ジェレミア2
失敗した。大失敗だ。
まさか、ヴィヴィアナさんが恋をするなんて。
僕は力になるなどと偉そうに言って、自分の首を絞めてしまった。
いったいどこから間違えたのかわからない。
ヴィヴィアナさんの悩みに口を出そうとしたのがまずかったのだろうか。
見て見ぬふりをしていれば、こんな現実に苦しまなかったかもしれない。
それよりも、ヴィヴィアナさんを生徒会補助委員に推したことだうか。
だが、さすがに女子の委員長に推すことはできなかった。
だからせめて、委員長と仕事上で関わることの多い生徒会補助委員になってほしかった。
ずっと傍にいれば僕をちゃんと見てくれるんじゃないかと。
初めて会った時にはわからなかったこの気持ち。
席替えで離れることに不安を感じた時にも気付かなかった。
一年経って、クラスが別になるかもしれないと思ったあの時にようやく自覚したんだ。
本当は絶対にしてはいけないこと――アントニーに裏で手を回させてまでヴィヴィアナさんと同じクラスになるようにした。
アントニーに呆れられ笑われていたのはわかっている。
それでも離れたらこの関係は終わってしまうと怖かった。
ゲームを続けているのもそのせいだ。
時々、僕が浮かべる偽りの笑みを見て、ヴィヴィアナさんは申し訳なさそうな表情になる。
僕はそれなりに楽しんでいるのに、無理していると思っているのだろう。
だが否定することもなかったのは、彼女を縛りたかったからだ。
それが一番の間違いなのだろうか。
ヴィヴィアナさんは僕から解放されたかった?
だとすれば、本当に僕はこの四年間で何をやっていたのだろう。
先日もブルネッティ公爵令嬢をぼんやり見つめながら、公爵家の出方を考えていた時、ヴィヴィアナさんに見られていることに気付かなかった自分が恥ずかしくて照れ笑いをして誤魔化した。
ひょっとしてあれで僕の気持ちが知られてしまったのかもしかれない。
だからヴィヴィアナさんは無意識に僕から逃げるために、別の相手を見つけた?
いや、それは考えすぎだ。
王宮から寮に戻っても、僕は悶々と悩んでいた。
これからどうすればいい? 本当にヴィヴィアナさんに協力するのか?
選択肢はいつだって僕の前にある。
どれを選ぶか、その結果どうなるかは僕次第だ。
それにしても、なぜ今さらランデルト先輩を?
確かに生徒会は男女ともに人気のある生徒が多く、役員が現れれば女生徒から甲高い声が上がる。
だが今までヴィヴィアナさんが興味を向けたことはなかったはずだ。
これが魔力の相性というものなのだろうか。
そのくせ一方通行もあり得るとか、どれだけ残酷なのだろう。
「――ジェレミア様、申し訳ございませんが、先ほどからうざいです」
「アントニー……仮にも僕はお前の主人だぞ? うざいなどと失礼だろう」
「本音を好まれるのはジェレミア様ではないですか。それで、愛しのヴィヴィアナ様の悩みの原因が、ジェレミア様の悩みの原因なのですね?」
「……」
「そうですか、四年越しの初恋も実らず腐って落ちましたか」
「アントニー、お前いっぺん死ね」
「おや、ではジェレミア様もご一緒しますか? 第二王子殿下がご入学なさいましたが、あちらはやる気満々でございますよ?」
「……あいつらは馬鹿か」
「そうですねぇ。第二王子殿下はなかなかに可愛らしい方ですが、周囲がまずい。ご面倒なようでしたら、ヴィヴィアナ様がご提案されたゲームを下りられますか? 失恋記念に?」
「お前はもうしゃべるな。ただ……もう少しゲームは続けるよ」
僕の命令通り、アントニーは言葉を発しなかったが、その表情は雄弁だった。
未練たらしいのはわかっている。
それでも彼女の傍にいたい。
もし僕がこのままゲームを続けて王になったとしても、ヴィヴィアナさんはただ友人として祝福してくれ、力になってはくれるだけだろう。
八方ふさがりだ。
思わずため息を吐きそうになって呑み込む。
そしてアントニーの哀れみの視線から逃れるように、僕は食堂へと足を運んだ。
食堂は四回生までと五回生からで食事時間が分けられれている。
そのため、弟と出会うことはまずない。
部屋から出る前、アントニーはのんびりソファでくつろいでいたので、命の危険もないのだろう。
まあ、ここで僕の命を狙ってくるほど、弟の周囲も馬鹿ではないはずだ。
アントニーの態度は侍従としてはかなりどうかと思うが、もう諦めている。
まだ僕にはそれだけの実力がないということだ。
今度こそため息を吐いて食堂に入り、適当なメニューを選んで空いていた席に座ってしばらくすると、最悪なことに目の前にランデルト先輩が座った。
その隣には生徒会長のジュリオ先輩だ。
(メンケール侯爵家の嫡子であるジュリオ先輩ならともかく、なぜランデルト先輩なんだ?)
先ほどと同じ疑問が頭に浮かんだのは、目の前の先輩があまりにも……男らしいからだ。
男としてはしっかりと筋肉のついた体格は羨ましい。
僕自身もう少し筋肉がほしいと思うが、アントニーには体質的に無理に筋肉をつけても逆に動きが鈍る可能性があるので、機敏性を重視して今のまま剣の腕を磨いたほうがよいとアドバイスされている。
アントニーも細身だがその動きはしなやかで、未だに一度も剣で勝てたことはない。
「ジェレミア君、俺の顔に何かついているか?」
「え? あ、いや。すみません、じろじろ見てしまって。先輩のような体格に憧れているのでつい……」
「それはとても光栄だが、俺はジェレミア君のほうがよっぽど羨ましいけどな。こいつにしてもそうだが、女子はみんなジェレミア君やこいつみたいなほうが好きだろう?」
「こいつ呼ばわりしないでくれないかな? 僕にはジュリオって名前があるのだから。そもそもランデルトは脳みそまで筋肉だからダメなんだよ」
「誰が脳みそ筋肉なんだよ。ジュリオみたいに裏表があるやつのほうがよっぽどダメだろうが」
この二人とは初めて話したが、予想とは少し違った。
二人の学年は違うがかなり仲が良いらしい。
できればもう少し二人の会話を聞いて人間性を観察していたかったが、せっかくの機会をふいにするわけにはいかないだろう。
気が進まないが、無邪気なふりをしてランデルト先輩に話を振る。
「ランデルト先輩は好きな女性がいらっしゃるのですか?」
「は? どうしてだ?」
「いえ、先ほど女子はみんなジュリオ先輩のような方が好きだとおっしゃっていたので」
「ああ、そうか。いや、今のところ特別な相手はいない。俺は早く立派な魔法騎士になりたいんだ。ジェレミア君のこともしっかりお守りできるようにな」
「……よろしくお願いいたします」
悪い人じゃないのは確かだ。
いや、本当は実直で頼もしい人なんだろう。
いっそのこと嫌なやつだったらよかったのにと思う自分がよっぽど嫌なやつだ。
僕は心の中で自嘲しなから、わざとらしくならないように隣で笑っているジュリオ先輩にも問いかけた。
「ジュリオ先輩も婚約者はいらっしゃいませんよね? 相性のよい方はまだ見つからないのですか?」
「僕は……ここだけの話、もう見つけたよ」
「そうなんですか!?」
「うん。だけど色々と面倒だから、今のところは秘密。ジェレミア君も内緒にね」
「はい、わかりました。でもひょっとしてですけど……そのお相手って、クラーラ先輩ですか?」
「え? わかりやすかった?」
「いえ。ただお似合いだったので、鎌をかけただけです。ですが、もちろん秘密にしておきます。きっと知られてしまったら、男女ともにみんな絶望しますからね」
「だよなー。俺もそれはもう絶望したからな。クラーラの趣味の悪さに」
「ランデルト、明日の会議の資料、全て任せたからね」
「おい! ジュリオ、冗談に決まってるだろ!」
二人のやり取りに笑いながらも、生徒会は明日も会議があるのかと気付いて腹の中が重くなってくる。
ジュリオ先輩がそんな僕にまっすぐ視線を向けてきたために、内心を読まれたかと焦った。
「それで、そういうことを訊いてくるジェレミア君は、もう見つけたのかい?」
「――いえ、まだです。ですから、どんなものかと思って……」
「……そうか。でもまだ十五……十四歳だっけ? きっとこれからだよ」
「そうですね」
にっこり笑って答え、立ち上がる。
どうやらジュリオ先輩には嘘だと見抜かれてしまったようだが、言いふらすような人でもないので大丈夫だろう。
「今日は、お二人とお話できて楽しかったです。それでは、失礼します」
「うん、またね」
「俺も楽しかったよ。またな」
ぺこりと頭を下げると二人とも気さくな返事をくれた。
僕を王子としてまったく扱わないところが、悔しいけどとても好感が持てる。
ヴィヴィアナさんはそこに惹かれたのだろうか?
いや、でもまだそこまでランデルト先輩のことを知っているわけではないはずだ。
食器を返却口に返し、僕は部屋に戻りながら考える。
ヴィヴィアナさんと約束した情報は、くしくも簡単に手に入れることができてしまった。
今までほとんど接点がなかったのは行動時間がずれているということもあったが、それにしても嫌な偶然だ。
この情報を素直に伝えるべきだろうか。それともランデルト先輩には想う人がいると嘘を伝える?
胸やけがしそうな思いを抱えたまま、僕はアントニーが待つ部屋へと戻っていった。