魔法学園70
食堂に入ったヴィヴィはあたりを見回したが、ランデルトはまだ来ていないようだった。
そこで、今までのように先に飲み物とデザートを注文して、入り口からわかりやすい席に座る。
これは以前、お互いが立って待たなくていいようにと決めたことだった。
また代金も微々たる金額ではあるが、学生同士なのだから先輩後輩恋人の関係はなしに、自分のものは自分で払おうと決めている。
これに関してランデルトは少々不満そうであったが、ヴィヴィは譲らなかった。
(あ、そういえば、あの時は私もなかなか頑固だったわね)
そのことを思い出して笑みが浮かぶ。
全てが全て、自分を見せていないわけではなかった。
そう気付いて、ヴィヴィはちょっとだけ安堵した。
それから先に飲み物――ハーブティーを一口飲んでカップをソーサーに戻す。
デザートはランデルトが来てから食べることにしているのだが、最初はランデルトの前で食べることさえ恥ずかしく、それは今でもあまり変わっていない。
そのため、ポロポロこぼれるようなパイなどは避けて、無難なシフォンケーキを選んでいる。
一緒に食事をしたのは、あのピクニック以来なかった。
そもそもデートにさえ出かけていない。
だからこそ、長期休暇では期待していたのだ。
(これでプロポーズとか早すぎるわよね……)
まだ本当の自分を見せていないが、これから見せたとして、果たしてランデルトは受け入れてくれるだろうか。
――思っていたのと違った。
前世で誰かが口にした言葉を思い出す。
マリルは魔法祭の舞踏会までにプロポーズされるはずだと言っていたが、あと半年もない。
それまでにランデルトとどこまで本音で付き合えるようになるのだろうか。
なぜかヴィヴィは不安になってきて、そわそわと周囲を見回した。
そこにランデルトが急ぎやって来て、ヴィヴィを見つけると軽く手を上げて微笑んだ。
たったそれだけで、今までの悩みは何だったのかというくらいの速さで不安は吹き飛び、一気に好きの気持ちが急上昇する。
これが魔力の相性というものなのかもしれない。
だがヴィヴィにとって、そんなことはどうでもよかった。
「すまない、待たせてしまって」
「いいえ、それほどではありませんから大丈夫です」
ヴィヴィは微笑んで答えると、目の前に座るランデルトを失礼にならない程度に見た。
以前よりも日に焼けた顔は凛々しく、体つきも心なしかさらに逞しくなったような気がする。
足は引きずったり庇ったりしているようにも見えなかった。
そのことにほっとすると同時に、胸の高鳴りがまた激しくなってくる。
それでも先ほどの決意を忘れてはいけないと、ヴィヴィは膝の上で両手を強く握り締めながらも、笑みを浮かべたまま口を開いた。
「足を怪我されたと伺いましたが、もう大丈夫なのですか?」
「はっ? ……それは、誰から訊いたんだ?」
「ダニエレ先輩です」
「くそっ! ダニエレのやつ……」
ヴィヴィの問いかけにランデルトは一瞬虚をつかれたような顔になったが、すぐに笑顔になって問い返してきた。
そこでヴィヴィが正直に答えると、ランデルトは小さく悪態をつく。
しかし、はっとしてまた笑顔に戻る。
「いや、失礼。その、怪我はもうすっかりよくなっているんだ。だから、わざわざヴィヴィアナ君に知らせて心配をかける必要はなかったんだが……ダニエレが余計なことを言って煩わせてすまなかった」
ヴィヴィの――女性の前で悪態をついたことを詫びて、ランデルトは何でもないことのように言った。
今までのヴィヴィならそれで引いていただろう。
だが、このままではダメだと気付いたのだ。
ヴィヴィはからからになった喉をハーブティーで潤し、震える手を極力抑えてそっとカップを置いた。
「――なぜ、余計なことだと、私が煩わされると思うのですか? 心配はします。むしろ、心配をさせてください」
「いや、だが――」
「先輩が魔法騎士科生で怪我が多いことは、お付き合いする前からちゃんとわかっていました。それなのに心配をかけたくないだなんて……何も言ってくださらないほうが、よっぽど心配します!」
「ヴィヴィアナ君……?」
最後は勢い余って声を張り上げてしまったために、ランデルトは驚きに目を見張る。
周囲からの視線も感じたが、ヴィヴィにとって周囲はどうでもよかった。
ただもっと穏便に伝えるはずが失敗したことで、後悔にヴィヴィは顔を真っ赤にして俯いた。
そのまま二人の間に沈黙が落ちる。
(他にも言い様があったのに……私のバカ!)
何かフォローしなければと思うのに、ヴィヴィには何も言えなかった。
そして、とても長く感じられた沈黙を破ったのは、ランデルトだ。
「ヴィヴィアナ君!」
「はい!」
背筋をまっすぐに伸ばし、厳しい口調で名前を呼ばれ、思わずヴィヴィも背筋を伸ばして返事をした。
まるで軍隊の上官から部下に命令が下されるようで、ヴィヴィが敬礼をしないのが不思議なくらいのやり取りだ。
ところが、ランデルトは勢いよく頭を下げた。
「申し訳なかった!」
「はい!?」
「俺は、いつの間にかヴィヴィアナ君を勝手な枠にはめて見ていたようだ」
「……枠、ですか?」
驚いたヴィヴィの返事は声が裏返っていた。
ランデルトはそのことに気付いた様子もなく、説明する。
「ああ。騎士道には〝女性はか弱く守るべき存在〟という信念がある。だが俺は、ヴィヴィアナ君の強さに惹かれたんだ。それを忘れていた」
「私は……強いのではなく、我が儘なんです。我が儘だから、自分の気持ちを抑えることができませんし、こうしてぶつけてしまうんです」
「いや、違う。俺はそれがヴィヴィアナ君の強さだと思う。ヴィヴィアナ君が、こうして言ってくれなかったら、俺は気付かないままだった。心配をかけたくないからと言い訳して、本当のところは怪我をした情けない自分を知られたくなかったのだと」
「先輩……」
「それこそ俺は、我が儘どころか、傲慢だった。だから、気付かせてくれてありがとう」
「そ、そんな! 私はもっともっと我が儘なんです。こんなものじゃないんです!」
今度はお礼のために頭を下げたランデルトに、ヴィヴィは慌てた。
すると、顔を上げたランデルトはふっと笑う。
「では、もっともっとヴィヴィアナ君の我が儘なところを見てみたい」
「え?」
「俺ももう遠慮はしないから」
「あの……」
微笑みながら言うランデルトの様子に、ヴィヴィは戸惑った。
今までよりぐっとくだけた雰囲気で、どことなく男の色気というものを感じてしまう。
「ひとまずは、ヴィヴィと呼ばせてもらってもいいだろうか?」
「は、はい!」
「よかった。では俺のことはランディと呼んでほしい」
「で、ですが……」
「人前が無理なら、二人きりの時だけでも。これは俺の我が儘だが、きいてくれないか?」
「……わかりました」
いきなり難易度の高いランデルトの我が儘に、ヴィヴィはためらったが、結局は頷いた。
もっと遠慮せずに仲良くなりたいと思っていたが、さすがにここまでとは想像もしていなかった。
まさか愛称で呼び合うことになるとは、レベルが高すぎる。
先ほどとは違った意味でヴィヴィは真っ赤になって俯いた。
胸がいっぱいでシフォンケーキを食べられそうにない。
こんなことならデザートは頼むんじゃなかったと後悔しながら、ヴィヴィはランデルトの合宿での話に耳を傾けていた。