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毒林檎は恋の味  作者: 雨柚
2/2

後編

 王宮から少し離れた貴族の屋敷。

 そのとある一室に、二人はいた。一つしかない扉の向こうには、女を守るために護衛が立っている。

 贅を尽くした長椅子に身体を預けている女は、赤いドレスがよく似合っていた。


「ふふふっ、上手くアレに取り入ったみたいね」


 女はそう言い、赤い唇の端を引き上げて笑う。


「………………」


 対面に座る少女は黙ったままだ。何も言わず、感情の読めない眼で女を見つめている。

 そんな少女に詰まらなそうな視線を向けて、女は話を続けた。


「他の侍女を遠ざけて、あなただけ傍に置くなんて……バカな男」

「………………」


 “バカな男”に情は湧いていないのか、少女は表情一つ変えない。

 ただ、もし誰かが少女の後ろに立っていたら、一瞬だけピクリと彼女の手が動いたことに気付いただろう。膝に置かれた手は、前の机が邪魔をして女の方から見えなかった。


(わたくし)は、もう十分待った。……リシャールを殺しなさい」


 女は、いつかのように手で弄んでいた扇の先を少女に向ける。

 数瞬、二人の視線が絡み合った。


「…………分かったわ。でも、どうやって?」

「そうねぇ。あの忌々しい顔が血に染まるのも見たいけれど、あなたに任せるなら毒殺かしら。……毒はこちらで用意させたわ。これを使いなさい」


 女は机の上に置かれている、白い布の掛かった籠を指差す。そして、おもむろにその布を持ち上げた。


「……林檎?」


 意外な籠の中身に、少女の口から声が漏れる。

 籠に入れられているのは、数個の林檎だった。熟れ切っているのか、目に痛い程赤い。


「ええ、猛毒を塗り込めた林檎よ。アレは林檎が嫌いでしょう? 信じていた侍女に言われて、嫌いな物を食べて死ぬだなんて、最っ高に無様よね。とっても楽しみだわぁ」


 室内に、甲高い女の笑い声が響く。


「その前に聞かせて。……皆は、無事なの?」


 少女は真剣な眼で人質の安否を問い掛けた。それを聞いた女の肩が僅かに震えたが、少女は気付かなかったようだ。

 女はいつものように優雅な笑みを浮かべ、囁くように答える。


「……ええ、もちろん。無事よ? だから……分かっているわね?」


 少女は一度ゆっくりと目を閉じ、深く頷いた。



   ◇◇◇



 あたしは籠を持ったまま、リシャールの私室に入った。

 こちらを見たリシャールは目聡く籠の中身を確認して、嫌そうに顔を顰める。秀麗な顔は、眉間に皺が寄っているせいか、何やら悩ましげだ。


「うわぁ、林檎じゃないか。どうしたの、ソレ」

「……お世話になっている方から頂いたんです」

「ふーん」


 あの女の世話になったことなどないが、仕方なくそう言う。

 リシャールは然程、林檎の出先には興味がないようで適当な相槌を打った。


「……え、まさか僕に食べさせる気じゃないよね? ソレ、真っ赤だよ?」


 しかし、あたしがリシャールの前の机に林檎の入った籠を置くと、途端に狼狽(うろた)え始める。


「ええ、よく熟れてますよね。良い……林檎です」


 澄ました顔でそう言ったが、さすがに“良い毒林檎”だとは言えず、ほんの少し言葉が詰まった。

 あたしは、チラリとリシャールの方を見る。どうやら気取られなかったらしい。


「僕に嫌いな物を食べさせようだなんて……君は鬼か」


 リシャールは天を仰ぎ、大げさに驚いてみせた。

 “嫌いな物”という単語に、心のどこかで安堵する。……食べてもらえないと困るのに。

 そんな内心を押し隠して、さり気なく林檎を食べるように勧めた。


「アップルパイは召しあがるじゃないですか。一緒ですよ」


 パイと林檎そのものでは大分違うだろうが、リシャールが嫌っているのは見た目だけだ。


「全然違うよ。だいたい、アップルパイは赤くないだろう」

「好き嫌いは良くありません」


 そう言いながら、“ああ、このセリフ、よく言ってたなぁ”と懐かしく思う。

 リシャールがあたしに目を向けていない間に、顔を俯けて目閉じた。あの子たちの顔を思い出して、揺れていた心が決まる。

 最後に目蓋の裏に浮かんだ彼の笑顔に、ツキリと心が痛んだ気がした。


「…………赤は嫌いなんだ」


 拗ねたように言うリシャールの姿は、まるで駄々を捏ねる子供のようだ。ただ、表情の一つにすら計算され尽くしたかのような完璧な美しさがあった。


「血に似てるから、ですよね。前に聞きました」

「ああ、それもあるけど……大嫌いな人のイメージカラーだからね。毒々しい赤って」

「…………っ」


 その言葉に、思わず息を飲む。


「あの趣味には辟易するよ。ケバケバしいよね、ちょっとは歳を考えたら良いと思う」


 あたしの予想とは異なってそのまま話を続けられ、内心ホッと胸を撫で下ろした。……気付かれなかったことを残念に思う心には、そっと蓋をする。


「王妃殿下は濃い赤がお好きですから……」


 言ってしまった後で、失言に気付いた。

 これでは、あたしも王妃殿下のことをケバケバしいと思っているようだ。実際、会う度にケバケバしいオバサンだと思っているが、彼女は仮にも王妃だ。貶すのはマズイ。


「あ、やっぱり君もケバケバしいと思ってたんだ」


 リシャールは、我が意を得たりというようにニンマリと笑う。


「……意地が悪いですよ、殿下」

「はは、君の立場じゃ悪口も言いにくいか」


 リシャールは籠に入った林檎にチラリと視線を向けて、小さく溜め息を吐いた。

 一瞬考え込むような顔をした後、やれやれと頭を振る。


「はぁ。……仕方ない、虐めたお詫びにソレを食べてあげよう」


 彼は、今何と言ったのか。

 これを……この毒林檎を、食べる?


「え? 食べるんですか?」


 あたしは信じられないという顔で尋ねた。

 演技ではなく、素で驚いている。“冗談でしょ”とすら思った。

 仲間(かぞく)を取り返すためには、リシャールが林檎を食べる必要がある。それとは別のところで、“食べないで欲しい”と心が叫んでいた。


「僕の可愛い侍女殿が持って来たものだからね」


 リシャールは林檎を一つ手に取る。()めつ(すが)めつそれを眺めて、苦笑を漏らした。


「……ああ、せめて切って持って来てくれたら良いのに」


 そう言って、毒林檎に齧りつく。

 彼の嫌いな赤い果実から溢れ出た雫が一滴、絨毯に染みを作った。


「………………っ」


 リシャールが林檎を嚥下するまでが、異様な程長く感じる。

 “止めてっ!!”と叫び出しそうになるのを、すんでのところで堪えた。

 あたしにそれを言う資格はないのだと、自分に言い聞かせる。駆け寄って、林檎を吐かせようとしそうになる手を必死に押し留めた。

 林檎を少し口から離し、リシャールはペロリと唇を舐める。


「……んっ」

 

 このまま、リシャールは息を止めるのだろう。

 ……彼は苦しみながら倒れて動かなくなる。彼の青い目は閉じられ、永遠にあたしを映さなくなる。白い顔は蝋のように固まり、あたしに笑い掛けることなく……。


「…………へ?」

「うん、なかなか美味しいね」


 “即死する”と聞いていた毒林檎を食べてもケロリとしているリシャールを見て、あたしは間抜けな声を上げた。リシャールはそんなあたしなど意に介さず、自分の指先を伝う林檎の雫を舐め取っている。


「…………何で……」


 呆然として呟くと、悪戯が成功した子供のような笑みを向けられた。


「何で死なないのかって?」

「……っ、知ってたの?」

「これでも一応王子様だから、暗殺の対策はしてるよ。少しは毒に身体を慣らしてあるし」


 正直、虚弱体質のリシャールの身体が毒に慣れているとは思えない。

 それに、あの女は“猛毒を塗り込めた林檎”だと言っていたはずだ。彼の身体が毒に慣らしてあったとしても、それを知っているあの女に手抜かりがあるとは考えにくい。


「効かなかったってこと? あの人は“猛毒”って言ってたのに……」


 思ったことをそのまま口に出すなど、何年振りだろうか。


「コレに毒は塗られてないよ、手を回したからね。いくら僕でも、政敵と言って差し支えない相手が送り込んで来た侍女は警戒するさ」

「……っ、でも!」


 思いがけない言葉に、咄嗟に反論しそうになる。

 あたしの目的に気付いていたのなら、なぜ何も言わなかったのだろう。


「まあ、可愛いから泳がせてたんだけど」

「………………」

「マドレーヌ・グラッセ。初めて聞いたときから思ってたけど、美味しそうな名前だよね」

「……あたしもそう思う」


 あたしと同じことをリシャールが感じていたと思うと、こんなときだと言うのに笑みが零れた。


「あ、素だと“あたし”なんだ」


 リシャールの言葉には、特に意外そうな響きはない。侍女の演技をしているときは、自分のことを“私”と呼んでいたが、どこかで漏れてしまっていたのかもしれない。

 気まずくなって、軽くリシャールを睨む。


「………………」

「はは、茶化してごめん。……君の仲間(かぞく)は僕の部下が保護してるよ」

「……えっ!?」


 笑いながらの謝罪の後に、そう付け加えられた。

 リシャールは、戸惑いの声を上げたあたしを真っ直ぐ見つめる。


「だから、君はただの侍女だ」

「…………っ」


 “そんな訳ないでしょう”とか“王子を殺そうとしたのに”とか、言いたいことはたくさんあった。……でも、どうしてだか胸が痛くて、言葉が出ない。

 皆の無事が、彼の台詞が、ただ嬉しかった。


「そういえば、僕は可愛い侍女殿の名前を知らないな。今教えてくれないかい?」

「……もう知ってるんじゃないの?」


 あたしの本名の調べくらいついているだろうに。


「君の口から聞きたい」


 リシャールの強い口調に、少し躊躇いつつも名前を口にする。マドレーヌではない、本名を。


「…………アナベル」

「アナベル、か。良い名前だね、マドレーヌより似合ってるよ」


 リシャールは確認するようにあたしの名前を呼んだ。初めから知っていただろうに、口元はさも楽しげに笑みの形を作っている。

 ふと違和感を感じて、それからすぐ気付いた。偽名でも本名でも、彼に名前を呼ばれたのはこれが初めてだ。今まで“君”や“侍女殿”としか呼ばれていない。

 もしかして、本当に全部初めから知っていたのだろうか。


「…………あたしを罰さなくて良いの?」


 王族の暗殺は重罪だ。未遂でも死刑かそれに準じる罰を下される。……尤も、相手が王族でなくとも――相手が誰であろうと、人として許されることではないが。

 問い掛けたあたしに、リシャールはややわざとらしく驚いたような顔をしてみせた。


「どうして? 君は林檎をくれただけだろう? ああ、僕の嫌いな林檎を持って来たことは悪いことかな。でも、本当に食べたくなかったら断ることだってできたし」


 言い終えると視線を外して、つまらなそうに机に置かれている林檎を指で弾く。


「……っ、そうじゃなくて!」

「前にも言ったよね? 僕は君を気に入ってるんだ。君に嫌われたくない」

「…………別に、好きじゃないわよ」


 “嫌われたくない”だなんて、まるであたしが彼のことを好いているみたいではないか。


「でも、嫌いでもないよね? 孤児院の人達と、天秤に掛けるくらいはしてくれたんじゃないかな」

「何でそう思うの? 自意識過剰?」


 傲慢とも取れる言葉に反発する。

 あたしはリシャールを殺そうとしたのだ。仲間(かぞく)と彼の間で苦悩したかのような、そんな言い方はされたくない。躊躇なんて……していなかった。


「視線が合わなかった」

「……え?」


 唐突に言われ、一体何の話かと驚く。


「ほんの微かに、声が震えてた」

「…………っ」


 二言目で、あたしの様子だと気付いた。


「よく気の利く君が、林檎を切って渡さないなんて有り得ない」

「………………」


 断言するような三言目には、気のせいかもしれないが、侍女としてのあたしに対する信頼を感じる。

 尚も沈黙したままのあたしに、リシャールは全てを見透かすような青い双眸を向けた。


「林檎を持つ手に、必要以上に力が込められてた。……いつもの君じゃなかったよ」


 その一言が、ストンと心に落ちる。


「…………っ」


 ああ、そうか。

 あたしは、この人を殺したくなかったのか。

 ……何にも感じなくなった訳じゃ、なかったんだ。


「ああ、泣かないで」


 彼の言葉で、自分が泣いていることを知った。確かに、涙が頬を伝うのを感じる。


「君は優しいよ。たぶん、君自身が思ってるよりずっと。情に篤くて、甘い」


 言い聞かせるようなその口調には、どこか甘やかすような響きがあった。慰められていると言うより、自分のことを勘違いされているように聞こえて、思わず言い返す。


「そんなにご立派な人間じゃないわよ。……アンタを、殺そうとした」

「でも、したくなかったんだろう? そんな君だから、好きなんだ」

「…………えっ」


 一瞬思考が止まった。リシャールが何を言っているのか理解するのに時間が掛かる。

 驚いて目を見開いたあたしに、リシャールは渋い顔をした。


「……何で驚くのかな。気に入ったって、さっきも言っただろう?」

「だ、だって……気に入ったのと“好き”とじゃ、全然違うじゃない」

「そう? 僕は好きだから気に入ってるって言ったんだけどな」


 そうは言っても、“好き”にも色々あるだろうと、しどろもどろになりながらも尋ねる。


「……それは、その……どういう意味で?」


 あたしがそう問い掛けると、リシャールは微笑みながら距離を詰めてきた。腰に手が回され、離さないと言うように抱き締められる。

 吐息が触れる程に顔を近付け、囁かれた。


「もちろん、こういう意味で」


 そっと唇を重ねる。

 王子様のキスは、零れ落ちる涙のせいか、何だかしょっぱかった。





「……ホントに譲っちゃって良かったの?」

「ん?」


 隣に座るリシャールを見上げながら、そう聞いた。

 “何を?”と言うように首を傾げた彼を見て、短く言葉を付け足す。


「王太子の座」


 あの後、リシャールは王太子位から退いた。

 次の王太子は、もう第二王子のルイスに決まっている。彼は努力家で人望もあるから良い王になるだろう。……健康だし。


「ああ、そのことか。あんなの別に欲しがるようなものじゃないよ。僕は要らないし、ルイスの方が向いてるからルイスがなれば良い」

「リシャールも向いてると思うけど?」


 本当にどうでもよさげな様子のリシャールを窺うように見つめる。

 学者も舌を巻く程、リシャールは頭が良い。本人曰く“知識を集めるのは趣味”らしいが、それを適切に扱える頭も持っている。秀才タイプの(ルイス)に比べ、彼は天才家肌だ。


「向いてても嫌だよ、君と結婚できないじゃないか。それとも王太子に嫁ぎたかった?」


 からかうような口調のリシャールの目には、僅かに本気の色が見え隠れする。

 あたしは、心底嫌そうな顔で言った。 


「冗談。絶っ対にごめんよ」

「はは、そう言うと思った」

「……あたしのせいって、思わなくて良いの?」


 唐突に尋ねる。問い掛ける声は、自分でも分かる程揺らいでいた。

 あたしで遊びつつも甘やかしてくる彼を見ていると、時折不安になる。正直言うと、あたしがいない方がこの人にとっては良かったんじゃないかとすら思った。

 リシャールは少し驚いたのか目を見張り、悪戯っぽく笑う。


「いや? 君のせいだよ?……だから、僕を骨抜きにした責任は取ってね」


 “君のせい”だと言いつつ甘やかしてくる彼に愛しさが募った。

 彼の言葉に甘えて“元から骨なんてなかったわよ”と返そうとしたが、止める。顔をツンと上に向け、上から目線で言ってやった。


「しょうがないから貰ってあげるわ、王子様」



   ◇◇◇



※後書きという名の裏話と、雰囲気ぶち壊しNG集は 1/25 の活動報告にて。



《 簡易人物紹介 》


マドレーヌ・グラッセ (17)

 書いてる途中、無性にマドレーヌが食べたくなるという珍事を引き起こした魔の名前。

 本作のヒロインで、本名はアナベル。孤児院育ちの下町娘。

 年下の面倒を見たり年上の手伝いをしたりと、日々忙しい。しっかりした面倒見の良い性格。

 作中に出なかった容姿設定は強気美人。ちょっとツリ目気味。癖のある明るい茶色の髪をしている。朝の悩みは寝癖。


 イメージは“涙を流しながらも王子様を殺そうとする人魚姫”。

 白雪姫で言うと、ポジションは魔女……というより狩人かな。



リシャール・アーノルド (21)

 雪のように白い肌を持った美しすぎる王子様。

 よく考えると、特に何もしてない。諸々のことは全て部下がやった。ただし、指示を出したのは彼。

 負ける戦はしない主義なので、内々に事が済んでから動いた。腹黒策士タイプ。


 イメージは“毒だと分かっていて林檎を食べる白雪姫”。

 人魚姫で言うと、ポジションは何の捻りもなく王子。相手、逃がさないけどね。



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