魔法学園124
かすかな笑みを浮かべて一人で戻ってきたヴィヴィを見て、ミアは驚いたようだった。
しかし、何も言わずに応接間まで付き添ってくれる。
それからは、夫人にお礼と別れの挨拶をして、母とミアとともに帰りの馬車に乗った。
それまで何も言わなかった母だったが、車内で三人になった途端に、ヴィヴィに問いかけた。
「ランデルトさんとは、きちんとお別れできたの?」
「――ええ」
はっきり答えたヴィヴィは、次いで情けなく微笑んだ。
「本当は別れたくないと縋ってみたのですが、断られてしまいました」
「そう……。それは残念だったわね。ランデルトさんは頑固なようですものね」
「そうなんです」
母はヴィヴィが、ランデルトにもう一度会いたいと言っても、父とは違って何も言わなかった。
加勢もしてくれなかったが、おそらく全てわかっていたのだろう。
ヴィヴィがもう一度やり直したいと思っていること、それでもダメならきちんと別れを言いたかったことを。
そしてそのために、まずヴィヴィは父を一人で説得しなければならないと。
やはり父の唯一である母はすごいと、ヴィヴィは改めて感じた。
以前はランデルトのために、母のような素敵な女性になりたいと思っていたが、今は自分のためになりたいと思う。
ランデルトにはあんなふうに宣言したが、本当は他に好きな人ができる気がしない。
もちろん、この気持ちもいつか時が癒やしてくれるとわかってはいるが、今はただぽっかり心に穴が開いたようで、普通に会話できていることが不思議だった。
(ランデルト先輩はとても素敵な人だったけど……。結局、私は前世も今世も男運というより、恋愛運がないんだわ……)
ヴィヴィは車窓から街並みを眺めながら、ぼんやり考えていた。
恵まれた家柄に、恵まれた家族や友人、それなりに恵まれた容姿と揃っていて、今世こそは素敵な恋人ができて、幸せな結婚ができると思っていた。
実際、ランデルトは素敵な恋人だったのだ。
だが上手くいかなかった。
(もう、恋はいいわ。これからは先輩に約束したように、研究を頑張ろう!)
自分でも空元気だとはわかっていたが、ヴィヴィは心配する両親やミアに明日から学園に戻ると告げた。
すっかり勉強も遅れているだろうから、気合を入れなければならない。
もちろん卒業はできるが、王宮の研究室に入って、学園で教わることもできなかったら情けなさすぎる。
そうして翌朝、ヴィヴィは制服に着替え、伯爵家から直接登校した。
「ヴィヴィ、大丈夫なの!?」
「おはよう、アルタ。大丈夫よ。心配かけてごめんね。ありがとう」
「ううん。ヴィヴィがこうして顔を見せてくれただけで十分よ」
アルタは久しぶりに登校したヴィヴィを心配してくれ、それから何も聞かずいつも通りに接してくれた。
ヴィヴィは今回のことは後で話そうと決め、他のクラスメイトとも挨拶を交わす。
授業が始まってからは、幸いなことにランデルトのことを忘れることができた。
やはり休んでいた期間の内容がわからないのだ。
もうすぐ卒業とはいえ、最後の総仕上げとばかりに難題に取り組んでいたからだった。
とはいえ、やはり授業が終わればランデルトのことを考えてしまう。
休み時間を使って勉強をアルタに教えてもらっている時はいいが、みんなと楽しく会話している時、寮へと戻って部屋で過ごす時、何よりベッドに入ってからが一番つらかった。
(早く、早く、時間が過ぎてしまえばいいのに……)
前世の経験から、どんなにつらいことでも、時が心の痛みを癒してくれることはわかっている。
だが実際は、のろのろと時間は過ぎているようで、本当にランデルトのことを忘れられるのか、せめて苦い経験として思えることができるのか疑問だった。
そんなヴィヴィに追い打ちをかけるように、ヴィヴィとランデルトのことが学園内で噂になり始めていた。
ランデルトが怪我をして王都に戻ってきていること、ヴィヴィとランデルトが婚約を白紙に戻したこと。
ヴィヴィが長期間休んでいたことも、それでかと皆が納得していた。
しかし、次第に噂はヴィヴィが怪我をしたランデルトを捨てたとか、そもそもヴィヴィの心変わりのせいでランデルトは動揺して怪我をしたのだとかと、悪意あるものに変わっていた。
そのため、ヴィヴィから遠ざかっていく友達もいた。――いや、友達だと思っていた人たちだ。
それでもアルタやマリルたちは変わらない。
前もって二人の破局を話していたことよりも、ヴィヴィという人間を信じてくれているからだろう。
そんなみんなの気持ちは、噂が流れ始めたことでさらに伝わってきていた。
(本当に、私は家族にも友達にも恵まれているものね。それってすごく幸せなことだわ)
ヴィヴィはその友達の一人であるジェレミアをちらりと見た。
今は生徒会長も代替わりを果たし、ヴィヴィやジェレミアたち八回生は後片付けをしている。
これが終われば、あとは卒業を待つだけだ。
「ヴィヴィアナさん、悪いけどこの資料を戻すのを手伝ってくれないかな?」
「ええ、もちろん」
ジェレミアが大きな箱を抱えて立ち上がり、ヴィヴィに声をかけた。
それくらいなら当然手伝うので、ヴィヴィも立ち上がる。
すると、新会長まで立ち上がった。
「ジェレミア先輩、それなら僕がやります」
「いや、自分たちの代の片付けは、自分たちでやるからいいよ。ありがとう」
今度の会長はかなり熱意ある後輩で、しかもジェレミアの信者と言ってもよかった。
ただプレッシャーもすごいのだろうなと、ランデルトの後に会長に就任した先輩を思い出す。
途端にヴィヴィはまた苦い思い出に囚われてしまった。
「そうそう、資料室で面白そうな本を見つけたんだ。きっとヴィヴィアナさんの興味あることだと思うよ」
「そ、そうなの? それは楽しみだわ」
ジェレミアの明るい声でヴィヴィは我に返り、笑顔で答えながらジェレミアを追い越して、ドアを開ける。
資料室は生徒会室の隣、応接間のさらに隣にある部屋で、廊下に出なくても行き来できるのだ。
両手の塞がっているジェレミアは素直にお礼を言って、ヴィヴィの後についてきた。
この資料室は生徒会以外の利用者はなく、基本的には誰もいない。
そのうえ、資料が傷まないようにと窓も小さく、常にカーテンが引かれているので薄暗いのだ。
ヴィヴィはカーテンを開けることはせず、光魔法で明るくした。
「ありがとう、ヴィヴィアナさん」
「手伝うのはこれからよ」
笑いながらジェレミアが置いた箱の中を覗き、眉を寄せる。
箱の中に入っていたのは、数冊の本だけだ。
「ジェレミア君?」
「ヴィヴィアナさんと誰にも邪魔されずに話がしたかったんだよ。だけど、他の場所は人目を引くからね」
「みんな噂が好きだから。ごめんなさい、気を使わせてしまって」
今の時期、ヴィヴィとジェレミアが一緒にいればすぐに噂になるだろう。
その点、生徒会執行部のみんなは信用できる。
話というのも、きっとヴィヴィのためなのだろう。
そう思うと、ヴィヴィは自然と謝罪の言葉が口から出てしまっていた。
だが、ジェレミアは顔をしかめる。
「もう、謝罪はいいって言っただろう? それよりも少しは危機感を覚えないと」
「危機感?」
「密室に男と二人きりになったんだから」
ジェレミアの言葉にヴィヴィは笑った。
しかし、ジェレミアが一緒に笑うことはなく、ヴィヴィは落ち着かなくなってしまう。
「ジェレミア君、どうしたの?」
「さあ、どうしようかな……」
これはいったいどういう状況なのか、最近はすっかりぼけてしまったヴィヴィの頭ではよくわからない。
そんなヴィヴィを、ジェレミアは意地の悪い笑みを浮かべて見ていた。