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暗黒神話  作者: トウリン
来訪
17/65

潜入

 幸子のもとから取って返した康平こうへいは、マンションの前の歩道にバイクを乗り捨てるようにしてエントランスに駆けこんだ。

 エレベーターを待つのももどかしく自室がある十五階に辿り着くと、廊下の先からでも部屋の戸が開いているのが判った。

 ドアは外から破られた形跡があり、室内は複数の者が乱入した様を呈している。中にはもう誰もいないことは、一目瞭然だった。


「くそッ」

 毒づいて、康平は携帯を取り出す。未明に渡した携帯のGPSは生きていた。それが今ある場所は、少なくともここではない。移動することなく示されているのは、そう遠くない地点だ。

 康平はすぐさま部屋を飛び出した。


 GPSを辿って到着したのは、マンションからバイクで十五分ばかりのところにある廃ビルだった。外から眺める限りでは五階建てだ。見張りもなく、何か仕掛けてある様子もない。

 とは言え、相手は康平が理解できない力を使うのだ。もしかしたら、不可視の何かがあるのかもしれない。

 彼は慎重にビルの中に足を踏み入れた。心は焦るが、その足は猫のように音一つ立てない。


 すっかり陽は沈み、電気など通っているはずがない廃墟の中は真っ暗だ。夜目が利く康平でなければ一歩たりとも進めないだろう。彼は視覚よりも聴覚もしくは感覚器以外のものを頼りに中を探った。


 一階はコンビニか何かが入っていたようで、がらんとしたワンフロアの中にスチール製の棚だけが残されている。本来ガラス張りのところは板張りになっていて薄暗い。気配も物音もなく、ここに康平が求めるものは何もない。


 二階は事務所や何かか。

 階段を上ると真っ直ぐな廊下があり、扉は左側に二つ、右側に一つ。左から順に中を探っても、誰もいない。


 康平は、眉をひそめた。

(見張りも立てないのか?)

 あまりの無警戒ぶりに、もしかしたら侵入者を探知するような魔法でもかけているのかと思ったが、それにしてもリアクションがなさすぎる気がする。

 本当にここにいるのだろうかと首をかしげながら進んだ二階から三階への階段の踊り場で、康平はふと足を止めた。


 先が、ぼんやりと明るい。

 それに話し声、だ。男が一人、一方的に話している。

 このねっとりした嫌味な声は、アレイス・カーレンという男のものだろう。

 おもねるような、だが明らかに我が身の優位を確信した、猫撫で声。

 それに対する未明みあかの応えはなかった。黙っているなど、断じて彼女らしくない。つまり、答えることができないような状況に陥っているということか。

 そう思った途端、身体が勝手に動いた。康平は一息に階段を登り切り、サッと室内に目を走らせる。


 瞬時に状況を確認した。


 男が十人――と、一人。

 見慣れた格好、この世界の人間が十人と、黒衣の男。


 男たちの目がぞろりと流れてきたが、アレイスに操られてでもいるのか、飛び込んだ康平に声を上げることもなかった。

 ただ一人、アレイス・カーレンだけが動きを見せる。


「おや、これは……どうしてここに?」

 心底から意外そうな声に、康平は目を細めた。

 アレイス・カーレンは、康平がここを探り当てた手段を問うているわけではないらしい。彼がここにいること自体が、疑問なのだ。


 康平は彼の方へ顎をしゃくって答える。

「そこに、俺の探し物があるんだろう?」

 立ちはだかる男たちの壁が視界を遮っているが、かろうじて、事務机と思しきものの端から垂れたすんなりとした脛だけが見て取れた。それが素肌を剥き出しにしているということも。


「探し物?」

 康平の言葉を繰り返して、アレイス・カーレンは指先で白い膝頭を撫でた。と、それを拒むように膝から下が跳ね上がる。だが、動いたのはそれだけで、抗議の声も上がらない。


 康平は無言で拳を固めた。

 今この瞬間にもそれをこの場に立つ者全員に叩き込んでやりたくてならないが。


 まだ、早い。

 もう少し、状況を見てからでなければ。


 疼く拳を抑え込む康平に、アレイス・カーレンが優雅な素振りで首をかしげる。

「どうやら、たまたまここに迷い込んだという訳ではなさそうですね。貴方は、彼女をご存じで?」

 まるで初対面であるかのような物言いだ。

「以前にも会っただろう」

「以前?」

 アレイス・カーレンが眉をひそめた。記憶を辿っているのか、しばし黙り込み。

「ああ……あのときの」

 頷いた男は意外そうに続ける。

「あれからずっと彼女と共に?」

「ああ」

「ほう……よく彼女がそれを許しましたね」

「彼女の方からの要望だ」

「ミアカスールが? 彼女が自ら貴方と共にいることを望んだのですか?」

 その声にあるのはいぶかしむ響きだ。そうして何かを窺うような素振りをして、表情を改めた。

「ミアカスールの護符……ああ、だからここに入れたのですか」

 ようやく納得できたと言わんばかりのアレイス・カーレンだ。

「は? 楽勝だったぜ?」

 見張りも罠もないのに、康平を阻むものがあるものか。彼はこれまで数多の潜入行動をしてきたが、今回ほど楽に忍び込めたことはない。


 呆れたような康平の台詞に、アレイス・カーレンは肩をすくめる。

「この建物には術をかけているのですよ。無意識のうちに近寄ることを避けるように。ですが、ミアカスールの護符がそれを打ち消してしまったようですね」

 言われて、康平は無意識のうちに胸元に手をやった。そこには未明がよこしたメダルのようなもの――護符がある。


「ミアカスールが誰かと共に過ごすのは、私が知る限り、初めてのことですよ。だからこんなにも簡単に私の手に落ちたのですね。頼る相手ができれば、そこには必ず気の緩みが生じるものです」

 すい、とアレイス・カーレンが手を動かすと意図で操られているかのように男たちの壁が割れた。


 その先に現れたのは、肌も露わな女性の姿。

 四肢を男たちに押さえられ、口の中に何かを突っ込まれた顔を康平に向けている。


 束の間、目の前の囚われ人に記憶の中の存在が重なった。


 今、そこにいるのは、二十歳前後の女だ。未明と同じ栗色の髪をした。

 だが、彼女を見る康平の目に――脳裏に映るのは、それよりも年若い少女の姿だった。

 肉体も心も引き裂かれ辱められて、虚ろなまなこで彼を見つめていた少女の姿。


 無言のうちに、康平の身体が動いていた。

 三歩ほど離れたところにいる男との距離をひと跳びで詰め、有無を言わさず殴りつける。

 頭を振っている男にとどめを刺そうと康平が一歩を踏み出すと、呆気に取られていたアレイス・カーレンが我に返って声を上げた。


「その男を殺せ!」

 短い命令で男たちが一斉に動き出す。


 彼らはそれまでの無反応ぶりが嘘のように、だが、まるで統制が取れていない動きで康平めがけて押し寄せてきた。

 康平は最初に掴みかかってきた男の顎に拳を叩き込んで床に沈めると、腰に差していた特殊警棒を取り出して一振りする。シャコンと小気味の良い音を立てて伸びたそれを、次に迫っていた男のわき腹、腎臓の辺り目がけて叩き込んだ。

 操られていても、痛みは十二分に感じるらしい。

 のたうつ男のみぞおちをつま先で蹴り上げ昏倒させ、襲い掛かってきた拳を避けて床にしゃがみ込んだ。そのまま片足を軸にしてぐるりと近場の男たちの足元を薙ぎ払うと、三人がもんどりうって倒れ込み、そのうち二人は頭を強打したのかピクリともしない。起き上がろうとしていたもう一人は拳で黙らせた。


 ――残り五人。

 即座に跳ね起きた康平は、殴りかかってきた男にカウンターで首筋に警棒を叩き込む。


 ――残り四人。そのうち二人はナイフを手にしている。

 康平へ向けて水平に突き出してきたナイフを無駄のない動きでかわすと、警棒でその手首の骨を砕きがてら、ナイフを叩き落す。呻いて屈んだところへ、鼻面に膝蹴りを一発。


 ――残り三人。


 流石に人数が減って、相手も動きやすくなったとみえて、残る三人は一斉に飛び掛ってきた。素人のようにナイフを振り上げた男は腹ががら空きだ。肝臓に右の拳を叩き込み、続けて左の拳をチンへ。ほぼ同時に後ろへ足を蹴り上げると、踵でみぞおちを抉られた男が吹っ飛んでいく。殴りかかってきた拳を片腕でガードし、腹を拳で二発、回し蹴りで側頭部を一発。


 ――これで、全てだ。


 康平は、息一つ乱さず、背筋を伸ばす。手にしている警棒は歪んでおり、もう捨てるしかないだろう。


「貴方、いったい……」

 呻き声を上げ――あるいは、それすらできずに床に転がる男たちを見回し、アレイス・カーレンが呆然と呟いた。

 そんな彼に、康平は肩をすくめて返す。

「悪いね。ちょっと特殊な事情で、俺って強いんだわ。だいたい、数だけ素人を集めても、あんまし意味ないしな」

 まったく申し訳なさの欠片も感じさせない口調での『悪いね』に、謝罪のにおいは欠片もない。


「さあ、どうする? あんたの得意な魔法でやる?」

 それは、八割方ハッタリだ。

 正直なところ、人相手であれば十人でも二十人でもいかようにもできるが、魔法などという得体の知れないものは勝手が掴めない。

 のんびりとした態度を装う康平の前で、アレイス・カーレンは未練がましく半裸の女性に目を走らせ、そしてかぶりを振った。


「……それは、できません。まったく、この世界はよく解りませんね。あなたのように、魔力の全くないものにしてやられるとは……」

 苦笑いを浮かべ、彼はそう呟く。

「では、また出直します」

 その言葉とともに、例のごとく消え失せた。逃げ足は速い。


「もう来るな」

 康平は、心の底から、そうぼやく。そして、視線を巡らせた。


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