魔法学園84
入場券は先にランデルトの従僕が購入してくれたので、ヴィヴィたちはそのまま中へと入った。
途端に薄暗くなり、ヴィヴィは思わずランデルトの手を強く握った。
壁にある窓は小さくて数も少ないので、どうしても暗くなってしまうらしく、所々にランプが置かれて足元を照らしている。
ランデルトの言っていた通り、階段も狭く急で、これは確かに危険だと思い、ヴィヴィは振り返った。
ミアを心配したのだが、騎士の一人に手を借りていたのでほっと息を吐く。
「大丈夫か?」
「はい」
ランデルトに手を引かれ、もう一方は手すりを握って階段を上る。
どうやら壁の中は一方通行になっているらしく、すれ違う人がいないのは幸いだった。
そして今度は、階段を上ることによって息を切らしていると、ランデルトが心配そうに見下ろす。
さすがランデルトは呼吸をまったく乱していない。
「許されるなら、抱えて上るのに」
「……え?」
「俺たちは、ここではないが訓練で鎧を装着したまま土嚢を持って何度も上り下りしているから、慣れているんだ。きっとヴィヴィは土嚢より全然軽いはずだから」
さすがにそれはないと答えようとして、ランデルトが先に口を開く。
「苦しいだろうから、返事はいい。俺の独り言だ」
ランデルトはそう言うと、握っていたヴィヴィの手を励ますように軽く力を込めた。
ヴィヴィは顔を赤くしながらも、笑みを浮かべて声には出さず、大丈夫だと伝える。
壁の中は三層になっており、至る所に仕掛けがあって敵の侵入を防ぐ造りになっていた。
(今の王都にはもうこの壁は必要ないけれど……まだ必要な場所はいっぱいあるのよね……)
幸い戦争はないが、魔物被害は地方に行けばまだまだある。
ヴィヴィは繋がれたランデルトの手を見下ろして、ぐっと唇を引き締めた。
一昨日までまた合宿で地方に出かけていたランデルトの手や袖から覗く腕には、細かい傷がたくさん見える。
今回は大きな怪我がなくて安心していたが、やはりまったくの無傷というわけにはいかないのだ。
本音を言えば、ランデルトに危険なことはしてほしくなかった。
今はまだ学生であり、そこまで危険な地域へ行くことはないが、正式に魔法騎士になった場合、どこに配属されるのかわからない。
もちろんランデルトの実家やヴィヴィの実家の力を使えば、王都勤務にできるはずだ。
しかし、ランデルトはそれを望まないだろう。
ヴィヴィが考えに耽り黙っていても、ランデルトは余計な体力を使わさないためにか、話しかけてくることはなかった。
ただ下を向いて階段を踏み外さないように――正確にはスカートの裾を踏んで転んでしまわないように、俯いていたヴィヴィは頭上が魔法ランプとは違う明るさに気付いて顔を上げた。
どうやらようやく外に出られるらしい。
「もうすぐだ」
「――はい」
外から入り込む光は黄色に近い色合いで、そろそろ夕刻だと告げている。
ランデルトが二歩ほど先へと上り、ヴィヴィを引き上げるように手を引く。
その手に導かれて壁の頂面へと顔を出すと、眩しさとともに少し強めの風が吹き、ヴィヴィは思わず目をつぶった。
だが、すぐに目を開け足を動かして上りきると、その絶景に息を呑んだ。
「まあ……」
それだけで、後の言葉が続かない。
ランデルトに手を引かれたまま場所を移動すると、背後でミアが上げる感嘆の声も聞こえる。
王宮から見る街の景色も美しいが、この壁の頂面から見る自然豊かな景色もまた素晴らしかった。
大きな街道が真っ直ぐに続き、なだらかな丘に消えていく。
その向こうには山々が連なり、太陽が沈みかけていた。
さすがにこの時間は街から出ていく者はいないが、いくつかの荷を積んだ馬車や旅人が街へ――ヴィヴィが立つ壁の中へと飲み込まれている。
「うっかり訊くのを忘れていたが、高いところが苦手じゃなくてよかった」
「はい。どちらかと言うと、好きです」
前世のヴィヴィは絶叫マシンも大好きだった。
この世界にはそういった娯楽はないが、夜空は驚くほどの数の星が瞬いて美しく、魔法を扱っていると時々予想外の反応があって退屈はしない。
ゆっくりと場所を移動しながら、ヴィヴィとランデルトは黄金色に輝き始めた風景を眺めた。
「王都はどんどん広がりを見せているが、ここだけはこの壁の保存に力を入れているから、この先は昔ながらの風景が広がっているんだ。あの街道をずっと進めば途中で北と南、そして西へと向かう三叉路がある。ヴィヴィがこの長期休暇の間、師事していたレンツォ殿が配属される予定の第五部隊は北に駐屯しているから、この道を通ることになるな」
「そうなんですね。レンツォ様は明日発つ予定だそうなんですが、見送りは断られてしまいました。また帰ってきたら、会いにきてくれればいいからと」
「レンツォ殿らしいな」
「ご存じなんですか?」
「ああ。俺の兄も魔法科で仲が良かったから、長期休暇の時などはよく我が家に泊まりに来ていたんだ。あの当時から、レンツォ殿はご実家と……いや、とにかく魔法の基礎はレンツォ殿に教えてもらったと言っても過言ではないかな。家庭教師より余程教え方が上手かった」
沈む夕日を見つめながら、ランデルトは懐かしそうに目を細めた。
確かに、レンツォは習うより慣れよ的な教え方なので、ランデルトには合う気がする。
それにしても、二人が知り合いだったと今になってランデルトから教えられたことにヴィヴィは呆れた。
長期休暇に入ってから二度もデートして、その時にヴィヴィはレンツォについて滔々と語ったのだ。
(どうしてこう、男の人って肝心なことを教えてくれないんだろう……。問い詰めても『訊かれなかったから』とかしれっと言うのよね)
これが男性脳と女性脳の違いかと、どうでもいいことに気を取られていたヴィヴィは、当初の期待――プロポーズされるかもということをすっかり忘れていた。
そのため、繋いだままだった手に力がわずかに込められて、驚きランデルトを見上げる。
ランデルトの顔はとても赤い。
それが、夕陽に照らされているせいなのか、緊張してるせいなのか、ヴィヴィにはわからなかった。
ただヴィヴィの顔は今、間違いなく緊張して赤くなっていた。