魔法学園49
「あの……大騒ぎってどういうことですか?」
驚きすぎて声も出ないヴィヴィの代わりに、マリルがフェランドに質問した。
すると、フェランドはヴィヴィからマリルに視線を移す。
「やっぱりマリルはもう聞いたんだな。ヴィヴィとランデルト先輩のこと」
「え、ええ。まあ……」
マリルはちらりとヴィヴィを見ながら頷いた。
ヴィヴィもどうにか正気に戻ると、フェランドを問い詰めようとした。
そこに男子を中心として、ざわりと教室が揺れる。
「ヴィヴィアナさん、ランデルト先輩がいらっしゃってます」
「え? あ、ああ、あい!」
せっかく落ち着いてきたと思ったのに、教室の入り口にランデルトの姿を見たヴィヴィは、また動揺して怪しげな返事をしてしまった。
フェランドは噴き出したが、ヴィヴィは気にすることもなくふらふらと立ち上がってランデルトの許へと急いだ。
その背にみんなの視線が集まる。
ただ一人、ジェレミアだけは鞄から一限目の教本を取り出し、授業の用意を始めていた。
「すまない、ヴィヴィアナ君。授業前に」
緊張しながらも平静を装って近づいたヴィヴィに、ランデルトはまず謝罪した。
しかし、その顔にはまた三か所も当て布がされている。
「いえ、まだ時間はありますから。それよりもどうかされたんですか? そのお怪我は――」
「これはいつものことだから、大丈夫だ。だが、とにかく少し移動しよう」
「――はい」
実際、始業までにはまだ余裕がある。
ヴィヴィは素直にランデルトについて行きながらも、やはりかなりの視線を感じていた。
そして、ランデルトは階段近くの目立たない場所へ移動すると、いきなり頭を下げた。
「申し訳ない!」
「え?」
「その……昨日、俺のミスでヴィヴィアナ君と……付き合うことになったと、男子寮で広まってしまったんだ。本当に申し訳ない! 朝から迷惑をかけてしまったと思う。だから、俺の妄想だったということにして、昨日のことはなかったことにしてくれてかまわない」
「なかったことに……したいんですか?」
朝からの視線の理由はわかったヴィヴィだったが、「なかったことに」と言われて大きなショックを受けた。
ヴィヴィが呆然として問いかけると、がばりと顔を上げたランデルトは勢いよく首を振った。
「い、いや! もちろん俺は違う! だが、ヴィヴィアナ君は俺と付き合っていると、こんなに噂になってしまったら嫌だろう?」
「いいえ、全然」
「全然?」
「はい。むしろ誇らしいです」
慌てるランデルトを見ていると、逆にヴィヴィは落ち着いてきた。
何がどう騒ぎになったのかは気になるが、世間に知られることは本当にかまわないのだ。
それどころか、屋上から叫びたいくらいである。
しかし、ランデルトと顔を合せて自分の気持ちを言うのは恥ずかしく、ヴィヴィは照れながら微笑んだ。
途端に、ランデルトは真っ赤になった顔を左手で覆い、右手ですぐ近くの壁を殴りつけた。
ゴンッと鈍い音にヴィヴィは驚いてびくりと肩を揺らし、遠巻きに見ていた生徒たちは散っていく。
壁ドンならぬ、壁ゴンだ。
「すまない、驚かせて。だが昂ぶる気持ちが抑えられなくて……。とにかく、もし噂されて嫌な思いをするようなら、すぐに言ってくれ。解決策を……二人で考えよう」
「は、はい」
「……ありがとう、ヴィヴィアナ君」
「何がですか?」
「俺を選んでくれて」
「それは――」
「じゃあ、もう行かないと。また放課後に」
「は、はい」
自分を選んでくれて、さらにここまで気を使ってくれて、お礼を言いたいのはヴィヴィのほうだったが、ランデルトは言いたいことだけ言うと踵を返していってしまった。
だが、その耳は赤い。
今のやり取りでお花畑になりそうだったヴィヴィは、勢いのよい不規則な足音が聞こえて階段へと近づいた。
考えてみれば、魔法騎士科は棟が違うので今の時間なら急がなければならないだろう。
階段から下を覗き込めば、ランデルトは折り返しの階段を駆け下りるのではなく、かなり上の段から横へと飛び下りている。
そしてあっという間に斜めに横切る姿が小さくなり、一階に着いたのか、力強い足音が遠ざかっていった。
(……かっこよすぎるでしょ!)
運動神経が普通でしかないヴィヴィには、とてもではないがあんな芸当はできない。
そもそも女性としてやるべきではないが、男子のああいう姿はいつの時代も女子の心をときめかせる。
(ああ、でも……私も今なら空を飛べそう!)
さすがに飛ぶことはしないが、やはり雲の上を歩いている気分で教室へと戻った。
本当なら余韻に浸っていたいところを、予鈴が鳴ったために仕方なくであるが。
そして教室に入った瞬間、みんなの視線を集めたが、ヴィヴィは何もなかった顔で席へと着いた。
「ヴィヴィ、ランデルト先輩は何だったんだ?」
「教えない」
「じゃあさ、本当にヴィヴィとランデルト先輩は付き合いだしたわけ?」
「……先輩は嘘をおっしゃたりなんてしないわ」
「へえ?」
みんながヴィヴィとフェランドとの会話に聞き耳を立てているのか、いつもより教室は静かだった。
そこで本鈴が鳴ったので、ヴィヴィは慌てて授業の準備をしたが、それでもちらちらとした視線を感じる。
ジゼラなどはこれ見よがしにヴィヴィと目を合わせ、ふんっと笑った。
なぜそんな顔をされるのか、どうしてここまでみんなが気にするのかがヴィヴィには意味がわからず何となく腹が立つ。
(私とランデルト先輩が付き合うことが、そんなに問題?)
先ほどまでの幸せな気分を台無しにされたようで、ヴィヴィは苛々してしまっていたが、ふと気付いた。
そもそも幸せなのだから、腹を立てなくてもいいかと。
冷静になるとやはり思考力も戻ってきて、みんながここまで注目する理由がわかった。
今まで曖昧だったヴィヴィとジェレミアの関係がこれではっきりしたのだ。
ジェレミアが王太子として立つのも時間の問題だと言われている今、バンフィールド伯爵家につくか、ブルネッティ公爵家につくかと悩んでいる者たちは多くいるらしい。
よく言えば中立派であるが、要するに日和見である。
(やっぱり、お父様には今日にでも報せがいきそうだし、私からも急いで手紙を書かないといけないわね……)
まさかこのような形で、自分の父親に彼氏ができたと報告することになるとは思わなかった。
きっと父は反対するだろう。
それはランデルトだからではなく、誰が相手でも――たとえジェレミアだったとしてもだ。
自分で言うのも恥ずかしいが、父であるバンフィールド伯爵はヴィヴィを溺愛しており、親馬鹿である。
ただし、政治家として私情を持ち込まないのはヴィヴィも知っているので、今回のことで判断を誤ることはない。
ヴィヴィは父を信頼はしているが、やはり手紙を書くことは憂鬱で、こっそりため息を吐いたのだった。