門屋の依頼
門屋の事務所があるビルの中は、相も変わらず薄暗く、足場が悪く、まるで洞窟の中を探検しているかのような気分にさせる。階段にも何やら物が積まれていて、消防の立ち入り検査があったら一発で指導が入ること請け合いだ。
途中、康平は後ろからついてくる未明を振り返った。
「落ちるなよ」
「ん」
彼女は足元に気を取られ、返事をするのもままならないらしい。
ようやく四階に辿り着き、表札のついていないドアを開けると、いつものようにそこには廊下や階段とは比にならないほど収集物が溢れかえっていた。『足の踏み場もない』という言葉はまさにここの為にある、と言っても過言ではない。多分、元々は両手を左右に伸ばしても歩けるだろう広さがあった廊下は、天井まで届かんばかりに両側に積まれた雑誌か何かのせいで人一人通るのがやっとだ。
ただ、奇妙なことに、これだけ所狭しと物があってメモ一枚他の場所に動かすことはできないだろうという状況にも拘らず、来るたびに何となく何かが違っているような、微妙な違和感を康平は覚えるのだ。置く場所を変えたりする余裕があるようには見えないが、意外に頻繁に入れ替わっているのかもしれない。
「やあ、康平君、未明ちゃん、いらっしゃい。待ってたよ」
康平と未明の二人が廊下の半ばまで進んだ辺りで、奥の方から声がかかった。
まるで、監視カメラで覗いていたかのようなタイミングだが、見る限りそんなものは何処にもない。
(相変わらず、得体の知れないおっさんだな)
そう内心でボヤきながら、康平は未明を伴って奥を目指す。
門屋はいつものように、様々なものが積まれたデスクの向こうに座っていた。振り返ってみれば、この男が立っている姿を、康平は見たことがない気がする。
康平たちが部屋に入って三歩ほど進んだところで、机に突っ伏すようにしていた門屋が顔を上げて二人を見た。そうして、童話に出てくる化け猫のように、まるでそれを残しながら消えていきそうな笑顔を二ッと浮かべる。背後で未明が動き、康平の後ろに入るのが気配で判った。
門屋の何が苦手なのか、未明はこの男の前に来るとまさに借りてきた猫のようになる。いや、ただおとなしいというのではないから、アヤシゲなものを警戒して尻尾を膨らませながら物陰からこっそり覗く猫、という方が正確か。
そんなふうにビクつく未明のことなど全く気にしたふうもなく、門屋がヒョイと片手を上げた。
「や、久しぶり」
その動きに、また未明がビクリと反応した。康平は無意識のうちに彼女の頭を片手でワシワシと掻き混ぜて、主に応える。
「用件は何だよ?」
「あのさあ、ちょっと北海道に行ってきてくれない?」
単刀直入な康平に負けず劣らず何の前振りもなく、門屋が言った。貸しがあるとはいえ、一方的に過ぎる言いように、康平は渋い顔をする。
「もうちょい説明しろよ。何の為だって?」
いつもはどんな無茶な依頼でも理由など気にせず二つ返事で引き受ける康平の渋い台詞に、門屋が軽く眉を上げた。何か面白いものでも見つけたように一瞬目をキラリと光らせ、したり顔で説明を始める。
「えっとねぇ、北海道に規模の大きな風力発電施設があるんだけど、そこで変な健康被害が出てるんだよ。元々、風力発電施設のあるところじゃ、低周波かなんかで体調崩すっていう話はあるらしいんだけどさ、そこのはちょっと変なんだよね」
「変?」
「そう、町民が眠っちゃって、起きないんだってさ」
「起きない? ずっと?」
「ずっと。衰弱して入院する人も出てるらしいんだ」
おかしいだろ? と門屋が肩を竦めて両手のひらを上に向ける。
「感染症か何かじゃないのか?」
アフリカの方では寄生虫か何かが原因で延々眠り続ける病気があったと思う。実際に康平が目にしたことはないが、酒の場のネタ話には上がっていた。
だが門屋はまた肩を竦めてかぶりを振る。
「そういうのは、一通り調べたらしいよ。でも、何にも出なかったって」
「メンタルの病気じゃないのか?」
「集団で?」
「集団でなるから集団ヒステリーって言うんだろ」
「そうだけど」
ムゥと唇を引き結んだ門屋だったが、一歩たりとも譲る気はなさそうだ。
「とにかく、今のところ原因不明って話だからさ、何が起きているのか調べてきて欲しいんだよね」
駄々っ子のように押し切った門屋に、康平はため息をこぼした。こうなっては、断るという選択肢はあるまい。
康平は、チラリと未明を見下ろした。
彼女のことがなければ、いくらでも、何でも、応じてやるのだが。
「何だってまた、あんたがそんなことを気にするんだ?」
「え? 気にならない? 何が起きているのか、知りたいとか思わない?」
門屋は畳みかけるように問うてきたが、昔から『触らぬ神に祟りなし』というではないか。厄介の種はもうすでにうんざりするほどどデカいやつを抱えているのに、これ以上余計な荷物を増やしてたまるか、というのが康平の正直なところだ。
それに、「信じられなぁい」とでも言い出しそうな、全く可愛くない可愛い子ぶった顔でニヤつく門屋はこの上なく胡散臭い。
「別に」
にべもなくそう答えた康平だったが、それを打ち消すように彼の背後からは別の意見があがる。当の『厄介の種』の大元だ。
「私は、ちょっと気になるかも……」
「未明?」
振り向くと、彼を見上げる未明と目が合った。
「私も、何か、気になる。――何とは言えないんだけど」
「ほら、普通は気になるじゃないか」
門屋が得意げにそう言うが、門屋と未明のどちらも『普通』の範疇からは外れているのではないかと、康平は胸中で呟いた。
「まあ、とにかく、僕の好奇心を満たすために、ちょっと行って調べてきてよ」
そう言われても『ちょっと』で行ける距離ではないが、いかんせん、門屋には『貸し』がある。結局のところ、康平は断れる立場ではなかった。誰がどこから見ても『気が乗らない』と判るだろう素振りで、康平は息を吐く。
「判った。だが、出発は一週間後辺りでいいな?」
先日の岩手とは違って、北海道では飛行機の手配やら何やらある。新幹線で行けないこともないが、流石にこの距離はうんざりする。それに、ここ数日の間はあまりうろつきたくない理由が他にもあった。
だが、康平の台詞は不満顔の門屋に一蹴される。
「え? すぐに行ってよ」
「無理だ」
即答した康平に、門屋が更に口を尖らせた。
「僕はすぐに知りたいんだけどな」
「こっちにも都合ってモンがあるんだよ。とにかく、一週間後だったら行くから」
康平はきっぱりとそう言い切ったが、ツンツンとジャケットの裾を引かれて振り返った。見下ろせば、未明の大きな眼が彼に向けられている。
「私も、早く行きたいな」
「はあ? 何言ってんだよ。もうじき……」
言いかけて、止める。ここには門屋もいるのだ。彼女の『事情』は口にしないほうがいい。
ジッと見上げてくる未明の眼差しを受けて、康平はガリガリと頭を掻く。
「――判った。まあ、飛行機が取れりゃぁいいけどな」
渋々と――心の底から渋々と、康平はそう答えた。
「良かった、すぐ行ってくれるんだ」
「仕方がねぇだろ」
仏頂面で答える康平に、門屋がニッといつもの笑みを浮かべる。
「まあ、頑張ってきてね。今度は、ちゃんとした報告を待っているから」
その言い方にどこか含みが感じられ、康平は微かに眉を寄せた。と、同時に、彼のジャケットを握る未明の手に力がこもるのが感じられる。
(未明?)
康平の陰に隠れた彼女は、何か問いたげな眼差しを、この飄々とした古物商に注いでいた。




