魔法学園19
「あ、あの……」
「ん? どうしたの?」
「……えっと、助けてくれて、ありがとうございました」
「ううん。当然のことをしただけだから、気にしないでね。それより、災難だったわね」
医務室へ向かう途中、アレンがもじもじしながらお礼を言ってきたので、ヴィヴィはできるだけ優しい声で答えた。
何人かの生徒がすれ違いざまに、手を繋いだ二人を不思議そうに見ていく。
「それで、その……」
「あ、ごめん。手を繋いでるのは恥ずかしかった?」
「え? い、いえ。僕は平民だからヴィヴィアナ先輩が恥ずかしいんじゃ……」
「まさか! そんなわけないじゃない。さっきも言ったけど、この学園では身分は関係ないの。だからアレン君はもっと堂々としていいのよ? ひょっとして奨学生?」
「……はい」
「すごいのね! 魔力がそれだけ強いってことでしょう?」
「それは領主様が、お認めくださって……」
「それって、すごいことよ。じゃあ、いつかアレン君が立派な魔法使いになるのを期待しているわ。あ、でも勉強を頑張って政務官になるのもいいし、魔法騎士もいいかも。せっかくこの学園に入学したんだもの。しっかり学園生活を楽しんでね」
「……ありがとうございます。僕、頑張ります!」
「ええ。応援しているわ」
ヴィヴィの手をぎゅっと強く握って決意するアレンには、先ほどまでのおどおどした様子は消えていた。
そのことにほっとして医務室に入り、ヴィヴィが医務のロベルト先生に経緯を説明すると、先生はアレンをパーテーションの奥へと連れていく。
どうやら服を脱いで診察を受けるらしく、ヴィヴィは見えない位置にある椅子に座って待つことにした。
ぼそぼそとした二人の話し声と、ガチャガチャという金属的な音が聞こえる。
話の内容を聞かないようにヴィヴィは鞄の中から本を取り出し読んでいると、一人の男子生徒が入ってきた。
どこかで見た顔だなと思っていると、男子生徒が柔らかく微笑む。
「ヴィヴィアナさん、ありがとう。あとは引き受けるよ」
「ああ、生徒会の……」
「書記のアンジェロだよ」
「あ、そうでした。すみません、名前を覚えるのが苦手で……」
ヴィヴィがそう言って謝ると、アンジェロは驚いたように目を見開いた。
だがすぐにまた柔らかく微笑む。
傷ついたアレンの相手をするには男らしい先輩よりも、中性的なアンジェロが適任だろう。
そう考えて、ヴィヴィはアレンを配慮するランデルトに改めて惚れ直していた。
そこへ、先生が笑いながらパーテーションから出てくる。
「まさか、アンジェロ君のことを知らない女生徒がいるなんてねえ」
「そりゃいますよ、先生。ただ、同じ生徒会なのに、知られてなかったのは、ちょっとだけショックですけど」
「ご、ごめんなさい!」
「いや、いいよ。名前を覚えてもらうよりも、仕事をちゃんとしてくれれば。それで先生、アレン君は大丈夫なんですか?」
わざとらしく拗ねたように答えるアンジェロに、ヴィヴィは慌てて謝罪した。
するとアンジェロは笑って許してくれたが、すぐに真剣な表情になって先生へ質問を向けた。
ヴィヴィもアレンの怪我の具合は気になったので、その場に残って先生の話を聞く。
どうやら肘と背中を打ったらしく痣ができ、膝には擦り傷があるらしい。
とりあえずは湿布を貼り、消毒をすれば治るものだと聞いて、ヴィヴィは安堵した。
ただ、腕と肩には治りかけの打ち身の痕が三か所もあるという。
その意味することにヴィヴィは思わず顔をしかめ、アンジェロは器用にも笑顔で怒っていた。
それから服を着たアレンが不安そうに出てきたが、ヴィヴィの姿を見てほっとしたのか笑顔が浮かんだ。
「アレン君、擦り傷があったんですって? 消毒液はしみなかった? 先生もケチケチせずに、治癒魔法で治してくれればいいのにねえ?」
「こらこら」
「ヴィヴィアナ先輩、僕は大丈夫です」
ヴィヴィの言葉に先生が突っ込み、アレンは平気だというように答えた。
その顔は先ほどまでの弱気な表情が消えており、もう大丈夫そうだ。
「すごいわね。私は消毒液が苦手なの。だから先生、私の時は治癒魔法でお願いします」
「擦り傷くらいでは使わないからね。そもそもヴィヴィアナ君は女性なんだから傷なんて作らないように気をつけなさい」
何度かヴィヴィもお世話になったことのあるロベルト先生は、わざとらしくため息を吐いてヴィヴィに注意する。
今はもうないが、低学年の頃はアレンのような怪我をしたことが何度かあったのだ。
二人のやり取りにアレンがくすくす笑い、そこでアンジェロがようやく口を開いた。
「アレン君、僕は生徒会書記のアンジェロだ。ジュスト君やダミアーノ君に関して、もっと早くに対処すべきだったのに遅くなってしまってすまなかったね。ただ、もうこれからはないと誓うよ。だから安心してほしい」
「はい……ありがとうございます」
アンジェロの力強い言葉にアレンだけでなく、ヴィヴィも安心することができた。
すぐに話しかけようとせず、アレンの様子を見てからそっと口を挟むところに、アンジェロの気遣いが感じられる。
イジメなどは陰湿で引きずるものが多いが、この言葉は信用できた。
(たぶん、ランデルト先輩の対処の仕方もしっかりしていたからね……)
今まで生徒会に特に注目していなかったが、ヴィヴィが一回生の時に面倒をみてくれていた先輩も生徒会の副会長だった。
思い出してみれば、一回生の時にジェレミアと唯一仲が良い女子として酷いイジメに遭わなかったのは、気付かないうちに先輩が守ってくれていたのかもしれない。
(そういえば、二回生になってから嫌がらせが増えた気がする……)
ヴィヴィは自分一人で対処しているつもりだったが、どうやらしっかり守られていたらしい。
今さらそのことに気付くのは遅いが、それでも先輩にはまたきっと会えるはずだ。
将来社交界で再会したら必ずお礼を言おうとヴィヴィが心に決めた時、アンジェロに声をかけられた。
「ヴィヴィアナさん、アレン君は僕が寮へ連れて帰るから、もう大丈夫だよ。ありがとう」
「はい、わかりました。――じゃあ、アレン君。これで私は失礼するけど、また学園で見かけたら、いつでも声をかけてね」
「はい! 今日はありがとうございました」
すっかり元気になったアレンは顔を輝かせて答えた。
きっとこれが本来の姿なのだろうと思うと、ヴィヴィは自然と微笑んでいた。
「それじゃ、またね。――アンジェロ先輩、先生、それでは失礼いたします」
「うん、気をつけて帰ってね」
「ヴィヴィアナ君は、もうここに来ないですむといいね」
アンジェロと先生に別れの挨拶を口にすると、無難な返事と先生らしい返事をもらう。
またヴィヴィは微笑んでアレンに手を振り、医務室から廊下へと出た。
ところが、見知らぬ女性がいて驚く。
「あの……」
「私はこの学園の職員のベルと申します。すっかり遅くなってしまいましたので、寮までお送りいたします」
「あ、ありがとうございます」
確かに窓の外を見れば、陽も暮れて宵闇に包まれている。
普段、遅くなる時は誰かと帰るか、ミアに迎えに来てもらっているので、確かにこんな時間に一人で帰るのは初めてだった。
それでも同じ敷地内にあるのにとは思ったが、どうやら生徒会長から依頼があったらしい。
(何から何まで至れり尽くせりというか……抜かりがないわね)
生徒会役員はその将来を嘱望されているが、これほどに手際がよければそれも納得してしまう。
生徒会長も書記のアンジェロも将来は爵位を継ぐ身であり、王宮でもそのうち重職に就くだろうことが予想できた。
(アンジェロ先輩は名前と顔がやっと一致したけど、二人とも人気なのも納得だわ。先輩みたいな人たちが周囲にいれば、そしてその信頼を得られれば、王様のお仕事も少しは楽でしょうね)
なんとなくジェレミアのことを思い出しながら、ヴィヴィは寮へと帰ったのだった。