魔法学園127
「ヴィヴィアナ先輩、こんにちは!」
「……ジョアンナさん――いえ、王女殿下。殿下がこのような場所にいらっしゃるべきではありませんと、何度申せばわかってくださるのですか。お呼びくだされば、こちらから伺います」
「やめてください、ヴィヴィアナ先輩。私と先輩は姉妹学年だったのですから、先輩は私のお姉様と同じですもの」
ヴィヴィの研究室に入ってきたジョアンナの言葉に、ヴィヴィは曖昧に微笑んだ。
ここは王宮なのだから、学園の時のようにはいかない。
だがジョアンナは何度指摘しても気にした様子はなく、ヴィヴィは半ば諦めていた。
むしろジョアンナの行動はわざとではないかと、穿った見方をしてしまうのは、最近のヴィヴィを取り巻く環境のせいだろう。
樹脂の発見者が発表された時、世間は驚くとともにレンツォとヴィヴィを讃えた。
しかし、そのうち懐疑的な噂が流れるようにもなったのだ。
たかが学生があれほどの発見をできるものなのかと。
レンツォの助手をしていたので、名前を連ねただけではないか。
そもそもヴィヴィの名に箔をつけるために、先に発見していたレンツォの助手になったのではないか。
これはジェレミアの婚約者になるために――正妃となるための下準備ではないかと。
この噂には家族で笑った。
ヴィヴィの名前にわざわざ箔などつける必要などなく、ジェレミアの婚約者になるのなら、学生時代にさっさと動いていると。
噂の出所はだいたいわかっていたが、バンフィールド伯爵は何も言わずせず、ヴィヴィもしばらくして王宮の研究室で過ごすようになっていた。
ジェレミアは政務官として働きだしているらしいが、宰相補佐のような仕事をしているらしく、いよいよ王太子の位に就くだろうと有力視されている。
そして、ジョアンナは休日に学園から王宮に戻ってくるたびに、ヴィヴィの許へとやって来るのだ。
「実はヴィヴィアナ先輩にお願いがあって、ご迷惑を承知でまいりました」
「何でしょう?」
迷惑だと思いながらもやって来るところが、さすがは王女様だなとヴィヴィは微笑んだ。
もちろん、ジョアンナに対してヴィヴィは迷惑だなどとは思ってはいないが、世間は色々と噂しているようだ。
それと同時に、ヴィヴィとどうにか親しくなろうと近づいてくる者も多い。
ヴィヴィはそんな相手を上手くかわしながら、ジェレミアはもっと大変なのだろうなと同情する日々だった。
「実は、今回の長期休暇の課題の自由研究なのですが、薬草について何か研究できればと思っているんです」
「あら、もうそんな時期なのね……」
ジョアンナの言葉で、学園が長期休暇に入っている時期だとヴィヴィは気付いた。
卒業してからもう半年以上経つのだ。
そして今は、せめて他に人が――ヴィヴィとジョアンナの使用人以外の人がいない時は、学園の時のように話してほしいとジョアンナに言われて、ヴィヴィは折れていた。
「それで……毎日お邪魔しようとは思っていません。ただ何か、研究の手掛かりになるものがないかなと思って、少しだけ見学させてもらえたらと思い、やって来てしまいました」
「それはもちろんかまいけれど、私もまだ勉強中の身だから……一緒に何かいいものがあるか、考えましょうか?」
「はい!」
元気よく返事をするジョアンナを見て、ヴィヴィも何だかやる気が湧いてきた。
ヴィヴィが王宮の研究室に通うようになってからも、半年近くになるということだ。
レンツォは一緒に樹脂についての研究を続けないかと言ってくれたが、ヴィヴィは薬草の勉強に集中したいと断った。
元はヴィヴィも薬草を勉強するつもりでレンツォに弟子入りし、途中から樹脂にかかりきりになったので、知識が中途半端なままなのだ。
ただ当初のヴィヴィの考え、治癒魔法と薬草を合わせられないかとの考えは、樹脂を発見したことで必要なくなってしまっていた。
酷い風邪をひいた時など、薬草とすり潰した樹脂を同時に飲めばいいのだから。
今のところ、副作用的なものも報告されていない。
そのため、ヴィヴィは立派な研究室を与えられたものの、目的を失っていた。
だがジョアンナと一緒に勉強することで、新しい目標ができるかもしれない。
何より、時々レンツォと話をする以外には一人で黙々と研究を――勉強をしているのに疲れてきていたのだ。
レンツォは樹脂での研究で壁にぶつかるとヴィヴィの意見を訊きにくる。
ヴィヴィは薬草のことでわからないとレンツォに教えてもらう。
ミアは結婚を控えて準備もあり、最近は新しい侍女についてきてもらうことが増えていた。
とはいっても、全員女性兵士なのだが、ミアにかなり厳しく特訓を受けているようだ。
要するに、学園を卒業して大きく環境が変わったことに、ヴィヴィはまだ馴染めないでいた。
「――でね、この薬草は乾燥させておけば、いつでも使えるのよ。こちらは軟膏にするんだけど……ジョアンナさん、聞いてる?」
「え? あ、ごめんなさい」
「退屈だった? 自由研究は好きなことをしたほうが楽しいし、思いがけない発見ができたりするものよ?」
始めた薬草の勉強にジョアンナは興味津々だったが、途中から徐々に上の空になってきている。
ひょっとして楽しくなかったかと、ヴィヴィは心配になって訊いた。
楽しくないことをさせたくはない。
だから怒っているわけではなかったのだが、ジョアンナは慌てふためいた。
「ち、違うんです! 薬草には本当に興味があって、勉強したくて……でも、明日のことが気になってしまって、ついぼんやりしていました。ごめんなさい」
「明日のこと?」
「はい。明日は私の主催でお茶会を開くんです」
「まあ、そうなの? 確かに主催者としては大変かもしれないけれど、ジョアンナさんには助けてくれる人がたくさんいるでしょう? だから大丈夫よ」
十二歳とはいえ、そろそろ主催者としてお茶会を開くのも王女として必要だろう。
だが、ジョアンナの周囲にはしっかりした侍女が配されているはずで、失敗することはまずない。
そう思って励ましたヴィヴィだったが、ジョアンナは首を振った。
「ありがとうございます。でも……お茶会を開くのは別にいいんですけど、それはただの名目なんです」
「名目?」
「ジェレミアお兄様の出会いの場としての」
「ああ、なるほど……」
ふて腐れたように答えたジョアンナの言葉に、ヴィヴィは納得した。
以前、お茶会などで令嬢と引き合わされると、ジェレミアがぼやいていたことを思い出す。
「お父様がジェレミアお兄様のご年齢の時には、もうジュストお兄様のお母様とご結婚されていましたし、半年後にはジャンルカお兄様のお母様とご結婚されましたから、お祖父様たちは焦っていらっしゃるんです」
「そうでしょうね……」
「でも、私のお母様はいわゆる出遅れてて……。お父様たちより四歳も年下でしたから」
「確か、陛下が学園をご卒業して三年後にご結婚されたのよね?」
「はい」
ヴィヴィも貴族の常識として、そのあたりのことは一応知っていたが、ふと気付いた。
四歳年下で三年後に結婚ということに。
「お母様は十六歳になられて――六回生の途中で学園を卒業されて、そのまま社交界デビューなさったんです。そこでお父様とお会いになって……半年後にご結婚され、その二年後にジェレミアお兄様はお生まれになりました」
「そうなのね……」
「だからって、私はよく知りもしない四回生や五回生の先輩たちまでお茶会に招待しなければならないことに、納得がいかないんです! 私はまだいいですけど、お兄様が気の毒すぎます! だからヴィヴィアナ先輩、明日のお茶会に先輩も出席してくださいませんか!?」
「わ、私……?」
それはさすがに無理がある。
ジェレミアに同情はするが、こればっかりはどうにもならない。
そのことを、どうジョアンナに説明するか、ヴィヴィは心の中で頭を抱えた。