魔法学園141
「じゃあ、式はいつにしようか?」
「式?」
「結婚式だよ。本来なら国を挙げて盛大にするべきなんだろうけど、ちょっとそれは待てそうにないな。だから……三日後にどう?」
「三日後!?」
「祖父はもう式の準備だけは進めているはずだから、大丈夫」
ヴィヴィにとっては、ジェレミアと両想いになれたという喜びに浸る間もなく、進められる話に腰が引けた。
同時に実際の腰も引けたのだが、どうにかヴィヴィは話が飛びすぎていることを訴えようとした。
「い、いえ、そうではなくて! そ、そうよ。カンパニーレ公はジゼラさんがお相手だと思っているのでしょう? それなのに私が相手になってしまったら、驚かれるどころか――」
「喜ぶだろうね」
「でしょう? 反対され……え? 喜ぶの?」
「それはそうだよ。かねてから祖父はヴィヴィアナさんを僕の妻に――妃にと望んでいたんだから。はじめはバンフィールド伯爵の力を取り込むためだったみたいだけど、今はヴィヴィアナさん自身を望んでいるんだよ」
思わず眉を寄せたヴィヴィに、ジェレミアは苦笑した。
どうやらヴィヴィの複雑な心境が伝わったらしい。
「バンフィールド伯爵は王宮で力を持っている。だけど、ヴィヴィアナさんは今までの発明で国民から絶大な人気を得ているからね。僕の地位を盤石にするためには必要だと考えているらしい」
「私の立場はそれなりにわかっているわ。でも私や父の力がなくても、ジェレミア君には実力も人気もあるし、これからもっと多くの人から支持されるわよ」
「……それはありがとう。ヴィヴィアナさんにそう言ってもらえて、すごく嬉しいよ。というわけで、祖父たちのことはどうでもいいんだ。僕が話したいのは、ヴィヴィアナさんと僕のことだから」
振り出しに戻る。
そんな言葉が頭の中に浮かんだヴィヴィだったが、状況はそうではなかった。
気がつけばヴィヴィはソファの肘枠に追い詰められている。
「……ジェレミア君?」
「好きだよ、ヴィヴィアナさん」
「あ、ありがとう……」
物語ならここでキスをしてハッピーエンドなのだろう。
しかし、トラウマだけ残している前世よりも、伯爵令嬢として二十一年間育てられた記憶のほうが強いヴィヴィは困惑していた。
ただでさえ好きな人が傍にいるというのに、この状況では胸がどきどきしすぎてヴィヴィの寿命を縮めている。
どうすればいいのかわからず、何か別の話題はないかと、ヴィヴィが執務室内へ視線を向けた時、激しいノックの音が響いた。
同時にドアが開かれる。
「はいはーい! そこまで! ジェレミア、ヴィヴィが困ってる」
「困ってるの?」
「え? いえ、その……」
「確実に困ってるだろ。俺でもそこまでマリルには迫らなかったぞ。最初は」
「フェランド!」
にこやかなフェランドと、顔を赤くしたマリルの登場に、ヴィヴィが安堵したのは当然だろう。
ジェレミアの右手はヴィヴィの両手を握ったまま、まるでヴィヴィの背に腕を回すように背もたれに左手を置いている状況は確実に迫られている。
それなのにジェレミアはフェランドとマリルが現れてもヴィヴィから離れようとしない。
「仕方ないじゃないか、フェランド。ようやく十一年の想いが実ったんだから」
「お前には十一年でも、ヴィヴィはまだ慣れていないんだよ」
「……そうだね。無理強いをするつもりはないんだ」
そう言って体を起こし、ジェレミアが立ち上がると、ヴィヴィは心からほっとした。
自分がこんなに初心だとは思ってもいなかったが、ジェレミアがこんなに積極的だとも思っていなかったのだ。
ジェレミアはそんなヴィヴィを振り返って見下ろし、にっこり笑う。
これはもう嫌な予感しかしない。
「だけど、逃がすつもりもないからね。フェランド、今すぐバンフィールド伯爵との面会を取り付けてくれないか? それと僕は祖父に会ってくるから、ヴィヴィアナさんはマリルさんとゆっくりお茶を飲んでいてくれるかな?」
「ヴィヴィ……お茶にしましょうか?」
「え、ええ……」
マリルもフェランドも、ヴィヴィに諦めろとでも言うような笑みを向けた。
その表情はよく似ていて、やはり夫婦は似てくるというのは本当だなと、どうでもいいことを考える。
やがてジェレミアとフェランドが執務室から出ていき、主がいなくなった部屋で、ヴィヴィは落ち着かなげにマリルとお茶を飲んだ。
「どうしよう、マリル。すごく嬉しいのに、ついていけない……」
「確かに、あの行動力はびっくりよね。でも、ジェレミア君は十一年もヴィヴィに片想いしていたわけだし、もう待ちきれないのよ」
「マリルは知っていたの? ジェレミア君の気持ちを?」
「それはまあ……ヴィヴィたちの傍にずっといたから。もちろんフェランドも気付いていたけど、ほとんどの人は気付いていなかったと思うわよ。ただ……」
「ただ、何?」
「……ランデルト先輩は気付いていたと思うわ」
マリルから言いにくそうに告げられた内容に、ヴィヴィは驚いて動きを止めた。
それからこのままではお茶をこぼしてしまうと、慌ててカップをテーブルに置く。
「ヴィヴィ、ひょっとしてまだランデルト先輩のことを……」
「ううん、それはないわ。ただ本当に、私って鈍感だったなと思って。〝無知は罪なり〟ってやつね」
「よくわからないけれど、ヴィヴィに罪はないわよ?」
「ありがとう、マリル」
ヴィヴィの返答にマリルがほっとしながら慰めの言葉をくれる。
相変わらずマリルは優しいなと思いながら、ヴィヴィはもう一度カップを持ち上げてお茶を飲んだ。
今回は無知と言うには少し違うかもしれないが、自分のことばかり考えていた結果、色々な人を傷付けていたのだと身に沁みて思う。
〝知は空虚なり〟にしても、まったくその通りだった。
前世の知識に囚われて、せっかくの新しい人生を台無しにするところだったのだ。
だが、前世の知識で発明ができたように、この経験を活かして成長すればいい。
ソクラテスも〝英知を持つ者英雄なり〟と締めくくっているのだから。
きっとジェレミアは英雄と呼ばれるほどの国王になれるだろう。
そこまで考えて、ヴィヴィはふと気付いた。
「あれ? ちょっと待って……」
「ヴィヴィ、どうしたの?」
「私、ジェレミア君と結婚するの?」
「そうなるようだけど、嫌なの?」
「嫌じゃない。嫌じゃないけど、ジェレミア君は王太子殿下なのよ?」
「ええ、そうね」
「じゃあ、私は何になるの?」
「……おそらく、王太子妃殿下ね」
「そ、そんなの無理よ!」
今さらな事実に慄いて、ヴィヴィは立ち上がった。
ジェレミアはヴィヴィ以外とは結婚しないと言ってくれたが、そうなると必然的にヴィヴィの立場も決まってしまう。
振られる覚悟はできていたが、結婚する覚悟はまだできていない。
パニックに陥ってしまったヴィヴィは、驚くマリルを残したまま部屋から飛び出した。
そして、そのまま馬車寄せまで走り、来る時に乗ったマリルの馬車ではなく、父の――伯爵家の馬車に乗ろうとしたところで、ジェレミアの近衛騎士たちに捕獲されてしまったのだった。