魔法学園67
「ヴィ、ヴィヴィ、大丈夫なの?」
「ええ、たぶん。ランデルト先輩のお友達だから」
「そう……」
暗がりから手招きするダニエレは、ひげを剃っていないせいで少々――いや、かなり不審人物に見える。
ほっと息を吐いたアルタだったが、掴んだヴィヴィの腕は離さない。
ヴィヴィの説明に一応は納得しつつも、油断ならないとアルタは思っているようだ。
「はじめまして、ヴィヴィアナ君。俺はダニエレ。君の話はかねがね嫌というほどランデルトから聞かされているので、紹介もされずにごめんね。っていうか、紹介してくれないんだよ、あいつ」
「は、はじめまして。ヴィヴィアナです。えっと、こちらは友人のアルタ。ダニエレ先輩のことは存じ上げております」
「あ、そうなんだ。嬉しいな。アルタ君も、はじめまして」
「……はじめまして」
ダニエレは見かけはごつくて怖いが、笑うと途端に人懐っこい顔になる。
それは魔法学室からよく覗いていたので知っていたが、間近で顔を見るのも、声を聞くのもヴィヴィには初めてだった。
ただ、それはそれとして、なぜ今この状況なのだろう。
驚いていたヴィヴィが冷静さを取り戻して疑問に思った時、ダニエレが本題を口にした。
「ヴィヴィアナ君に伝えたいことがあったんだけど、俺が君に近付こうとすると、ランデルトが怒るからさ。今ならあいつ、生徒会の仕事でいないから」
「伝えたいこと、ですか?」
確かにランデルトたち生徒会は後片付けがある。
ヴィヴィたちはこのまま今日は解散となり、委員の会議がない者たちは帰っていいのだ。
会議が始まるまでにはまだ時間があるはずなので、アルタはヴィヴィから離れるつもりはないらしい。
学園内で何かあるとは思えないのだが、アルタにとってはこの怪しげな先輩がヴィヴィに不埒な真似をしないよう守らなければと思っていた。
ヴィヴィはかなりの美人で良家出身なのに、お嬢様育ちのせいか自分の価値にあまり頓着していないように思えるからだ。
いくらランデルトの友人とはいえ、ダニエレは怪しすぎる。
ひょっとして横恋慕かもとまで考えたアルタは、じっとダニエレを観察した。
「実はさ、ランデルトが怪我をしたんだ」
「ええ!? っ――」
突然の言葉に驚きの声を上げたヴィヴィは、はっとして口を両手で押さえ、そしてきょろきょろと周囲を見回した。
その顔は酷く青ざめている。
ランデルトが怪我をしたと聞いて心配しつつも、周囲の注目を浴びたのではないかと思ったのだ。
「大丈夫。さっき、ランデルトの姿を見ただろ? それに、ここは防音魔法を施しているから話は漏れないよ」
「や、やはり、ランデルト先輩は……お怪我をされていたのですね……」
「ああ、気付いてた? 動きが少しだけぎこちなかっただろ? さすがだね」
アルタは二人の会話を聞いて、先ほどヴィヴィが言っていたことを思い出した。
ランデルト先輩の様子がどこか違う、と。
それが怪我のせいだったのかと、さっぱり気付かなかったアルタは、さすがヴィヴィだなと感心した。
「実はね、この前の合宿の最終日に俺がミスったせいで、あいつが足を怪我してさ。でも、あいつは真面目くさってるし、ヴィヴィアナ君に心配かけないようにと何も言ってないんじゃないかって思ってさ。しかも会ったらばれるだろう? それで、せっかくの休みに会うことさえしなかったんじゃないかと思ったんだけど、違う?」
「……忙しいので会えない、と言われました」
ヴィヴィはランデルトの怪我について詳しく知りたかったが、ダニエレの問いにひとまず答えた。
すると、ダニエレはまるで小芝居のように片手を額に当てる。
「あちゃー、やっぱりか! あいつ、マジ馬鹿。そんなの、余計に不安にさせるだけなのに! でしょ?」
「え? あ……少し……」
「ほーらー! だから言ったのに、あいつ頑固だからさ。気持ちはわからないでもないけど、ヴィヴィアナ君にはかっこ悪いところを見せたくないんだよ。まあ、そういうことだから、見捨てないでやってくれな」
「もちろんです」
「うん。というわけで、こうしてヴィヴィアナ君の不安を取り除いたので、俺のあの時のミスは帳消しだな。そして、ヴィヴィアナ君にあいつのかっこ悪いところを教えた俺は、騎士科の英雄となる。じゃあ、引き止めて悪かったね」
「あの! それでランデルト先輩の怪我は本当に大丈夫なんでしょうか?」
言うだけ言って去っていこうとしたダニエレに、ヴィヴィは慌てて問いかけた。
途端にダニエレは満足げに笑って頷く。
「俺のプライドほどには傷ついていないからね。今はまだ少し長時間立っているのはきついっぽいけど、後遺症が残るものでもないよ。あ、あと次にあいつに会ったら、『ざまあみやがれ』って伝えといてくれるかな? もちろん俺からだってことで」
「……ご自分でお伝えにならないんですか?」
「それじゃ、意味がないじゃん」
おそらくヴィヴィよりもダニエレのほうが先にランデルトに会うだろう。
内容はともかく、自分で伝えたほうが早いのではないかと思ったヴィヴィの疑問に、ダニエレは笑いながら答え、今度こそ去っていった。
その背中を見送って、ヴィヴィとアルタは階段下の陰から出る。
「ランデルト先輩、お怪我をなさっているのに片づけをしているのよね。大丈夫かしら……」
「きっと大丈夫よ。ダニエレ先輩もおっしゃっていたじゃない」
「うん……」
「それに私は――ヴィヴィ以外のみんなは気付かないくらいだったもの。もうほとんど治っているからこそ、ダニエレ先輩も教えてくれたんだと思うわ」
ランデルトのことを心配するヴィヴィに、アルタが慰めの言葉をくれる。
おそらくアルタの言う通りなのだろうが、ヴィヴィはやはり怪我をしたことを知らされなかったことが寂しく、後悔もしていた。
男のプライドとやらはわからないでもないが、やはり教えてほしかったという思いと、怪我をしてランデルトは苦しんでいたのに、ヴィヴィは会えないことを呑気に嘆いていたのだ。
思わずため息を吐いたヴィヴィの気持ちを察してか、アルタが話題を別の方向にもっていく。
「ダニエレ先輩って、変な人ね」
「……確かに、少し変わった方だわ」
「少しじゃないと思うけど……。でも魔力は相当ね。事もなげに防音魔法を使っていたし、たぶん幻惑魔法も使っていたんじゃないかしら?」
「幻惑魔法まで?」
「ええ。だって、いくら階段下だからって、ヴィヴィやあの先輩がいて目立たないはずはないもの。それなのに、みんな普通に通り過ぎてたわ」
「そういえば、そうね……」
目立つかどうかはともかく、ダニエレに声をかけられた時、なかなか見つけられなかったのも、ヴィヴィとアルタ以外にその声が聞こえていないようだったのも、それで納得できる。
防音魔法もさることながら、幻惑魔法まで扱えるということは、かなり優秀な魔法使いでもあるということだ。
「でも、そのことに気付いたアルタもすごいわ」
「え? 私? すごくなんてないわよ。ただ私はヴィヴィよりも冷静だっただけだから。周囲を見る余裕があったの。ヴィヴィはランデルト先輩のことで頭がいっぱいだったでしょう?」
「そうなんだけど……。やっぱりアルタはすごいわ」
「すごくない、すごくない」
ヴィヴィが感心していると、アルタは顔を赤くして否定していた。
どうやら褒められると弱いらしい。
そんなアルタが可愛く、今度はヴィヴィがくすくす笑って、ちょっと恥ずかしそうなアルタとともに、これからの授業について話しながら教室に戻ったのだった。