魔法学園52
「すみません、遅くなりました」
生徒会室のドアをノックして開ける前に、もう一度だけ大きく深呼吸をしたヴィヴィは、笑顔で生徒会室に入り、遅れたことを謝罪した。
すると、その場にいた執行部の者たちは気にしていないとばかりに手を振るだけで、仕事を黙々とこなしている。
しかし、会長であるランデルトはいない。
ついきょろきょろして姿を捜してしまったヴィヴィに、アンジェロが声をかけた。
「あんなでかいのがこの狭い部屋に隠れられるわけないじゃん。ランデルトなら、体育館だよ」
「あ、……はい。ありがとうございます」
照れながらヴィヴィはお礼を言って、自分の仕事をしようと準備をして円卓に座った。
今日はランデルトだけでなく、魔法騎士科の六、七回生が駆り出されて体育館に椅子を並べたりなどの式の準備をするのだ。
また家政科の先輩たちは花を飾ったりするらしい。
ヴィヴィは残念な気持ちながらも、少しだけ猶予ができてほっとしてもいた。
それからヴィヴィは何人かが席を立つ気配を感じていたが、作業に集中していた。
そして、ふと顔を上げると、生徒会室に一人でいることに気付く。
「……あれ?」
時計を確認したが、みんなが帰ってしまうような時間ではない。
おかしいなとは思いつつ、まあいいかと作業を続けようとしたその時、ドアが開いてランデルトが入ってきた。
「お疲れ、ヴィヴィアナ君」
「お、お疲れ様です、ランデルト先輩」
「……ところで、みんなは?」
「あ、えっと、気がついたら皆さんいらっしゃらなくて……休憩かもしれません。私は少し遅れてしまったので……」
「ああ、聞いてるよ。だが、休憩だからといって……」
言いかけたランデルトは口を噤み、その代わりに大きくため息を吐いた。
どうしたのだろうと思ったヴィヴィは、首の後ろに手をやるランデルトの呆れたような、照れたような顔を見て理解した。
みんなはそろそろランデルトが戻ってくるだろうと、また気を使ってくれたのか別室に移動したのだ。
先ほどまでみんなが座っていた場所に、書類などがいっさいない。
「あいつらも帰ってこないし、まったく……」
ランデルトはぶつぶつ言いながら、隣の応接間へと消えていく。
あいつらというのは、同じ魔法騎士科の執行部の人たちのことだろう。
ヴィヴィはかすかに苦笑して、また作業に戻った。
だがそれほど時間を置かずにランデルトは部屋に帰ってくると、一つ椅子を空けてヴィヴィの隣に座った。
そして、その手に二つ持っていた紙コップのうちの一つをヴィヴィの前に置く。
「少し休憩しようか」
「先輩、おっしゃってくださったら、私が用意しましたのに」
ヴィヴィは驚きのあまり、お礼を言うのも忘れていた。
男女に関係なく、この場合は後輩として先輩に飲み物を用意させてしまった自分の気の利かなさに、落ち込んでしまったのだ。
しかし、ランデルトは手を振りながら笑う。
「いや、いいんだ。俺が飲みたかったから。ヴィヴィアナ君は作業中だったしな」
「……ありがとうございます。ですが、今日は遅刻してしまったので、その分を取り戻さないといけませんから」
「ヴィヴィアナ君、その仕事は急がなくても間に合うだろ? それに、生徒会の仕事は義務じゃないんだ。もちろん責任は伴うが、自分の生活を優先させるべきだよ」
「……色々と、すみません」
「いや、そこは謝らなくていい」
今日は特に意気込みすぎていて、ヴィヴィは反省した。
すると、ランデルトは噴き出す。
思い描いていたものと全然違う、いつもと変わらない関係にほっとしたヴィヴィも、頬染めて笑った。
それから和やかな雰囲気の中、お茶を飲みながら休憩していたのだが、ふとランデルトが真面目な顔つきになった。
「ところで、ヴィヴィアナ君」
「は、はい」
「俺たちの交際のことなんだが……」
「――はい」
「校則にある交際届出書をいうものを知って――大丈夫か?」
「は、はい……大丈夫、です。続けて……ください」
まさか本当にランデルトが交際届書のことを口にするとは思わず、ヴィヴィは咽てしまった。
真面目すぎて引くレベルだが、恋するヴィヴィには誠実にしか思えず、どうにか呼吸を整えて続きを促した。
「ジュリオに相談したところ、あれは過去の遺物であって、今どきは提出の必要がないらしい。むしろ、正式に婚約したわけではないのなら、やめたほうがいいと忠告された」
「そう、なんですね……」
「もちろん、俺はいい加減な気持ちでいるわけではない。だが、ヴィヴィアナ君をまだ縛りたくはないんだ」
「先輩……」
ヴィヴィは色々な感情が入り乱れて、上手い返事がみつからなかった。
自分の気持ちは間違いなくはっきりしている。
だが、ランデルトがヴィヴィのためを思ってくれているのもわかる。
「ただ問題は、俺たちのことがここまで広まってしまったことだ。ヴィヴィアナ君の名前は出さなかったんだが、迂闊にも食堂へ行く途中で会ったジュリオに訊いてしまったばかりに、傍にいたダニエレが予想して騒ぎ立ててしまってな。黙らせるために殴った時には遅かった。本当に申し訳ない」
「い、いえ。本当にそのことに関しては謝罪の必要はありませんから。確かにちょっと驚きはしましたけど、それだけです」
椅子から立ち上がり、また深く頭を下げるランデルトに、ヴィヴィも慌てて立ち上がって答えた。
その言葉に、ランデルトは顔を上げ、嬉しそうな照れくさそうな顔で笑う。
この笑顔はヴィヴィには凶器である。
どきどきしながらも、交際届出書の提出は免れたようだとヴィヴィはほっとしたが、ランデルトはまだ真剣な口調で続けた。
「しかし、ここまで広まってしまった以上、学園への届出はともかく、やはりヴィヴィアナ君のお父上には挨拶するべきだと思って、今朝一番に手紙を出したんだ」
「お父様に?」
「ああ。本来なら直接お会いしてきちんと挨拶すべきだが、ひとまず先にと思って。そして、先ほど伯爵から返事を頂いた」
「まあ……」
ヴィヴィはお昼休みに手紙を出したので仕方ないが、まだ返事は届いていない。
父親からランデルトへの返事の内容が気になったヴィヴィは、訊いてもいいものか悩んだ。
しかし、あっさりとランデルトは口にする。
「ヴィヴィアナ君との交際は許さない、とあった」
「……え?」
「まだ十五歳の娘に恋人などは早いので、誰が相手であろうと許すつもりはないと」
「そ、それはさすがに……」
親馬鹿が過ぎる。
とヴィヴィは言いたかったが、必死に飲み込んだ。
十六歳で成人するこの世界でいったい何を言っているのかと、父親に今すぐ怒鳴り込みに行きたい気持ちを我慢する。
このままでは真面目なランデルトは交際することができないと言い出しかねず、どう説得すればいいのかと考えた。
それなのに、ランデルトはどこか照れくさそうに続ける。
「やはり俺も、娘がいれば同じように誰が相手でも許さないと思う。だが、寛大にも伯爵は友達としてなら認めるとおっしゃってくださったんだ」
「友達……」
どこの幼稚園児だとの突っ込みを、ヴィヴィはまた飲み込んだ。
友達なら十分間に合っている。
かすかに俯いていて唇を噛んだヴィヴィがちらりと視線を向ければ、ランデルトはなぜか満足そうな笑顔を浮かべていた。
「友達なら、理由がなくても傍にいることができる。一緒に過ごす時間がもてる。だから今度、街へ遊びに行かないか? その、二人で」
「――はい! ぜひ!」
思いがけないランデルトの言葉に、誘いに、ヴィヴィは驚き、次いで大きく頷いた。
考えてみれば、ヴィヴィの知る恋人と、この世界の貴族社会の恋人とでは大きな隔たりがある。
ジェレミアやフェランドは父親の許可を得て友達になったわけではないが、だからこそ二人だけで学園外へ出かけることはさすがにできない。
だが、父親に許可を得たランデルトとなら二人で出かけても――もちろん付き添いはいるが、堂々とできるのだ。
要するに、これはデートのお誘いである。
「で、では、そろそろ仕事に戻ろうか」
「そうですね」
にこにこと嬉しそうに微笑むヴィヴィから、ランデルトは顔を逸らして立ち上がった。
その耳は赤く、ヴィヴィまで恥ずかしくなって急いで紙コップを回収してランデルトとは別の方向にあるゴミ箱へと向かう。
「ありがとう、ヴィヴィアナ君」
「どういたしまして」
今度はアンジェロの邪魔が入ることもなく、初々しすぎる二人は微笑み合ってから、それぞれの仕事に戻った。
ただヴィヴィの心の中では、今度実家に帰ったら絶対に父に抗議しなければと闘志を燃やしていた。