2話
包み紙を開けていく。破けないようにそっと、慎重に開けていたのに。
ピリ
「あ」
こういうとき、どうでもいいことだけど、結構ショックを受ける。
ああもういいや。そう思って、さっきまでの慎重さはどこへやら、ビリビリッと躊躇なく破いていった。ああ気持ちがいい。最初からこうすれば良かった。
そうして破かれた包み紙の中から出てきたのは、マドレーヌやフィナンシェのセットだった。まあ、お菓子屋さんでお使い物用にとよく置いてあるものだ。あ、クッキーも入ってる。うわあ、抹茶味もある。抹茶味好きなんだよね。結構私好みの詰め合わせだ。やったあ。
抹茶味のクッキーの袋を開けて、手にとった三つを頬張る。あ、美味しい。お店で売ってる抹茶クッキーにハズレとかはあまりないだろうし、実際まずいのなんて食べたことはないけど、その中でもこれは結構美味しい部類なんじゃないだろうか。抹茶の味もしっかりしているし、サクッとしていて、口の中にいつまでもパサパサ感は残らないし、これ、今まで食べたクッキーの中で一番好きかも。そう思いながら、ついついもう一つ、もう一つと袋に手が伸びる。
うん、お隣とはいえ、ただのお隣だ。顔を無理に合わせなきゃいけないことだって、ほとんどない。ゴミ出しの時などに一緒になるかもしれないけれど、それだって交わす言葉なんて挨拶くらいだろう。私はもちろん、あっちだってきっと、働いている身だろうし、朝の忙しい時間に世間話する余裕なんてお互いないと思う。
まあ、私は名字しか名乗ってないし、あっちは私だって気づいてない。このままほとんど接点をもたなければ、大丈夫。何かあったらどうぞ、なんて言ったものの、あちらは社交辞令と思っているだろうしね。
今がご近所付き合いが減った時代で本当によかった。そうよ、関わりを積極的にもたなければ害なんてないんだから。あいつが隣に引っ越してこなければ、この美味しいクッキーだって食べられなかったんだし、付き合いだってしなくて良くて、クッキーとかお菓子をもらえて、ラッキーなことばかりじゃない。そうそう、そうよそうよ。
若干無理矢理なような気もするけれど、気にしないことにする。だって、そう考えればすごくすっきりする。
あっという間にクッキーの袋が空になり、今度はフィナンシェに手を伸ばす。やばい、止まらない。だってこのお菓子たち、美味しいんだもん。美味しい物には目がないのですよ、私。それに、クッキーだけじゃなく、フィナンシェも大好きなんだよねえ。袋から出して、少し大きめのそれを、ぱくりと口に挟む。
そのまま、そういえば窓を開けてなかったなあと思って、ベランダ側の窓を開けた。
その途端、
ピー、ピー、ピー。
とトラックがバックする音が聞こえた。
何だ、と思ってサンダルを履いてベランダから下をのぞいてみれば、そこには一台のトラックが止まっていた。トラックには、よくCMで見かける引越屋のマークが描かれている。
ああそっか。あいつ、今日荷物を運ぶとか言ってたなあ。それじゃ、これがそうなのかな。それにしてはちょっと小さめのトラックだけど。私の時はもう一回りくらい大きなトラックだったような気がするけれど・・・男だから荷物が少ないのかな。それにしても、色んな大きさのトラックがあるんだなあ。
頬杖をついて、何となくトラックの背のドアが開いていく様子を眺める。家を傷つけないためのシートのようなものを次々と運び出していく。手際がいい。さすがプロ。
「・・・あ」
引越屋さんのスタッフの他に、一人の人物が加わった。
神崎だ。
スタッフ二人と神崎は、何か話をし始めた。おおよそ、どれから運ぶか、とかそんな感じだろう。そうしてそれからまもなく、テーブルらしき大きめの家具が運び出されていく。
神崎も家具についてアパートの中にいったん消え、すぐにまたスタッフと一緒にトラックの近くへと歩いて行くのが見えた。
「昔から見た目は良いんだよなあ・・・」
顔よし、スタイルよし、そして確か、昔は頭もそれなりによかった気がする。今はどうか知らないけれど。
細めのパンツが足の長さをよく引き立てている。さっき見た水色のシャツは、この距離だと太陽の光を受けて、ほとんど白く見える。それがまたよく似合っていて、爽やかだ。
「・・・・・・なんか悔しい」
顔もスタイルも頭もいいなんて。神さま、彼にばかりそんなに与えるんじゃなく、どれか一つだけ与えて、他の二つは誰か違う人に与えた方がよかったんじゃないでしょうか。一人に二物三物与えてどうするんですか。
私なんか、顔は平凡だし、スタイルだって・・・そんなによくない。いやいや、まあ、・・・普通、かな。ああ別に、子どもたちに抱きつかれて、「パパみたーい」なんて言われたことをひがんでいるんじゃありませんけどね。ええ、決してそんなんじゃありませんけど。子どもは素直で可愛いけれど、素直すぎるのがたまに辛いときもある。言っておくけど、男の人の胸よりはあるから。絶対あなたたちのパパよりは胸あるから!とあの時は心の中で反論しておいた。
頭は、大学時代に必死に勉強したから今はそれなりにいいけれど、小学生や中学生の頃なんて、勉強についていけなくて大変だった。ま、まあ、その頃はたいして勉強もしてなかったしね。でも私よりも遅い時間まで遊んだり、部活やったりしていた神崎は、なぜかクラスでトップだったんだ。
はあ、とため息をつく。神崎に限らず、女の子でも、可愛くて性格もスタイルも頭もよくて、って子はたくさんいる。自分がそうでないと分かっているだけでも十分なのかもしれない。それが分かっている以上、頑張って努力しなきゃって思うことができるから。
ガチャン!と大きな音が聞こえて、はっと顔を上げる。知らず思考にふけっていたみたいだ。
見れば、トラックのドアが閉まっているところだった。あれっ、さっきドアを開けていたばかりじゃなかったっけ。
神崎が何か手に持ってサインをしている。ええ、あれは終わったときにチェックする紙でしょうか。もしかして、引越、もう終わったの?確かにぼんやりしていたけど、そんなに長い間じゃないよ。スタッフが手際がよかったのか、それとも荷物が少なすぎるのか。それに、隣の家からはほとんど音がしなかったし・・・。壁が厚いから?いやいや、前の隣人の物音はものすごく聞こえたから、まあそれなりに普通の壁の厚さだと思うんだけど・・・。
そうして考えている最中にも、あっという間に神崎はサインをしたらしい紙とボードを引越屋さんに渡している。引越ってこんなに早く終わるものだっけ。
なあんてぼんやりして見ていたのがいけなかった。
トラックを見上げていた神崎が、ふと、こちらを振り向いた。いや、見たのは私じゃなくこれから住む自分の部屋なのかもしれないけれど、そうだとしても、その自分の部屋の隣のベランダにいる私が見えないわけがない。自然と、神崎が私の方を見て、目が合った。
「やば」
思わず、そう口にする。と同時に、口にくわえたままだったフィナンシェが下へ下へと落ちていった。反射的に神崎を見れば、神崎の視線が、フィナンシェを追っていた。
「・・・・・・うわあ」
それでも一瞬ごまかせないかと期待したけれど、神崎が、フィナンシェが落ちた辺りに歩き始めるのを見て、そんなことは無理だと悟る。
関わりなんてもたなくてよかった、なんて思ったばかりじゃないのか。自分できっかけ作っちゃってどうするんだ。
「最悪だ」
どうしようもなくて、ああもう、と私は頭を抱えた。