夢買い(1)
ーーその日、要は村の神社で友達と影踏み鬼をしていた。
肌寒くなり始めた、秋の黄昏時だった。鬼役の子から逃げて、御神木の影に入ると、背後でこんな言葉が聴こえてきた。
「影や道禄神、十三夜の牡丹餅」
振り返ると、見たことのない少年がすぐ後ろに立っていた。村の子ではない。
「何、それ」
警戒しながら尋ねると、その妙に大人びた様子の少女は、薄笑いを浮かべて、影踏み鬼とは本来、秋の夜の月影を踏んで遊ぶものなのだと教えてくれた。そしてその時に、「影や道禄神、十三夜の牡丹餅」と囃し立てるのだという。
ーー今夜、本当の影踏み鬼を教えてあげようか。
その言葉に従って、要はその日の夜に家を抜け出した。そうして、御神木の下に草履を一足だけ残して、数ヵ月の間、要は姿を消したのだった。
影や道禄神、十三夜の牡丹餅。
今でも時々、要はこの時のことを夢に見る。
「嫌な夢を見た」
夜になって家にやって来た高広が、不機嫌そうにそう言った。
「夕方に居眠りなんてするからだよ」
要は台所から顔を出したけれど、またすぐにまな板の上へと視線を戻す。少々形の悪い、ぶつぎりの野菜と肉の塊を鍋の中へと放り込む。今日は適当に、肉じゃがと吸い物を作る予定だった。
高広の母も仕事で帰宅が遅いため、時々、こうして晩御飯を食べに来る。要にしても、食べさせる相手がいると作りがいがある。もともと料理が好きなわけではないし、味はさほど良くはないけれど、続けていけば向上するだろう。
「夢だってわかってるんだけどさ、気分悪いよな」
「ーーでは、夢買いのところへお連れしましょうか」
要と高広しかいない部屋に、異質な声が混ざった。
「なんだって?」
「僕じゃないよ」
ふと吸い物の鍋に目を向けた瞬間、要は飛び上がりそうになった。犬の面を被った少年が鍋の前に立っていたのだ。
「夢買いのところへお連れしましょうか、と言ったんです」
まるでずっとそこにいたかのように、少年はあっさりとそう言った。
「ああ、すみません。ご挨拶が遅れまして。ーーこんばんは」
律儀に頭を下げられると、文句も言えなくなる。少年は顔を上げてから、もう一度吸い物の鍋を見た。
「急いでいないなら、食べていく?」
「いいのですか?」
試しに聞いてみると、仮面越しにもわかるほど喜ばれた。
三人でちゃぶ台に食事を並べていく。肉じゃがも勧めてみたけれど、肉は食べたくないと言うので、肉だけよけて出した。高広がにんじんだけよけようとするので、それをたしなめる。
久しぶりに声をそろえて、いただきます、と手を合わせた。その健全さと今の状況のちぐはぐ具合に、笑いがこみあげてきそうだ。
「それで、さっき言ってた夢買いって何なんだよ」
「そのままです。人の夢を買う男がいるのですよ」
面をつけたままどうやって食べるのかと思って見ていると、少年ーー千羽夜はあっさりと面を外した。凛とした眼差しが印象的な、少女と見紛うような顔立ちだった。こういうのを中性的と言うのだろう、と要は一人納得する。
「そいつ、人間?」
「いいえ。妖と人の間に生まれたものです」
要は思わず、高広と顔を見合わせた。
「妖怪と人間って、結婚できるのか?」
「出来ないことはありませんけど。同じ種族で一緒になったほうが、苦労はないでしょうね」
千羽夜は淡々と答え、食事から目を離さない。妖にも食事をとるものがいるとは初めて知った。無意識に、要は千羽夜のことを横目で観察していた。
視線が合うと、千羽夜が遠慮がちに尋ねてきた。
「これ、美味しいです。また食べに来てもいいですか?」
「こんなので良かったらいつでもいいよ」
「ありがとうございます、要様」
「なあ、なんで様なんて付けるんだよ」
驚くような順能力で千羽夜を受け入れた高広は、好奇心のままあれこれ聞きたいのを抑えていたようだったけれど、そろそろ地が出てきたらしい。その夢買いの元へも、当然のように連れて行かれるのだろう。高広は好奇心旺盛な上に、怖いもの知らずだ。
「要様は、さる土地の地主神様に見初められたお方ですから」
「見初められたというか……」
「神様に見初められた?」
さすがの高広も目を丸くしている。ここで隠すのは感じが悪いだろうからと止めなかったけれど、やはり居心地が悪い。
「じゃあ、その神様って女なの?」
「女性ですよ。お教えしてなかったんですね」
「自分から言うような話でもなかったから」
自分には普通の人間に見えないものが見える、と打ち明けたのだって、つい先日のことなのだ。千羽夜が花宿に案内しなければ、もしかしたら一生打ち明けなかったかもしれないくらいだ。
「ふうん、俺の知らないことって世の中にはたくさんあるんだなあ」
高広は好奇心の塊だけれど、あまり一つのことには頓着しないし、特別な感想を持つこともない。それがどれだけ特殊なことか、本人は気づきもしないのだろう。高広のそういう性質に、要がどれだけ助けられているかということにも。
「さ、飯を食ったら、早速その夢買いのところに行こうぜ」
要は苦笑しつつ、了承した。