魔法学園112
ちょうどヴィヴィが階段を下りたところで、玄関のノッカーが叩かれた。
どうやらランデルトが到着したらしい。
執事は馬車の音が聞こえていたらしく、すでに応対のために玄関ホールにおり、ヴィヴィの姿に驚いていた。
だが、すぐにその感情を消すのはさすがである。
このままランデルトを出迎えたい気持ちではあったが、さすがにそれは若い娘としてはしたないと、ヴィヴィは執事に告げてさっと応接間へ向かった。
しかし、その前に父の書斎のドアを見て思わずノックすると、中から父の声が聞こえる。
「ああ、わかった。すぐに行く」
どうやら執事と勘違いしているらしいが、問題はなさそうのでヴィヴィはそのまま応接間へ入った。
すると、すぐにランデルトを案内してきた執事がまた驚いた顔になる。
「こんにちは、ランデルト先輩。父はすぐに参りますわ」
ヴィヴィがランデルトを見つめながら挨拶をすると、さらに執事は目を見開いた。
横目でその姿を見たヴィヴィは笑いをかみ殺して何でもないふうを装う。
そして母のように――女主人のようにランデルトにソファを勧めた。
「今日は、夫人は出かけていらっしゃる?」
「いいえ。もうすぐ来ると思います。たぶん、慌てて」
「慌てて?」
「まだ呼ばれてもいないのに、私が勝手に降りてきたので。ですから、今頃は淑女の体面がって、怒っていると思います。でもきっとここに入ってきたら、いつもの笑顔のはずです」
いつも冷静沈着な執事のうろたえた姿を見たせいか、ヴィヴィはリラックスすることができていた。
そんなヴィヴィにつられてか、どこか固い表情だったランデルトも微笑む。
そこへ母がいつもの笑みを浮かべて入ってきたため、ヴィヴィとランデルトはちらりと視線を交わして、笑いを堪えた。
母からは咎めるような視線を向けられたが、ちゃんとかわし方は心得ているので心配ない。
その後、すぐに父が入ってきて皆がソファへと座った。
「さて、ではランデルト君の考えを聞かせてもらおうか」
「――はい」
皆にお茶が配られ、落ち着いたところでヴィヴィの父が切り出した。
二日前とは違い、今度はランデルトが話す番だ。
ヴィヴィは何となく予想しながら、それでもどきどきしてランデルトの言葉を待った。
「一昨日、屋敷に戻ってから、ヴィヴィアナさんの状況を改めて考え、私がどうすべきかの結論を出しました。伯爵にはありがたいお申し出をいただきましたが、やはり辞退させていただきます」
ヴィヴィには、ランデルトの出した答えがすでにわかっていたが、心のどこかで期待している部分もあった。
そのため、落胆せずにはいられない。
しかし、その気持ちを隠すために、ヴィヴィは必死で笑顔を保っていた。
「……では、君は任命されるままに、地方へと――ヴィヴィと離れるというわけだね?」
「部分的に申し上げれば、その通りです」
「部分的?」
ランデルトの言葉に父は眉を寄せ、ヴィヴィは首を傾げた。
母も不思議そうにランデルトを見ている。
「一時的と申し上げるほうが正しいかもしれません。叙任式後に言い渡される配属先は、上層部が私の実力を推し量ったうえで決定されたことでしょう。それを私は受け入れます。もちろん第一部隊に配属される場合もありますから」
「まあ、そうだね」
「ヴィヴィアナさんは、卒業まで一年間あります。その間、私は私の実力に見合っていると判断された隊で自分を磨き、王宮の一室で研究を続けるヴィヴィアナさんを守れるだけの力をつけて戻りたいと思っております」
「先輩……」
ランデルトの言葉にヴィヴィは胸を詰まらせた。
そんなヴィヴィに、ランデルトは穏やかな笑みを向ける。
「今の私は実力はもちろん、圧倒的に経験が足りません。このまま王宮に配属されても、足手まといになるだけです。ですから、ずうずうしいお願いだとは思いますが、私に時間をください」
「たった一年で経験を積めると?」
「正直に申しますと、不可能なことはわかっています。ですが一年間、経験を実力で埋めるべく尽力し、第一部隊への配属願いを出します」
「ふむ。その際には私はもちろん、実家の推薦もいらないと?」
「もちろんです」
部隊に配属されてたった一年で自分から転属願いを出すのは、余程の臆病者か、実力者だけだと言われている。
それくらいはヴィヴィも知っていることで、特に王都勤務になる第一部隊への転属願いは風当たりが強い。
それを黙らせるだけの実力を、ランデルトは身に着けると言っているのだ。
「ヴィヴィはどう思う?」
「わ、私は……」
突然、父に問いかけられてヴィヴィは一瞬言葉を詰まらせた。
しかし、もうすでに答えは決めてある。
ヴィヴィはランデルトから父へと視線を向け、はっきりと告げた。
「私は、ランデルト先輩が決められたことを受け入れます」
「そうか。では、決まったな」
父はそう宣言すると、母とともに部屋を出ていった。
すぐにミアが入ってくると思ったが、誰も入ってこない。
どうやらドアが開け放たれたままであることから、しばらく二人きりにしてくれるのだろう。
「ヴィヴィ、すまない」
「何を謝罪されるのですか?」
「約束を破ることになる」
「……半年が、一年先に延びるだけですよね?」
「だが、約束は約束だ」
「私は待つのが得意なんですよ。ですから大丈夫です」
ヴィヴィは消沈するランデルトに笑顔を向けた。
元々この一年は、離れて過ごすだろうと最初から思っていたのだ。
ただ舞踏会でのプロポーズが半年先になっただけである。
そもそも、その原因はヴィヴィにあり、ランデルトが謝罪する必要はない。
むしろランデルトの進路を決めてしまうヴィヴィこそが謝罪しなければならないくらいだった。
だが、それをランデルトは望まないだろう。
「では……ありがとう、ヴィヴィ」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ランデルトのお礼の言葉は色々な意味を含んで聞こえた。
だからこそ、ヴィヴィもたくさんの気持ちをこめて、お礼を返したのだった。