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暗黒神話  作者: トウリン
変容

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27/65

二日目の朝

 目の前に横たわる、華奢な身体。

 ズシリと重い、手の中の銃。

 かすれた、懇願の声。

 差し伸べられる、手。


 ――そして……。



   *



「あのさ、鍵になるのは負の感情じゃないかな――罪悪感とか、自分を責める気持ち」


 朝食の席でそう切り出した未明みあかを、康平こうへいは重苦しく疼く頭を持て余しながら見返した。


「何のことだ?」

「だから、昨日の女の子の話。ほら、お姉さんは眠ってしまったけれど、あの子は全然大丈夫だったでしょう? 飼い犬の死っていう、同じ悲しいことを経験したけれども、あの子は無事で、お姉さんは眠ってしまった。じゃあ、何が違うのかって言えば、お姉さんは『自分が死なせた』と思っていたらしいってとこくらいなのよね」


 未明の『自分が死なせた』という台詞に、ほんの一瞬、康平の脳裏に映像が閃いた。


 暗い部屋。

 薄汚れた床に横たわる少女。


 ――彼女の顔は、ぼやけていて見えない。


 彼が持つコーヒーカップが揺れて、カチャリとソーサーに触れる。


「康平?」

 呼ばれて、彼は我に返った。未明は眉をひそめている。

「え?」

「聞いてる?」

「え、ああ、聞いてるよ。だけどな、犬の死がきっかけって確証はないだろ?」

「そうだけど、逆に、普通に生活してる人に起きる出来事として、そう多いことでもないでしょ? 愛している相手の死って」

 軽く首を傾げた未明が、言った。


 確かに、そうだ。

 大事なものを失うということは、日常茶飯事ではない。

 誰にでも、どんな人間にも、起こり得るものではあるが。


「――で、罪悪感が眠り病の引き金だとして、どうしてそんなことが起きるんだ? 精神的な何かだとしたら、集団では起きないだろう」

 さりげなさを装い、コーヒーを口元に運びながら康平は言った。未明は束の間思案顔になって、答える。


「風車のとこにも魔術の気配は残ってたし、やっぱり、キンベルだと思う。『旧き神々』はヒトの生気を搾取するんだけど、恐怖や絶望に陥ったヒトのものを特に好んでいたの。眷族はそのための存在なの。ヒトを襲わせて、恐怖を味わわせる。……味でも違うっていうのかしらね。まあ、とにかく、キンベルなら『旧き神々』の欲することをしようとするんじゃないかな」

「ふうん」

 康平は適当な相槌を返す。

 と、未明は何かに気付いたようにジッと彼を見つめてきた。


「なんだよ」

「康平、具合悪い? 何だか、顔色悪いみたい」

 案ずるように顔を覗き込んでくる未明を、康平は片手で追い払うようにして遠ざける。

「何でもねぇよ。寝不足なだけ。で、それならどうするんだ?」


 未明はジッと彼を見つめる眼をしばらくそのまま留めていたが、やがて諦めたようにホッと息をつく。


「できる限りで、眠っているヒトの背景を調べられないかな。今の説が正しいなら、皆、何か辛い出来事があったってことになるんだけど」

「そりゃ、難問だな。都会ならベラベラ喋ってくれる者もいるだろうが、こんな田舎町じゃ、近所の噂をただの観光客に話すとは思えん」

「そっかぁ」

 康平の返事にそう呟くと、未明はまた黙々と食事を進める。


 やがて食卓の上もあらかた片付いた頃、彼女が再び口を開いた。


「方法が、ないわけじゃないんだけど……」

「え?」

「あのね、私の精神体だけを飛ばして、眠っている人たちの中を見てくることもできるの」

「へえ。なら、それをやったらいいじゃないか」

 そう言ってから、康平は難しい顔をしている未明に気が付いた。


「……危険があるのか?」

「まあ、それなりに。でも、危険と言うほどではないわ――精神体を飛ばすこと自体はね。問題は、残していく身体の方なの。完全に意識を失って、無防備になっちゃうから……結界を張っていっても、百パーセント安全とは言えないし」


 要は、残していった身体は無防備になる、ということか。

 本気で悩んでいるらしい未明に、康平の中に、また苛立ちが沸き立ってくる。


「俺がいるだろう?」

「?」

「俺がいるだろうと言っているんだよ。お前の身体くらい、護ってやるさ」

「え、あ、ああ……」

 まさに今初めて気が付いた、という風情で未明が瞬きをする。


 そんな彼女の素振りが、また、康平の心の奥の何かを引っ掻いた。


 未明が悪いのではないことは解っている。ただ、『誰かが傍にいる』という事態がまだ彼女の身に沁みていないだけなのだ。

 今まで、長い間――康平など想像すらできないほど長い間、独りで戦ってきたのだから。

 そもそも、誰かに守られるということを知らない、守ってくれるものがいるということを知らずに来たのだから。


 だが、それでも――


(何か、ムカつく)


 康平自身、こんなことで腹を立てるのはおかしいと頭の片隅で思っていたが、何故か自分の感情をコントロールできない。小さなことが、無性に気に障る。何だか、終始、頭の中にノイズが漂っている感じだ。


 ムッと黙り込んだ康平に、未明がおずおずと声を掛けてくる。

「あの、ゴメンね? 頼りにしてないっていうわけじゃ、ないんだよ。ただ、その……つい、独りでいる時と同じに考えちゃって……」


 いかにも申し訳なさそうに謝られて、彼は自分の理不尽さに歯噛みした。


(なんで、こんなしょうもないことを気にするんだ?)


 自分がおかしいことは判っていた――何かが変だ。

 康平は己の中の違和感を自覚しながらも、口は素っ気無い言葉を吐いてしまう。


「行ってこいよ。俺がここで見張っとくから」

 彼の口調に一瞬うつむいた未明だったが、すぐに顔を上げると、ニコッと笑顔になった。

「判った、行ってくる。私の身体をお願いね」

 そう言うと、未明は目を閉じる。


 彼女が何かを口の中で呟いたかと思うと、その身体がくたくたと崩れ落ちた。思わず手を伸ばした康平だったが、目を閉じ、軽く唇を開いた、精巧な人形のようなその美しさに動きを止める。さかしげな口を利かれるとただの小生意気なガキとしか思えないが、こんなふうにその造形だけに目が向くようになると、どこか異国風の容貌はただただ美しいの一言だ。


 テーブルに伏せた未明に自分の手で触れるのが躊躇われ、彼は声も無く見つめる。しかし、いつまでも不自然な格好でいさせれば、戻ってきた時に彼女はえらい目に遭うだろう。


 溜息をついて康平は椅子から立ち上がり、未明の横に回った。その肉の薄い背中と膝裏に腕を差し入れて持ち上げる。はかなく感じるほどの華奢さ、軽さに、胸の奥に妙な疼きを感じた。


 何故、そんなふうに感じるのか。


 束の間康平は眉をひそめたが、多分、打ち捨てられた仔猫を摘まみ上げた時に覚えるのと、似たようなものなのだろう。

 あまりに小さく頼りなさそうなものを前にしたら、皆、こんなふうに感じるはずだ。


 康平はそう自分を納得させながら、ベッドに寝かせる。上掛けで身体を覆い、頬にかかった髪を払ってやろうとして、結局手を止めた。そのまま、彼はギュッと拳を握る。


 そして未明から離れて自分のベッドに腰を下ろすと、ジッと彼女を見守った。


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