魔法学園118
「お父様、お母様、お兄様、この度は私のことで煩わせてしまい、申し訳ありません」
「馬鹿なことを言うな、ヴィヴィ!」
「そうよ、ヴィヴィ。あなたは何も悪くないのよ。つらいでしょうに、私たちにまで気を使わなくていいの。さあ、座りなさい」
書斎に入るなり頭を深く下げたヴィヴィに、父は強く否定し、母は優しく慰めてくれた。
そして促されるままにヴィヴィがソファに座ると、母が隣に座る。
父とヴァレリオはその向かいに腰を下ろした。
「ヴィヴィ、昨日の今日でつらいだろうけど、今後のことは、きちんと話をしなければいけないんだ。すまないね」
「いいえ、お兄様が謝罪する必要はありません。全て私が至らないばかりに……」
すでに用意されていたお茶はまだ熱く、ヴィヴィは一口飲んだだけでカップを置いた。
すると、ヴァレリオが申し訳なさそうに口を開き、ヴィヴィは首を振って否定する。
だがそれも、ランデルトのことを思い出して途切れてしまった。
そんなヴィヴィの手に母の温かな手が重ねられた。
「……ヴィヴィにもランデルト君から手紙がすでに届いただろうが、私も昨夜受け取って驚いたよ。あれほどヴィヴィを望んでいたのに、あまりにも腑に落ちなくてね。何があったか知るために、先ほど軍の上層部の人間と会ってきたんだ」
「はい……」
ヴィヴィとランデルトは、まだ正式に婚約発表をしていなくても、すでに世間からは婚約していると見られている。
こうなった以上は、調べないでほしいなどとは言えない。
伯爵家の名誉がかかっているのだ。
「ただ、軍の上層部は報告を受けるだけだ。そして書類を読むだけなら私でもできる。そういうわけで、実際のところは何があったのか知るために、上層部の人間には立会人として、先日まで第五部隊に配属されていた治癒師から話を聞いたんだよ」
父の言葉にヴィヴィははっと顔を上げた。
確かに、ランデルトが王都に戻れないと手紙を送ってきた時期を考えれば、ちょうど治癒師が入れ替わる少し前の頃に何かが起こったのだ。
地位と名誉と建前のために飾り立てた報告書よりも、現場にいた者に――治癒師に話を聞くのが一番正確である。
ヴィヴィはここで逃げてはダメだと、昨夜からのように弱気でいてはダメなのだと、母の手の下でぐっと両手を握り締め、父を真っ直ぐに見つめた。
「お父様、全て話してください。私は大丈夫ですから」
「……うむ。そうだな。ヴィヴィは知っておいたほうがいいだろう」
父はそう言うと、咽を潤すためにカップを口へと運んだ。
先ほどよりお茶はかなり冷めているらしく、父はためらいなく飲み干した。
そしてカップを置くと、ヴィヴィを見つめ直して口を開く。
「はっきりと言うが、ランデルト君は怪我をしたらしい。かなり酷い怪我を」
「酷い、怪我……」
ヴィヴィは呆然として呟いた。
怪我をしたのではないかとは、想像していたことの一つではあった。
ランデルトは真面目が過ぎるので、怪我をしたことをミスと捉え、自分は相応しくないなどと考えているのではないかと。
しかし、それはヴィヴィの中で希望でもあったのだ。
怪我が治れば思い直してくれるのではないかと。
そこでヴィヴィは我に返った。
自分の悲劇に酔っている場合ではない。
「先輩は大丈夫なのですか!? 酷い怪我とは、いったい――」
「落ち着きなさい、ヴィヴィ」
「ですが――」
「ヴィヴィ」
立ち上がりかけたヴィヴィを、母が宥める。
それでも抵抗しようとしたヴィヴィだったが、珍しく強い口調の母に気圧されておとなしく腰を下ろした。
「ヴィヴィ、確かにランデルトさんが心配なのはわかります。ですが、手紙はランデルトさんの直筆だったのでしょう? 文字のぶれも感じられなかったわ。ですから、酷い言い方かもしれないけれど、意識はしっかりしているし、起き上がって手紙を書けるほどよ。それなら、命に関わる重い怪我というわけではないのでは?」
「ですが! ですが、お父様は酷い怪我だとおっしゃったわ」
「そうだね。ランデルト君は魔物に足を……いや、右足を切断するほどの深い傷を負ったそうだ」
ショックを与えないようにと、父が言葉を選んだのはわかった。
それでもヴィヴィには十分にショックで、やはり座っていてよかったと頭のどこかで思う。
母もヴァレリオでさえもまだ話を聞いていなかったらしく、ヴィヴィの手を握る母の手は震え、ヴァレリオの顔色も悪い。
しかし、ヴァレリオは気持ちを落ち着けるかのように深く息を吐き出し、皆の疑問を口にした。
「それで、今のランデルト君の状態は? しかもなぜ、そのような怪我を負ったのですか? 彼はまだ新人です。そこまで前線に出ていたとは思えません。彼の性格からして功を焦ったとも」
「……不幸中の幸いとでも言うべきか、まだ魔力の残っていた上官が上級治癒魔法で再接着を行い、どうにか足は失わずにすんだらしい。またヴァレリオの言うように、ランデルト君は功績を急ぐ必要はあったが、だからといって無理はしなかったはずだ。今回のことは、不運が重なったとしか言い様がない」
ヴィヴィの言いたかったことをそのまま言葉にしてくれたヴァレリオの問いに、父も頷いて答えた。
そして残酷な現実を締め出すかのように目を閉じ、軽く頭を振ってから続ける。
「もうふた月以上前の出来事になるらしいが、第五部隊の警備範囲で大型の魔物が二体出没したとの連絡が入り、部隊の半分がその地域に出動したそうだ。大型の魔物が二体同時に出没するなどとても珍しいらしくてね。治癒師の一人も当然随行した。しかし、その次の日に新たに大型の魔物が別の地域で出没したそうだ。さすがに全員が出動するわけにもいかず、残っていた隊員のうちの七割が出動したんだが、あいにく治癒師は同行することができなかった」
「なぜですか!?」
その七割の隊員の中にランデルトが含まれていることを察しながら、ヴィヴィは父に怒りを込めて質問した。
八つ当たりだとはわかっているのだが、抑えられない。
普段なら母が注意するだろうに、それがないのも同じ気持ちだからだろう。
「……不運なことに、そのひと月前から部隊で悪質な流感がはやっていたらしい。薬師でも手に負えないような重い症状の者には治癒師が治癒を施していたらしいが、最悪なことに治癒師の一人も感染してしまったそうだ。しかし、騎士たちの中には治癒魔法を扱える者も少なくない。実際、ランデルト君も中級治癒魔法は扱えたらしいね」
「……はい、それは知っています」
ヴィヴィは答えながらも、もどかしい気持ちでいっぱいだった。
魔法騎士が治癒魔法を使えても、先に攻撃魔法などで魔力を消費していては意味がない。
だからこそ、大規模な魔物討伐などでは治癒師が同行するのだ。
「今回のさらなる不運は出没した魔物が報告よりも手強い魔物だったこと。そして、ほとんどの者が病み上がりだったことだ。治癒師から聞いた話では、ランデルト君は怪我を負って動けなくなった隊員の一人を、魔物の一撃から庇ったために足を――足に傷を負ったらしい。彼がいなければ、その隊員は間違いなく亡くなっていただろうと、その場にいた者たちは証言している。それで……とにかく、ランデルト君は本部に戻り本格的な治癒を受けたが、怪我をしてから時間が経過しすぎていたせいで……歩くことはできるようになるらしい。努力すればゆっくり走ることも。ただもう、前線で戦うことは無理だそうだ」
ヴィヴィは歯を食いしばって話を聞いていた。
ランデルトの夢は第三部隊に配属されること。
だが、その夢を諦めてヴィヴィの卒業に合わせ、第一部隊へ転属を希望すると決意してくれた。
それが、癒えない傷を負ったために全てが絶たれてしまったのだ。
走れない魔法騎士はどうなるのだろう。
もし、ランデルトが治癒樹脂を持っていれば。
ひょっとして防御樹脂でも役に立ったかもしれない。
この悲劇を防ぐ手段はあったのに。
ヴィヴィは手元に持っていたのに。
大きな後悔が押し寄せて、頭の中がぐるぐるする。
涙を流すことさえできない。
ただ耳鳴りがどんどんひどくなってきて、めまいが激しく、吐き気がする。
そしてヴィヴィは、生まれて初めて、気を失ってしまった。