0番ホームの譲さん
ーそう、私の叶わぬ恋は
0番ホームで始まり終わりを告げたー
「うわー、今日も凄まじい………」
会社の合同会議に向かうため、久しぶりに利用した駅の0番ホームにスーツ姿で立った宮前陽加は顔を歪めた。午前8時前の0番ホームは仕事に向かうスーツ姿のサラリーマンに学校に向かう制服姿の高校生でごったがえしている。そこをはたまた出張か旅行に行くのかは分からないがガラガラとスーツケースを引っ張って歩く人が横切る。いつ来ても本当にこの光景にうんざりする。エスカレーターに乗りながらもトタトタと前の人に続いて駆け降りる。軽く息を弾ませて行き交う人波の中を泳ぎながら列車を待つ列の最後尾に並んだ陽加は何気なく視線をホームに向けて微苦笑する
ーそこにいる筈の彼の姿が 自分の瞳に写らなくなって何年経つのだろうー
「………………………………」
その事を残念に思う自分に気づいて陽加はまだ自分は彼の事が好きなのだと痛感する。かつて自分はこの0番ホームで叶わぬ恋をした。
だって………
どんなに好きでも私は彼と生きる事が出来なかった。
どんなに彼の仕草に恋い焦がれてもその顔に触れることすら出来なかった。
ー死ななければよかった!ー
そう叫ぶあなたの横で泣く事しか出来なかった私の恋は始まりと同時に終わりを告げた。
「………………………………………」
それでもまだ私はそこに“居る筈の彼”を目で無意識に探す。後頭部にひょっとこのお面をつけ、スーツ姿でつまらなげな表情でいつも線路を眺める姿が思い出される。ほうとため息を吐いて陽加は唇を無意識に噛み締めて少し俯く。
ー譲さんー
私が叶わぬ恋をしたのは0番ホームで出会った地縛霊。でも、私は彼に命と心を救われた。
『お前は生きろよ。生きてるだけで全てが儲けもんなんだからさ』
そう言って、笑ったあと私は彼の姿を見る事が出来なくなった。当時の切なさを思い出して、ため息を吐いたと同時にホームに電車の到着を告げるアナウンスが流れる。
『まもなく0番ホームに参ります電車は………………………には参りませんのでご注意下さい』
電車の到着を告げるアナウンスにホームにそれまで虚ろに駅のホームに視線を落としていた企業戦士達が顔をあげる。その後ろ姿を眺めながらみんな必死に戦っているだと感じられるようになったのはいつからだろう。
「………………………………」
大人になったなぁと苦笑しながら自分と同じ企業戦士達の後に続いてモーセの海割りならぬ、人割りに協力しながらも電車に乗り込む順番を待つ。グイグイと人波に押し込まれながら黄色い線の向こう側に足を進めた瞬間。
「!!」
微かに視界を過ったの姿に慌てて振り返る。一瞬だけ視界に入ったのは見慣れた『ひょっとこ仮面』
まさかと人波におされながらもホームを振り返るが電車に乗る人に押されて振り返る事も出来ずに電車に押し込まれる。
「すいません!」
迷惑そうな視線を受けながらも謝って、閉まった扉に張り付くもそこにあるのはいつもと変わらないホームだけ。ゆっくりと動き出す列車。扉に張り付いて離れて行くホームを食い入るように見つめた陽加はそこに居た筈の数年前の自分を思い出した。
“………もう………………一歩………”
ドキドキと激しく打つ鼓動。手は冷たく、感覚か感じられない。口の中が渇いているのか粘っこく、飲み込む唾液はすでにない。それでも動いているのは心に決めたから。
ーもう自殺しよう………………ー
疲れきって重い体と心………自然に足を動かして誰にも見とがめられないように………また一歩。ドキドキと激しく打つ心臓の鼓動が誰かに聞こえてしまうんじゃないかと思うほど激しく打つ鼓動に苦しくなる。フラフラとホームに近づいて行く自分に誰も注意を払うことはない。こんな状況でも人は他人に無関心なんだなぁと悲しくなる。
『まもなく0番ホームに参ります電車は………』
いつもなら目的地を知らせるだけの駅のアナウンスも今日だけは違って聞こえる。
ー後、一歩!!ー
これで楽に慣れると黄色い線を越えようとした瞬間。その時、私は自分の視界に入った場違いな姿に足を止めた。思わず、視線を横に向けると黄色い線の外側にいたスーツ姿で後頭部に『ひょっとこ仮面』をつけた男の姿………。
“ひょっとこ!”
自殺するつもりで電車に向かっていた私はその異彩を放つ姿を思わずガン見してしまう。
ー その時 ー
“ビー”と白線の外側に居る私への警告音を鳴らしながら凄まじい勢いで駅のホームに入ってきた電車の風が私の髪を乱す。白線の真上で目の前の線路を眺めるひょっとこ仮面をつけた男性をマジマジと眺める。そんな私の視線に気づいたのか男性が生気ない表情で自分を見上げてくる。
「なんだ………死ななかったのか………………」
「えっ?」
列の最前列で自殺する決意を固めるために何度も電車を見送っていた私を軽蔑するように吐かれた言葉を認識するまでに数分。私がそんな彼の言葉に我に返るのは立ち止まった私を迷惑そうに避けて降りた人間と立ち止まった私を怪訝そうにしながらもやって来た電車に乗り込んだ人間を乗せて電車が走り出した後。思わぬ事態に自殺の決意を挫かれた私にひょっとこお面の男性………後に知るのだがー0番ホームの譲さんーがかけた言葉はただひとつ。
「お前、意気地無しだな………」
呆れを隠しもしないその言葉に仕事も出来ない、自殺も出来なかった私は色んな意味で打ちのめされた。
「いい加減泣くのやめろよ………」
「………すいません………………」
ひょっとこお面の男性に連れられてホームの端のベンチに場所を移した私はかけられた言葉に更に涙腺を迸らせる。就職してからの色んな思いはそう簡単に止まらず私はもう三十分ほどウジウジと泣いていた。それを嫌そうな表情で見る男性に更に自己嫌悪が深くなる。
ー 本当に私は何一つ満足に出来ないんだわ……… ー
元々人付き合いの苦手な私は人の多い仕事場が苦手だった。元々の仕事量に突発的な仕事の乱入。優先順位の低い仕事を後回しにしてしまい、これも出来てないのか!との叱責に私は心身ともに疲れきっていた。それでもせっかく就職した会社だから頑張らなくちゃと張り切る度に空回り。本当にダメダメな社会人道を走り抜けていた私にとって今の異動先は地獄だった。
「私、本当に駄目なんです………」
そう呟いて更にじわりと涙が滲む。増えた職責に初めての仕事。初めてやる仕事だけでも手一杯なのに元々問題のあった職場に責任者として据えられて………お前の指導が行き届いてないならクレームが増えるんだとの叱責に身も心も擦りきれていった。どうしたらいいのか分からない。どうしたら仕事が出来るのか………そう考える度に自分が楽になるためにはー自殺以外のは手段はないーと思った。
「だから死のうと思って………」
いつもより激しい叱責にもう耐えられないと思った。どうせ自分が死んだ所で誰も困らないのだから………。そう決めて今日こそは自殺しようとした所でひょっとこお面の彼に出会ったのだ。
「まぁ………俺が言える義理じゃないけど………仕事は色々しんどいよな………」
見た目二十代後半の男性は私のぽつりぽつりと呟かれる言葉の中から自殺しようと思い至った経緯を理解したのか苦虫を噛み潰したような顔で笑う。そのいかにもお前の辛さ分かるよみたいな重味のある言葉に私はまた一つ涙を流す。初めて会った人の前でこんなにもボロボロと子供のように泣く自分が恥ずかしく思いながらも、不思議と彼の前では強がる必要はないのだと思った。
「本当にこんなこと初対面の人に話してすいません………」
今日初めて出会った人にこんな愚痴を聞かせている事実を恥ずかしく思いながらも素直になれる自分に陽加自身も驚いていた。人見知りな自分にはあまり親しい友人もおらず、仕事を辞めるなんて恥ずかしいと世間体を気にする家族には仕事が辛いから辞めたいとは言い出せなかった。
「………………………………………」
俯いて自分に事の経緯を話す女性に彼女の横に座っていたひょっとこお面男こと坂下譲はーはぁーとため息を吐いた。自分の事で手一杯で自分の出で立ちがどれだけおかしいのかにも気づいていない相手にさてどうしたものかと考える。ひょっとこお面をつけて今日もじっとこのホームから動くことも出来ずにただ線路を虚ろに眺める事しか出来ない自分は0番ホームで自殺した地縛霊。死んだと思った時には自分の死体を前にひょっとこお面をつけた状態でここに立っていた。それから日がな線路を眺めて過ごす日々。今日も自殺しようとする彼女を止めるつもりも自分にはなかった。
ー生きることから逃げた人間に逃げたい人間を止める権利などないと思ったからだー
ただ周囲の人間を気にしながら黄色い線に近づいては来るが誰に遠慮しているのか電車に飛び込むにはスピードと俊敏さが足りないと思ったのは事実だ。フラフラと近づいて来る相手を見守っていると彼女は何かを見つけたのか“後一歩”の距離で突然立ち止まったのだ。その姿に“なんだ………”と思った。
「………なんだ………死ななかったのか………」
何の感慨もなく、思ったままの言葉を口にしたその言葉が彼女に聞こえているとは思わなかった。
だから………
“え?”と驚愕に満ちた彼女の声を聞いて、視線があった時、酷く狼狽えた。もう死んでしまった自分の言葉など誰にも届かないと思っていたから………。しばらくポカンとした表情で自分を見つめる女性が突然泣き出した時には驚愕した。もう何年も生きてる人間と言葉を交わす事などなかった自分がその後とった行動も信じられないものだった。踞って泣き出した彼女をなんだかんだと宥めすかし、終電間近の人もまばらなホームの端のベンチに案内し、今に至るのだ。完全に自分の姿が見えている彼女は自分の事をまさかこのホームで自殺した地縛霊だとは思ってもいないだろう。
ーさて、どうしたものか………ー
無機物には触れるが有機物………生きてる人間には触れられない自分をどう伝えたらいいのだ。彼女が募りに積もった思いを吐き出すその横で坂下譲は必死に彼女に自分の存在を伝えるのか悩んでいた。まだ終電間近のホームなので、彼女が小さな声でポツリポツリと言葉を話していたとしとも奇異には思われていないが………傍目にみたら怖い光景だよな………と思うぐらいには自分の存在がオカルトなんだという自覚が譲にはあった。
「………………………」
もう一度、いつもは無感動で眺める黄色い線の向こう側を眺めてため息を吐いた譲は肩を竦めると彼女に向き直る。
「ま、君が嫌じゃなければ愚痴ぐらいいつでも聞いてあげるからまたここに来なよ」
自殺した地縛霊が自殺しようとした人間の話を聞くなんておかしい事だと思いながらも譲は諦めて微笑む。これも何かの巡り合わせなのだろう。自分の言葉に目を瞬かせた彼女が小さく“いいんですか?”と聞いてくる。それに譲は“ああ”と頷く。
「だって俺、ここで自殺した幽霊さんだからいつでもいるし………」
「え?」
本日二度目の彼女の“え?”はこれ以上ないほど驚愕に道溢れていた。
「譲さん………」
遠ざかっていく0番ホームを食い入るように眺めていた陽加は流れ行く車窓が切り替わって初めて息を吐いた。
ーあの時のことを思い出すと
今でも胸のどこかがギュッとするー
死ぬしかこの苦しみから逃れる術はないのだと思い込んでいた私はあの0番ホームで死のうと決意した。でも、譲さんの姿に驚愕して立ち止まったあの日。私は譲さんに命と心と未来を救ってもらった。
辛くて辛くて、泣きたい時は譲さんの優しい言葉と相槌を求めて何度も0番ホームを訪れた。
雨の日も、晴れの日も、風が強くて電車が止まった日も譲さんに会いたくて0番ホームに足を向けた。
そのうち仕事の愚痴を聞いて貰うためではなく、譲さんに会いたくて会いたくて0番ホームを訪れた。
0番ホームで自殺した譲さんに私は命を救われた。
そんな譲さんが幽霊だと分かっていても私は彼に報われない恋をしてしまった。
「でも………………………」
ガタゴトと激しく揺れる電車の中で流れ行く車窓を眺めていた陽加は自嘲的に微笑む。思いの募った私はある日彼に思いを告げた。
「譲さん、私はあなたが大好きです!!」
引っ込み思案で人見知りな彼女が恥ずかしげに出会った時と同じように俯いて自分にくれた言葉の重さに譲は唐突に自分ほ自分の愚かさに気づいてしまったのだ。
「………俺は………………」
彼女の言葉に咄嗟に返答出来なかった。恥ずかしがり屋な彼女がどんな思いで幽霊の自分に自分の思いを告げてくれたのか………言葉を交わすうちに知ってしまった彼女の人となりを知るが故に笑い飛ばす事も出来なかった。真面目な彼女の事だ。幽霊とは結婚出来ない事など分かっていても俺がありがとうと言えば嬉しそうに微笑むだろう。でも……………。
「死ななかったらよかった!!」
彼女の言葉に込められた思いに気づいた時には遅かった。彼女の前ではいつも絶やさなかった笑顔が崩れて涙が零れる。
肉体を失って久しい自分には本当に涙を流すことは出来ない。彼女に触れて抱き締めることも出来ない。
ー自分が彼女を幸せにする資格がないことが悔しくてー
同時に彼女の足元にある未来へ繋がるレールが妬ましくなる。彼女にはあって俺にないもの………それは未来へ繋がるレール。自分で自分を殺してしまった自分には彼女の思いを受けとる資格はない。
「………………死ななければよかった………」
頬を涙がつたる感触もないままに泣きながら自分に出来たのはただひとつ。
「お前は生きろよ。生きてるだけで全てが儲けもんなんだからさ」
彼女の前ではいつも絶やさなかった笑顔を浮かべて彼女の前から逃げることだけだった。
「………………………………」
0番ホームから走り去った電車を見送って譲は嘆息した。久しぶりに会った彼女は前よりも自信に満ちていた。彼女はきっと知った筈だ。
ー生きる場所はひとつじゃないとー
自分も生きていれば彼女と生きる未来もあったし、仕事だけが全てじゃないと知った筈なのに。今日も生きる彼女を見送りながら譲は空を見上げる。
「今日も頑張りますか~」
ガタゴトと激しく揺れる電車に揺られながら陽加は窓の外を見上げる。
ー 今日も色んな所で色んな人が
色んな思いを抱えて生きているー
生きるために必死で色んなものと戦い傷つきながら生きていく。
ーそれでも思うー
生きる場所はひとつじゃないと………




