魔法学園139
「久しぶりだね、ヴィヴィアナさん」
「殿下、本日は急な申し出にもかかわらず、このようなお時間を――」
「畏まった挨拶はいいよ。せっかくの機会なんだから、今まで通りに話してくれないか?」
「はい……」
苦笑するジェレミアの言葉にヴィヴィは素直に答えたものの、それから沈黙が落ちる。
緊張して何を言えばいいのかわからないのだ。
正確には、緊張していなくてもわからない。
ヴィヴィはマリルに連れられてジェレミアの執務室に来たのだが、昨日から一日経っても自分の気持ちを上手くまとめることができないでいた。
今朝、マリルは約束通りヴィヴィを迎えに来ると、研究者用のローブを取り上げ、ミアと協力して伯爵令嬢らしい装いにさせた。
そして付き添いとして一緒に王宮までやって来たのに、肝心のジェレミアの執務室にヴィヴィを押し込めると、隣の秘書官の部屋に入ってしまったのだ。
そういうわけで、ヴィヴィはジェレミアと二人きりになっていた。
「ヴィヴィアナさん、体調が悪いんじゃないよね?」
「え?」
「いや、研究室にもしばらく来ていなかったようだし、顔色もあまりよくないよ?」
「……酷い顔かしら?」
「うん。そう見えるね」
ジェレミアから言われたわけではなかったが、懐かしいやり取りに、ヴィヴィは笑った。
すると、緊張もわずかに緩んで落ち着いてくる。
「体調は大丈夫よ。でも、心が弱っているみたい」
「……何があったか、訊いてもいいかな?」
思わず本音がこぼすと、ジェレミアは途端に心配げな顔つきになった。
その表情は、学生時代に何度も見たものなのだ。
それだけ自分はジェレミアに心配をかけていたことに、今さら気付く。
このまま、すっかり上手くなった噓で誤魔化し、何事もなかったように友情を続けることはできるだろう。
だがそれは、ランデルトに振られた時に逃げようとしていたことと同じになる。
あの時、ジェレミアに背中を押され、ランデルトとちゃんと会って話すことができたからこそ、今はもう綺麗な思い出になっているのだ。
今度はジェレミアが相手だけれど、ここで逃げてしまったら、ずっと胸は痛むままかもしれない。
やはり気持ちを伝えて、きちんと決着をつけるべきだ。
そう決意したヴィヴィは、真っ直ぐにジェレミアを見つめた。
「ジェレミア君、結婚するの?」
「……よく知っているね?」
「それは……」
「いや、まあいいよ。とにかく、近々する予定なのは事実だから」
「そう……」
覚悟はしていたのに、はっきりジェレミアの口から聞くと、ぐっと胸を摑まれたように苦しくなった。
今すぐ逃げ出したい。
その気持ちを必死に抑え、ヴィヴィはありったけの勇気をかき集めて口を開いた。
「い、今さら言っても……困らせることは、わかっているんだけど……」
「うん?」
「私、ジェレミア君が好きなの!」
「――え?」
思い切ったヴィヴィの告白に、ジェレミアは目を丸くして口をぽかんと開けた。
ここまで驚いた顔は、十年以上の付き合いで初めてかもしれない。
ただヴィヴィにとっては予想通りの反応であり、本来ならもっと話をするべきなのに、結局は今すぐここから逃げ出すことを考えていた。
やはりもう耐えられそうにない。
「ご、ごめんね。言うだけ言ってすっきりしたかったの。すごく自分勝手よね。ほんと、ごめんなさい。じゃあ、もうお暇するわね。お仕事、頑張って――」
「ちょっと待って!」
ぺらぺらとまくし立てながら、ヴィヴィはマリルが待つはずのフェランドの部屋へ向かった。
その手をジェレミアが慌てて掴んで止める。
動揺しながらもヴィヴィの単純な心は、どこかで期待した。
それなのに、続けられたジェレミアの言葉は期待とはまったく違う。
「いや、あの……まだお茶も出していないから……」
「……ありがとう。でも、おかまいなく」
「かまうよ。どうして、僕が困るなんて思うの? ヴィヴィアナさんの気持ちを知って、困るわけないじゃないか」
「ジェレミア君が困らないと、私が困るわ」
「……ごめん、意味がわからない」
「当然よ。私もわからないから」
自分でも何を言っているのかわからないのだから、ジェレミアがわかるわけがない。
それでも、ヴィヴィはどうにか頭を理論的に働かせようと頑張った。
ジェレミアが困らないということは、ヴィヴィを受け入れるということで、ということはジゼラと二人でジェレミアの妻になるかもしれないということで、ヴィヴィは困るということだ。
問題はそれをどう説明すればいいかなのだが、やはりわからない。
「とにかく、一度座ってから話そう」
「無理よ」
「……僕は、ヴィヴィアナさんが好きだよ」
「はあ!? 何言ってるの!?」
逃げ出すことばかり考えていたヴィヴィは、突然のジェレミアの告白に思いっきり驚いた。
口調さえも乱暴になるくらいなのに、ジェレミアは気にした様子もなく微笑んで繰り返す。
「好きだって言ってるんだけど」
「わかってるわよ!」
「うん、僕もわかった」
「何が!?」
「ヴィヴィアナさんがかなり混乱しているってことが」
「なっ――!」
悔しいがまったくその通りで、言い返そうと思っても言い返せない。
顔を真っ赤にしてジェレミアを睨みつけても、当の本人は微笑んだまま。
こんなに嬉しそうなジェレミアを見るのもヴィヴィは初めてだった。
「……やっぱり無理よ」
「何が?」
「ジェレミア君の気持ちはすごく嬉しい。でもジェレミア君は結婚するんでしょう?」
「そうだけど?」
「だから私は無理なの。どんなに好きでも、他にも奥さんがいる人は……何人もの妻の中の一人にはなれないから……」
「そういうことか……」
ヴィヴィは俯き、幼い頃から心に誓っていたことを口にすると、ジェレミアはようやく納得したようだった。
そして掴んでいたヴィヴィの手を離す。
「ごめん、ヴィヴィアナさん。本当に、ごめん」
ジェレミアからの謝罪などほしくはなかった。
だが受け入れるしかない。
ヴィヴィは俯いたまま、静かに頷いた。