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ジェレミア3

 

「お帰りなさいませ、ジェレミア様」

「……アントニー、今から鍛錬室に付き合ってくれないか?」

「はい、もちろんですとも」


 部屋に帰るなり告げた僕の言葉に、アントニーはあっさり答えた。

 何があったかさえ訊かない。

 きっとわざわざ僕が言うまでもなく、わかるのだろう。

 僕は急ぎ制服から動きやすい服に着替え、アントニーを連れて鍛錬室に向かった。


 鍛錬室とは、寮に二部屋ある鏡張りの部屋のことだ。

 ダンスや剣の型などを練習するためのものだが、男子寮ではもっぱら魔法騎士科の生徒が使っている。

 ただ今日は鍛錬室に誰もいないことはわかっていた。

 なぜなら、今日から魔法騎士科の生徒は演習に出ているからだ。

 騎士科以外の生徒が鍛錬室を使うことはまずない。

 だから、思う存分できる。


 鍛錬室に入ると、アントニーはいくつかある模擬剣の中からサイズの合うものを取ろうとしたが、それを僕は止めた。


「アントニー、今日は剣ではなく素手で頼む」

「……お怪我をなさいますよ?」

「わかってる」

「では……」


 剣ではアントニー相手にでもかなり応戦できるようになったが、素手だとまだまだなのはわかっていた。

 繰り出されるアントニーの打撃や蹴りを避けるだけで精一杯――いや、避けることもできず、どうにか防ぐくらいだ。

 アントニーは目立つ場所――顔や服から出る身体部分は攻撃してこないことがわかっているだけ、僕のほうが有利なはずだった。

 それでもやはり、防戦一方になる。


「くそっ!」

「ジェレミア様、汚いお言葉は使われないよう――」

「知るか!」


 苛立ちをぶつけるようにアントニーに拳を向けても、簡単にかわされてしまう。

 せめて一発だけでも殴ることができれば、すっきりするのに。

 それからどれくらい時間がたったのか、おそらく大してかかってないだろうが、僕は耐え切れずに床に転がった。

 体全体で息をしなければ苦しいのに、息をすれば胸や背中が痛む。


「気分は晴れましたか?」

「んな、わけない、だろ……」

「ですが体術もずいぶん上達されましたよ。まさか二発も当てられてしまうとは思ってもいませんでしたから」


 部屋の隅にある椅子に腰かけたアントニーは、息も切らさずに涼しい顔をして僕を見下ろしている。

 こっちは声を出すのもひと苦労だというのに腹が立つ。


「だがお前は……僕の首から上は、もちろん、喉などの急所は…狙わない。それでも、このざまだ」

「私の仕事はジェレミア様を五体満足で生かすこと。明日は休日とはいえ、一日二日で顔の痣は消えませんからねぇ」

「そこは、せめて、守ることって、言えよ。くそ、痛え……」


 どうにか呼吸が楽にできるように、体を横にして手足を投げ出す。

 アントニーはただ見ているだけで、介抱する気もないのが苛立たしい。


「それで、ついにヴィヴィアナ様からはっきりと振られてしまったのですか?」

「……振られたわけじゃない。僕から……パートナー解消を、申し出たんだ」

「馬鹿ですか?」

「うるさい」


 昨夜、食堂で見かけたランデルト先輩の雰囲気に何となく察してしまった。

 演習を前にして悲壮感漂う魔法騎士科の先輩たちの中で、あれほどに浮かれていると普通にわかる。

 そして、今日のヴィヴィアナさんの様子を見ていて確信した。

 だが彼女は義理堅いから、僕が今年も申し込めばパートナーを組んでくれただろう。


 だから僕からパートナー解消を申し出たんだ。

 誰だって、好きな相手を苦しめたくはない。好きな相手を喜ばせたい。

 自分から言った瞬間後悔したが、彼女がほっとしたような、それでいて嬉しそうな顔を見れば胸は痛んだが、これで良かったんだと思えた。


「では、ジェレミア様はどなたとパートナーを組まれるおつもりですか?」

「……昨日、ジゼラさんに、申し込まれた。それを受けるよ」

「おやおや、期間前に女性から申し込まれるなど、大胆ですねえ。そしてそれを受けられるジェレミア様は馬鹿ですか?」

「アントニー……。お前、先ほどから無礼が過ぎるぞ」


 呼吸もかなり楽になってきて、どうにか起き上がって座る。

 まだ立ち上がるまでの体力は戻っていない。


「ブルネッティ公爵令嬢とパートナーを組めば、いよいよジェレミア様が王位に就くために動き出したと思われるでしょう? 今でも第二王子を取り込んだと噂されておりますのに」

「だが……僕とパートナーを組んで、危険がないのは、ヴィヴィアナさん以外には、彼女しかいないだろう?」

「確かに……一番の脅威であるブルネッティ公爵家から狙われるわけがありませんからねえ。ただ正妃様のご実家であるカンパニーレ公爵家が黙っていないかもしれませんよ?」

「……好きに言わせるさ」


 学園内はしっかりした警備体制がとられているが、それでも一定の生徒を狙った暗殺者は潜り込んでくる。

 ヴィヴィアナさん自身は気付いていないが、バンフィールド伯爵はしっかり彼女に護衛をつけているし、その実力はアントニーが保証しているので心配はない。

 そもそもバンフィールド伯爵家なら、という者も多く、敵自体が少ないのだ。

 他にも護衛のついている令嬢はいるが、そこまでの実力ではない。


「それに、ジゼラさんなら目的がはっきりしていて、僕としても気楽だからな」

「彼女が本気になったらどうされるのです?」

「さあ、どうするかな?」


 どうにか体が動くようになって、痛みを堪えて立ち上がる。

 アントニーは手伝おうとさえしない。


 ジゼラさんは僕を好きというよりも、僕の立場が好きなんだ。

 今一番、王位に近い僕が。

 そして僕の隣にいることで注目されるのが好きらしい。

 ここ数ヶ月、一緒にいることが多くなって僕はその見解に間違いがないと確信した。


「ヴィヴィアナ様のことは諦められるので?」

「……彼女は友情を求めてる。それなら、僕は最高の友情を差し出せばいいだけだろ?」


 部屋に戻ってソファに倒れ込んだ僕に、アントニーが容赦なく問いかけてくる。

 これが魔力の相性というものなら、僕にはどうにもできない。


「なぜそこまでヴィヴィアナ様にこだわるのです?」

「さあな。僕にもよくわからない。刷り込みみたいなものじゃないか? ただ他に興味のあるものもないし、僕はこのままでいいんだよ」

「では、やはり王位にも興味がないと? だから第二王子をお育てになっていらっしゃるのですか?」

「あいつは昔の僕と同じだよ。だからヴィヴィアナさんに懐いてる。あいつにとって僕はおまけだろ」

「やはりご兄弟は思考も嗜好も似通ってしまうのですかねえ?」

「どうでもいいから、お前は早く僕の食事を取ってきてくれ。食べないと怪しまれる」

「はいはい。かしこまりました、ご主人様」


 ちっとも心のこもっていない言葉でアントニーは頭を下げて出ていく。

 ようやく部屋に一人になれた僕はほっと息を吐いた。

 きっと明日は一日起き上がれないだろう。


 誰かを殴りたい気持ちもあったが、殴られたい気持ちもあった。

 だから今は、気分だけはすっきりしている。

 これを言うと、アントニーにはまた被虐趣味だの変態だのと遠回しに罵られるだろう。

 痛む体を気遣いながらもう一度息を吐くと、やはり体中が痛んだ。


 それからちょっとだけのつもりで目を閉じたら朝だった。

 ソファに放置されたせいで余計に痛む体を起こし、アントニーがいるはずの控室を睨みつける。

 侍従として、主人を起こすなりベッドに移すなりしろよ。


 結局、その日一日は寝て過ごし、翌日どうにか普通に動けるようになって登校する。

 学園はパートナーの申し込み期間が始まって、どこか浮かれていて苛々する。

 たぶん体が痛むせいだろう。


 放課後になってジゼラさんにパートナーの申し出を受ける旨を伝えると、彼女は誇らしげに喜んでいた。

 だが当日までは絶対に口外しないようにと念を押す。

 するとジゼラさんは不満そうにしていたが、みんなを驚かすためと言えば納得した。

 単純でちょっと面白い。

 彼女は根は悪い子ではないのだろうが、家の教育方針のせいか権力志向が強すぎる。

 それが陛下の妃たちを思い出してしまう。

 しかし、第一王子として生まれたからには、この先も逃れられないのだろう。


 そして憂鬱な気分で迎えた舞踏会当日。

 一つ大きな誤算があった。

 ブルネッティ公爵家にアルボレート伯爵家の魔女の一人が嫁いでいたことをすっかり忘れていたのだ。


 彼女が――メラニアさんがアンジェロ先輩のパートナーとしてやって来たのは、僕に釘を刺すつもりだったのだろう。

 いや、釘というより針だ。

 チクリチクリと僕を刺す。

 手強い相手だが、だからこそゲームは面白くなる。

 それにメラニアさんのお陰で、ランデルト先輩と一緒にいるヴィヴィアナさんから意識を逸らすことができたのだから感謝したい。


 しかも、フェランドが連れていたパートナーを目にして、ここ最近疑っていたことが間違っていないことを知った。

 噂では聞いたことがあったが、どうやらフェランドは魅了の魔力を持っているらしい。

 魅了魔法は対象者を虜にするだけでなく、相手の魅力を最大限に引き出すこともできると聞いた。


 だからといって、フェランドが僕に忠誠を誓うとは思えない。

 一緒にいるのはおそらく僕が王族――魅了の力が効かないからだ。

 さらにはヴィヴィアナさんも。

 マリルさんは懸命に逆らっているようで、賢い女性だと思う。


 視界の隅で、大柄なランデルト先輩の背中が見えた。

 もうすぐラストダンスだ。

 ヴィヴィアナさんは先輩の陰に隠れていて、その表情を見ることはできないけれど、きっと嬉しそうに微笑んでいるのだろう。


 僕はヴィヴィアナさんの友達だから、彼女が喜んでいるならそれでいい。

 だけど寮に帰ったら、またアントニーに鍛錬室へ付き合ってもらおう。




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