魔法学園129
結局、学園の長期休暇の間、ヴィヴィはたびたびジョアンナの訪問を受けた。
そのたびにジェレミアの近況を聞いたのだが、何回か催されたお茶会や、ジョアンナの出席できない夜会でも、ジェレミアは花嫁候補を上手くかわしていたらしい。
しかし、それに業を煮やしたのは周囲のようだ。
「もういい加減にお爺様もお母様も焦れてしまったみたい。この際、誰でもいいからひとまず結婚しなさいってジェレミアお兄様にかなり強くおっしゃったの」
「誰でもいい?」
「ええ、子供ができなくてもいいからって。結婚してしまえば、とりあえず王太子になれるはずだって。一度なってしまえば、簡単には廃太子にできないから、その間に相性のいい人を探せばいいって」
「それはさすがに……」
以前のジェレミアは、片想いの相手に家の力を使って無理強いをしても苦しめるだけだ、と言っていた。
そんなジェレミアが、その話を受け入れるはずがない。
むしろカンパニーレ公や母である王妃に反発するのではないか。
ヴィヴィの心配は当たったようで、ジョアンナは悲しそうに続けた。
「それで、いつもは冷静なお兄様もかなり怒っていらしたの。声を荒げたりはされなかったけれど『お互い、苦しみしか生まないような結婚をしてまで王位を継ぎたいとは思いません。それならいっそ、臣籍に下ります』とまでおっしゃって……。それはもうお爺様もお母様も大慌てだったわ。それ以来、お爺様たちは無駄なお茶会などをやめられて、私もほっとしているの」
「……それは大変だったけど、ひとまずは安心ね。でも、ジョアンナさんはその話を誰から聞いたの?」
「誰からじゃなくて、直接聞いたの。お兄様たちがいらした部屋の隣にこっそり忍び込んで、ドアに耳をつけて。ばれないようにするのが大変だったわ」
誇らしげに胸を張るジョアンナがおかしくて、ヴィヴィは笑いを堪えた。
ドアに耳をつけて盗み聞きする人がいるなんて、マンガくらいだと思っていたのに、本当にいたのだ。
ただ、必ず言わなければいけないことがあり、ヴィヴィは必死に咳払いで笑いを誤魔化した。
「あのね、ジョアンナさん。今の話は誰か他の人にも話してしまった?」
「いいえ、もちろんヴィヴィアナ先輩だけです。私だって、お兄様の発言がどれほどの大事を引き起こすかはわかっていますから。……って、お爺様があの時におっしゃっていたからですけど」
正直すぎるジョアンナに、今度はヴィヴィも堪えきれずに笑ってしまった。
ヴィヴィは王宮で研究するようになって、想像以上にあちらこちらで繰り広げられる泥沼の引っ張り合いを目にして驚いたものだ。
このような中で育ったジェレミアが入学当初ひねくれていたのも理解できるし、ジョアンナがここまで素直に育ったのも奇跡だと言える。
「先ほどのジェレミア殿下のお言葉は、ブルネッティ公爵家やボンガスト侯爵家に伝わってしまったら大変なことになるものね。ジョアンナさんも、もし何か困ったことがあったら、すぐに誰か信頼できる人に相談するのよ?」
「私は大丈夫です。ずっと、ジェレミアお兄様が守ってくださっていましたから。私が物心ついた頃にはすでに学園に入学なさっていましたけれど、それでも何かと気遣っていてくださって……最近になって、そのことに気付いたんです。だから、これからは私もお兄様をできる限り守りたいって思っています」
「……すごいわね、ジョアンナさん。私もお兄様はもちろん、たくさんの人に守られて育ってきたけれど、そのことに気付いたのはずっと後よ。自分一人で大きくなったつもりでいたの。馬鹿よね」
「ヴィヴィアナ先輩は馬鹿なんかじゃありません」
「――ありがとう、ジョアンナさん」
まだ十二歳で、本来なら甘やかされて育ったといってもいい王女のジョアンナは、もう自分の立場を理解し、周囲の助けに気付いている。
ヴィヴィは素直に感嘆していた。
十二歳の頃のヴィヴィは――それ以前もそうだったが、前世の記憶のお陰で自分のことをずっと大人だと思っていたのだ。
男運は悪かったけれど、それなりに恋愛経験があり、社会人経験があり、立派な大人だと。
記憶は三十歳手前までしかなく、今のヴィヴィよりも年齢は上ではあるが、本当に大人だったとは最近では思えなくなっていた。
(体だけ大人になっていても、精神年齢はたいして成長していなかったのよね……)
今までのヴィヴィは、まるで本を読んだだけで経験した気になった、頭でっかちな人間と同じだった。
要するに、ヴィヴィの前世はこの世界とは違う女主人公のファンタジー映画を4Dで観たようなものだと考えればしっくりくる。
それなのに、その映画に――前世に囚われすぎていたのだ。
一夫多妻制の世界であることも手伝って、ジェレミアもフェランドも浮気性だと初めから決めつけていたが、本当は二人とも一途に相手を想っていた。
イケメンお断りなどと偉そうに思っていたヴィヴィこそ、彼らからしてみればお断りだったのかもしれない。
ジョアンナを廊下に出て見送った後、ヴィヴィは部屋の中に戻りながら大きくため息を吐いた。
(驕れる者久しからず。って、私のことよね……)
名門バンフィールド家に生まれ、成績も上位で、友人たちもジェレミアをはじめとした名門の出身ばかり。
身分の差なんて関係ないなどと思いながらも、自分はその恩恵をしっかり受けていた。
初めて好きになった相手――ランデルトもヴィヴィのことを好きになってくれて、告白され、付き合うことまでできたのだ。
これで調子に乗らないわけがない。そんなことができるのは、聖人くらいだろう。
(結局、謙虚なつもりでいても、どこかに傲慢な私がいたんだわ……。本当にできた人間だったら、先輩を癒すことはあっても、重荷だなんて感じさせなかったはずだもの……)
あれから半年以上経つのに、未だに引きずっている。
嫌いになれるわけなどないが、忘れることもできるのだろうかと、ヴィヴィは不安だった。
すっかり忘れることは無理でも、いつかランデルトが結婚したとの報せを聞いた時、せめてショックを受けずに素直に祝福できるようにはなりたい。
(よし! いつまでもうじうじしていないで、研究を頑張ろうっと!)
自分を叱咤したヴィヴィは、机に向かって応用魔法の使用書を開いた。
先日から植物の長期保存について研究を始めたのだ。
魔法の――治癒魔法や防御魔法の保存については発見できたが、正直なところあれは本当に運がよかったとしか言い様がない。
今度は上手くいくか、どれだけ時間がかかるかはわからないが、少しでも進展させていたかった。
もうすぐマリルとフェランドの婚約披露パーティーが開かれる。
そこで久しぶりにジェレミアに会うことになるのだ。
ヴィヴィは卒業前、ランデルトだけでなく、ジェレミアにも研究を頑張ると宣言した。
しかも、王宮に一室賜っているのだから、少しくらいは成果を出していたかった。
レンツォは焦る必要はないと言ってくれるが、前世の記憶があって役に立つとはっきり言えるのは発想力なのだから。
(そうよ。私に前世の記憶があるのは、このためだったのかもしれないわ)
前世の記憶は、男運の悪さを――男を見る目のなさを補うためではなく、研究のためだった。
そのために一生一人でいても暮らしていけるだけの財力を持った家に生まれてきたのかもしれない。
女性にしては強い魔力も、研究に役立つためなのかもしれない。
考えれば考えるほど、その通りに思えてきて、ヴィヴィはこれからの人生にはっきりした目標を持ったのだった。