあ、上を五枚、下を五枚、あと下着。適当に選べ」
子どもの服など見繕ったことのない康平はそう言って店の中に顎をしゃくってみせたが、当の未明は店内にずらりと並んだ商品に立ち竦んでいる。
(まさか、店に入ったこともないのか……?)
そんなバカなと思ったが、初対面の男にも物怖じの欠片も見せていなかった彼女が今は委縮しまくっていた。
つくづく、訳の解らない子どもだ。
「行くぞ」
康平はため息をつくと、買い物かごを手にして未明を促した。
「あ、ちょっと、お姉さん」
近くにいた店員に声をかける。
「はい、何でしょうか?」
制服を着たその女性がにこやかに振り返った。彼女にかごを差し出しながら頼む。
「この子に合いそうなやつを、適当に五着ずつくらい、選んでやってくれない? あ、あと下着もね」
「承りました。……サイズは……」
「わからないんで、測ってやって」
店員の目が未明に走った。
そうして、どうやらパッと見では気付かなかった少女の妙な格好に、気付いてしまったらしい。
愛想のよい笑いが、一転、いぶかし気な眼差しに変わる。
「ちょっと、訳アリなんだよ。悪いこたしてないんで、面倒見てやってくれない?」
ヘラリと笑って言いながら、康平は札を一枚店員の胸ポケットに忍ばせた。
彼女は胡散臭い康平の笑顔を見て、次いで眉をひそめて未明に目を遣ったが、怯えも屈託もなくケロリと見返してくる少女に不審感も薄れたらしい。おまけにニコリと可愛らしく笑顔を返され、踏ん切りがついたのか。
「わかりました。お嬢ちゃん、こっちに来てくれる?」
微笑みながら手招きして、未明をフィッティングルームに誘う。
一人残った康平は、こんな子守そのもののような真似をする羽目になろうとは、と髪を掻き回した。
本当に、四日前の自分に、いったい何を考えているんだと詰め寄りたい。
未だに、彼はこの依頼を受けた経緯を思い出せないのだ。声をかけた女が、やたらと美人だったことは覚えている。だが、覚えているのは顔だけだ。
自分は、何と言われて何と答えたのか。
頼まれて、応と答えて、報酬を受け取った――はず。
依頼は確かに成立してしまっているのだが。
「まったく……」
フィッティングルームから出てきて店員にくっついて服を選んでもらっている未明を遠目に眺めながら、康平は再度深々と息を吐いた。
さすがに手慣れたもので、店員が手にする買い物かごの中には、次々物が投げ入れられていく。
三十分もすると、康平はレジの前に立っていた。
「他に要るものはあるのか?」
会計を済ませて店を出たところで、彼は未明を見下ろす。
「えぇっと……たぶん、ないと思う」
小首をかしげてそう答えた未明だったが、本当に考えて答えているのかどうなのか。
まあいいかともう何度目になるか判らないため息をこぼして、康平は顎をしゃくって帰路を示す。
帰りもやっぱり、物凄い人の波である。いや、時間帯的に、来た時よりも増えているかもしれない。
荷物は半分ずつにしたが、それでも歩き難さは手ぶらだった行きの比ではなかった。
未明は何とか頑張って康平のジャケットの裾を握っているようだったが、不意に、裾を引っ張られる感覚がなくなった。振り返ると、やはり未明の姿がない。
「ちっ」
舌打ちをして、後戻りする。はぐれたときには駅で落ち合うようにしていたが、彼女のあの様子だと、駅に辿り着けるかどうかが甚だ疑問だった。捜してみれば、今ならまだ捕まえられるだろう。
見渡せば、栗色のお下げがチラホラと人混みに見え隠れする。どうやら人の流れに呑まれてしまったようだ。
「少しは踏ん張れよ」
ともすれば人の波に埋もれてしまう小さな頭を見失わないように、康平は人を掻き分け彼女の後を追った。
しばらく苛々しながら追いかけた後、彼はふと違和感を覚える。
どう見ても、未明の移動速度が速過ぎるのだ。人の波の動きよりも、明らかに速い。
――まるで、誰かに引っ張られているような……。
そう感じ、康平は嫌な予感に襲われる。
未明の姉を追っているという『悪い奴ら』だろうか。
そう思った康平の視線の先で、フッと、未明が隙間のような路地に消えていく。
単に、人混みから抜けようとしただけなのだろうか? いや、そうは見えなかった。
這う這うの体で人の波を抜け、未明が消えた路地に辿り着く。まだ陽は高いというのにそこは薄暗く、迷路のように入り組んでいた。人の気配は、皆無だ。
「未明?」
呼びかけても返事は無い。
康平の声が届かないほど奥に行ってしまったのか、それとも、応えられないような状況なのか……?
康平は、足を速めて一つ一つ路地を覗き込んでいった。
無意識のうちに、チリチリとざわつくうなじをひと撫でする。
(なんか、薄気味悪ぃな)
暗い路地裏など歩き慣れているはずだが、妙に落ち着かない。
眉をしかめながらしばらく歩き、康平は、ようやく、ポツリと地面に落ちている、先ほど行ったばかりの衣料品店の紙袋を見つけることができた。




