幕間
翌朝一番に新宿へ帰った二人は、その足で門屋のもとへ寄った。当然、キンベルや化け物の話などできるわけもないので、結局何も見つからなかった、とだけ報告する。
話を聞き終えた門屋は、軋みを上げる椅子の背もたれに背を預け、声を上げた。
「そっかぁ、残念。何かあればよかったのに……。まあ、情報なし、ということなら、今度何か僕のお願いを聞いてやってよ」
「……わかった」
何か変なことを『お願い』されそうだったが、今回、いかにも門屋が好みそうな話を黙っているという罪悪感もあって、彼の言葉に康平は素直に頷いてしまった。
ふと顔を上げた門屋が、まじまじと康平を見つめる。
「……康平君、何かイイことあった?」
「はあ? 何で」
「いや――何となく……雰囲気が違うから」
「別に、何もねぇよ。こんなガキと一緒の行程で、どんな『イイこと』があるってんだよ」
康平が呆れた声でそう答えると、門屋はうんうんと頷いた。
「まあ、そりゃそうか。康平君の好みは、ボンキュッポンだもんねぇ。間違っても、ツルンペタンではないよね」
話題の対象にされているのであろう少女は、恐らく康平の後ろで眉間に皺を寄せていることだろう。だが、彼が相手であれば即座に食って掛かってくるだろう会話の内容にも、未明は押し黙っている。
普段は物怖じしない彼女だが何故か門屋が苦手なようで、康平の背中にペタリと張り付いたまま前どころか横にも出ようとしない。
今日、ここに寄ってから帰ろうと康平が言ったときも、いつも彼が行くところには喜び勇んでついてくる未明が、迷う素振りを見せたのだ。先に一人でマンションに帰っているから、と逃げ腰だった彼女を、バカを言うなと引っ張ってきた。訳が解からない相手二人に狙われているというのに、未明一人になどできるはずがないではないか。
とは言え、彼女が門屋を敬遠するのにも頷ける部分はある。
(食えねぇオッサンだしな)
異世界の存在である未明よりも遥かに妖怪じみているのだ、目の前でニヤついている『古物商』の男は。
康平は、いつも以上に愉快げに細目を糸のようにしている門屋に向かって肩をすくめた。
「俺はロリコンじゃねぇからな。じゃ、また何かあったら教えてくれよ」
そう締めくくって門屋のもとを出て、帰路に着く。
「……私だって、本来の姿なら、もっとちゃんとしてるんだからね」
歩き始めてしばらく経った頃、未明がボソリと呟いた。
「ああ?」
「……なんでもない」
到底言葉通りには受け取れない声に彼女を見下ろすと、微かに口が曲がっている。どうやら先ほどの話題で拗ねてしまったらしい、と康平は苦笑する。
「どうせ、お前にとってこの世界での姿は仮のものなんだろ? どう言われたって別に構わねぇじゃねぇか」
「そうだけど」
肯定しながらも、膨れっ面は変わらない。
異世界人だろうが何だろうが女は女なのかと康平はニヤリとする。
と、そう考えた時、ふと『本来の』未明の姿が脳裏に浮かんだ。
確かに、おぼろげな記憶の中では、初めて会った時の未明は容姿だけでなくスタイルもかなりそそられるものがあったかも……と思いかけ、康平は内心で慌てて首を振る。
今、目の前にあるのはこの姿だ。そこに妙齢の女を重ねると、なんだかヘンな気分になってしまう。未明はこの見た目でいてくれた方が、康平にとっては色々と都合が良い。
妙な動きをした彼を、今度は未明の方がいぶかし気に見上げてきた。
「どうしたの?」
「別に。……お前、いつ元の力を取り戻すんだ?」
「え、そうね――」
唐突な彼の問いに未明は小首をかしげて何かを窺うような顔つきになる。
「あと二週間と少し、というところかしら」
「それ、満月になる日か?」
「そう」
こくりと頷いた未明に、康平の中に小さな疑問が浮かぶ。
「満月ってのは、この世界の話だろ? 他の世界の時はどうしてたんだ? 月がない世界もあるだろ?」
「ああ、それは……何ていうか、そう、郷に入っては郷に従えっていうの? ある世界に行くと、その世界の理に身体が支配されるのよ。この国の魔術は月に影響されてるでしょ?」
「でしょ、とか言われても俺には解からねぇよ」
当然のように訊かれても、康平は憮然と返すしかない。
「ふぅん? あ、そうだ。康平にも教えてあげよっか? もしかしたら、魔法使えるようになるかも」
「なるわけねぇだろ」
「判らないよ? そうしたら、本物のマジシャンになれるのに」
そう言いながら、未明はクスクスと笑った。そんな彼女をチラリと一瞥して康平は肩をすくめる。
「そうしたら、女を喜ばす手が増えるな」
途端、未明の笑いがピタリとやんだ。反論は、ない。
どうしたのかと見下ろせば、彼女は妙に難しい顔をしている。
「何だよ、怒ったのか?」
未明にとって魔法は大事なものだから軽い面白ネタ扱いされてムッとしたのだろうか。だが、始めたのは彼女の方だ。
「未明?」
「……怒ってなんか、いないわ」
返事を促した康平にそう言って、彼女は足を速めて歩き出す。
どこからどう見ても、怒っているようにしか思えないのだが。
異世界人だろうが何だろうが、女心が理解不能なのは共通らしい。
やれやれと肩をすくめて、康平は小さな背中を追いかけた。