魔法学園111
「ヴィヴィ、お行儀が悪いですよ。座りなさい」
「ですが――」
「ヴィヴィ」
「……はい」
思わず立ち上がっていたヴィヴィに、今まで黙っていた母が厳しくたしなめた。
ヴィヴィは不満ながらも仕方なく腰を下ろす。
「誤解を与えたのなら申し訳ないが、君の選択肢は二つではないよ。ただ確かなことは、ヴィヴィを地方へはやれないということだ。私たちはヴィヴィを守りたいからね」
「――おっしゃりたいことはわかります」
膝の上で固く両手を握り締めながらも、ランデルトは真っ直ぐにヴィヴィの父である伯爵を見て答えた。
父の言う『ヴィヴィを守りたい』とは、体だけのことではない。
暗にヴィヴィの心を傷つけるなと言っているのだ。
それは脅しではないかとヴィヴィは思ったが、なおも父の言葉は続いた。
「結局は二人のことだからね。どうするかは、これから二人でゆっくり決めていけばいい。決められる範囲でね。ただ一点だけ、数日中に君の答えがほしいことがある」
「何でしょうか?」
「この度の叙任式で、君がどこの部隊に配属されるか、私は関知していないので今のところわからない。だが、第一部隊に推すことは今からでもできる。幸い君は優秀なうえに、ご実家も立派な家柄だ。すぐに王宮配属になれるだろう」
「お父様、そのようにランデルト先輩を追い詰めないでください」
「ヴィヴィ、大丈夫だ」
「先輩……」
ゆっくりでいいと言いながら、一番大きな選択を急ぎ求める父にヴィヴィは抗議したが、ランデルトは穏やかに微笑んでいた。
第一部隊は王都勤務で、さらに王宮の魔法騎士となれば騎士の中でも超花形である。
確かに、第五部隊で実力を磨いたランデルトなら家柄も申し分なく、いきなり王宮に配属されても、誰もが納得するだろう。
しかし、それがランデルトの望んでいることでないと知っているヴィヴィにとっては、つらい選択に思えた。
「先ほども言ったが、私はまだランデルト君の人事には関与していない。だからひょっとして、第一部隊に所属されることがもう決まっているかもしれないよ」
「はい。もちろんです」
「では、私からの話はこれで終わりだ。今日を十分楽しんでくれ」
「――ありがとうございました」
「お父様……ありがとうございます」
これから登城する予定の父は立ち上がり、続いてランデルトもヴィヴィも立ち上がった。
そして応接間から父と母が出ていくと、入れ替わりにミアが入ってくる。
「さて、では今から出かけられるかな?」
「すぐにでも」
気持ちを切り替えたらしいランデルトの明るい問いかけに、ヴィヴィも笑って答えた。
それからは予定していた通り、街へと出かけてカフェに入ったり、露店をゆっくり見て回る。
その間、将来についての話はいっさいしなかった。
まるで今までと何も変わらないようでいて、以前よりも増えた警備に現実を思い出す。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰るために馬車へと乗り込んだ。
しばらくどちらも何も言わず沈黙が続いたが、やがてランデルトが口を開いた。
「ヴィヴィ……。もしよければ、叙任式前にもう一度会ってもらえないか?」
「は、はい。私はいつでも大丈夫です」
ヴィヴィの胸がドキリと音を立てた。
これは間違いなくランデルトの選択を伝えるためだろう。
隣に座るミアもそう悟ったらしく、心配そうにヴィヴィを見ている。
「では、明後日の午後はどうだろうか?」
「わかりました。母にもそのように伝えておきます」
「ありがとう、ヴィヴィ。今日は……とても楽しかったよ」
「こちらこそ、ありがとうございます。私もとてもとても楽しかったです!」
「……うん、よかった」
ヴィヴィが力を入れてお礼を言うと、ランデルトは強面の顔を優しくほころばせた。
それだけでヴィヴィの不安は消えていく。
さらにランデルトへの愛情が増していく。
もっと一緒にいたい。
それは口には出せない言葉で、ランデルトに選択させることを申し訳なく思いながらも、心の奥底では第一部隊を希望してくれることをヴィヴィは願っていた。
(やっぱり離れ離れはつらいわ……)
今日一日を久しぶりに一緒に過ごしたことで、蓋をしていたヴィヴィの感情が溢れ出してしまっていた。
そのため、笑顔でランデルトと別れてからのヴィヴィは、研究も手につかず、祈ってばかりいた。
――どうか、ランデルト先輩が王都に残ってくれますように、と。
そして約束の日。
ヴィヴィは再び緊張してランデルトの訪れを待っていた。
今日は出かけないので屋敷で過ごす昼用のドレスだ。
叙任式は三日後だが、今日も父が同席すると聞いて、ヴィヴィは半ばがっかりしていた。
おそらく父もまだランデルトから返事をもらっていないのだろう。
ということは、第一部隊を希望しているとは思えない。
もちろん、父なら当日でも配属先の変更をごり押しすることは可能だろうが、ランデルトがそれを望むはずはないからだ。
思わずため息を吐いたヴィヴィはふと気付いた。
(あれ? でも一年半前、私は先輩からプロポーズならぬプレプロポーズ? してもらったのよね? まだ半人前だから、私の八回生の舞踏会の時に、改めてプロポーズしたいって……)
一時期は何度もあの場面を思い出しては二年後を夢見ていたが、最近はすっかり研究のほうに気を取られてしまっていた。
そう考えると、寂しさを紛らわすため、少しでもランデルトや他の人たちのためになるようにと始めた研究は、ヴィヴィにとってもかなり役に立っている。
(前世でも失恋するたびに、勉強や仕事に没頭することで忘れようとしていたのよね……)
どうやらヴィヴィは恋愛事に関してはあまり成長していないらしい。
ただ今回は、研究に没頭することによって大発見をしたのだから、毒にも薬にもならなかった――多少は役立ったが、前世とは大きく違う。
さらに今回は、傷心を忘れるために新しい恋を探す必要もないのだ。
(そうよ。今回は失恋したわけじゃないもの! ただちょっと私の状況が変わっただけで……)
自分をどうにか励ましていたヴィヴィは、再び不安になってきていた。
まだ、失恋したわけではない。
ただ、状況が変わっただけだ。
「……」
「お嬢様?」
「私、今日は先に応接間で待っているわ。いつでも先輩を迎えられるように!」
いきなり立ち上がってドアへと向かうヴィヴィに驚いて、ミアが声をかける。
答えたヴィヴィは、すでにドアを開けていた。
ランデルトと初めてのデートの時、礼儀正しく執事が呼びにくるまで部屋で待っている間に、父が余計な忠告をしていたことを思い出したのだ。
先日だって、父は余計な選択肢を提示した。
だから今日は、父に邪魔をさせないように、ランデルト自身の選択をきちんと聞くためにと、ヴィヴィは階段を下りていった。




