三日目【二十五時少し前】
そこは三ヵ岡用水と呼ばれる人工の川の上流部分にあたる少し大きな湖。
日が完全に沈んで人工の光が全くない中その真っ暗で漆黒の世界を数々の星と月明かりが彩を飾っている。
そしてその湖の水辺には……女の子が座り込んでいた。
泣き崩れるように………。
ある晩外に出たくなった私が家の近くの川でただ一人たたずむ青年に出会った。
彼は私にココの周辺を案内して欲しい、と言って私はそれを引き受けることになった。
この町の人の集まる所に行った。
店を見て回った。
公園で話しをした。
たまたま会った子供たちと遊んだ。
そして──明日は今日と同じ時間、場所はあの川辺で。
そう言って私たちは別れた。
その次の日川辺に向かってみれば軽い坂状になってる少し雑草の生えた部分で彼は寝転がっていた。
……ちょっと寝てるっぽい。
「起きてる~? おはよう。」
「ん…はよ……。」
やっぱりちょっと寝てたみたい。
「どうしたの? 寝不足?」
「いや…気持ちいいよ、ココ。」
「そう。」
昼下がりそのものの日差し。
夏だけあって暑い。
けれど風が吹いている。
これは確かにそんなふうに頭を木陰に当てて寝れば気持ち良いかもしれない。
「江見さんもどう?」
「ううん…今はいいよ。」
「そう…。」
「それとも今日はこのままココで寝るの?」
「う~ん…それもいいんだけどねぇ。」
よっと。 っとそんな声を小さくあげながら起き上がった。
「んじゃ、行こっか。」
それが今日の……昨日の始まり。
その後も至って単調。 今まで通り。
川辺を歩いていて振り向いたら座り込んで川のほうを見ていたから何をしているのかと思ったらちょうどそこを泳いている鯉が目に止まったらしくただ眺めていたり、砂利のたくさん落ちてある足場にたどり着いたらいきなり川に石を投げ込み始めて水切りって「どうやるんだ?」って呟きだしたり。
ちなみにやり方を教えてしばらくその様子を眺めていたら一回跳ねてた。
土手の端っこのほうにナズナを見つけては「おぉ、まだ生えてるもんなんだなぁ~。」って言ってそれのうち一つを抜いちゃったかと思うと何かし始めて「何をやっているの?」って訊いたら「こういう遊び、知らない?」って手に持っていたナズナを見せてきた。
そのナズナは葉の部分がそれぞれ切り離されない程度に下に引っ張られていてまさに皮一枚、って感じでなんとかくっついている状態を保っていた。
「何これ。」そう訊くと彼はそれをまず自分の耳元で振ってから私の耳元まで持っていって軽く振る。
すると──「ね、音が聞こえるでしょ?」そう言って彼は笑った。
「これはナズナって云う名前なんだけどね。」私は頷く。「ぺんぺん草、とも云われる草だってね。」音がそんな感じなんだって。 へぇ、ってそう思った。
そうこうしながら進んでいけば目的地の湖のほとりに着く。
「へぇ、思ってた以上に大きいねぇ。 貯水池か何かなのかな?」
着くや否やそう嬉々と喋り出す。
夏真っ盛りで緑が映えるこの時期、空の蒼と湖の青に周囲の木々の緑…結構良い眺めなのかもしれないなぁ。
「これは……」
そう言いながら近くの木の根元まで歩いていって座り込んだかと思ったら寝ころび始めた。
「ちょっと……寝ちゃうの?」
「気持ち良さそうだから……ちょっとだけ……。」
えぇもう寝ちゃってるし……待ち合わせ場所でも寝てたし寝不足だったりちょっと疲れてたりするのかな。
しかたなくしばらく湖面を覗きこんでそこを泳いでいる小さな魚を眺めてみたけれど結局飽きてしまったので気持ち良さそうに寝ているレイ君の居る木の下で座って何をするわけでもなくボォーっとすることにしたのだった。
まどろみの中、隣で何かが動き出す気配を感じた。
次いで頭を撫でられる感触に、覚醒しかけた意識がまた沈んでいった。
茜色に染まる世界。
眩しいくらいに茜色と白色に染まる世界。
その世界で一人の青年が歩いている。
まるで私から離れていくように、私に背を向けて。
光に眩むその先へと。
待って……行かないで………
手を伸ばそうとして………そこで目が覚めた。
真っ先に目に飛び込んできたのは青年の背中。
一瞬ドキッっとなる……その背中はそこに居てくれた───待っていてくれた。
結構長い時間寝入っていたらしく空は闇夜に染まり始めていた。
かるく深呼吸をして、高ぶってしまった気持ちを抑えるようにしてから立ちあがり彼の元へ向かう。
「ねぇほら、何やってるの?」
少し感じるこの不安を振り払うようになるべく明るく話しかける。
何をやっていたのかと思ってたらレイくんはそこら辺に落ちていたんだろう木の棒を持ってジャブジャブと湖面をつついていた。
そうして湖面を突きながら彼は返事をした。
「ん……何か出てこないかなぁ、ってね………今、何時?」
時計を見てみると23時ぐらいだった。
「もうすぐ明日だね……23時くらい。」
「……………。」
「どうしたの?」
レイくんはこっちを振り向いて何かを思いつめていた表情をしていたけれどすぐに意を決したように口を開いた。
「ねぇ……江見さんは今がどんな時期なのか、知ってる?」
「? ……夏休み、のこと?」
「あー…いや、そうじゃなくて。 今は……お盆なんだ。」
「お盆?」
お盆、と言うと死者がナスやキュウリの馬に乗ってこっちに戻ってくる、というイメージしかない。
もちろん死んだ人間に逢えるわけではないのだからそう考えられている、っていうだけ。
「あぁ~、だからここ数日休みだったんだね。」
もろに夏休み直撃の時期だったから特に意識なんてしたことなかった。
「それで…? それがどうしたの?」
「江見さんが…その……信じてる? 死んだ人が帰ってくる、って。」
「え? いや~、さすがに信じてないな~。 気にしたことすらないよ。」
「まぁ、そうだよね。 でも、実際にそういうことってあるんだよ。」
「?」
「ねぇ信じる? 僕自身が──。」
「え?」
「……僕の最期の記憶はとても濃くて一面真っ白な霧に覆われたような世界で意識がその霧に埋もれていくように沈んでいったところ。 ………そこで終わった。」
「最期……?」
「うん。 でもね、それからどのくらい時間が過ぎたのか判らないけど、ふと気がついたらこの川にいた……そして君に逢った。」
彼が突然何を話しだしているのか理解できなかった。
一体、何を言っているの? 最期って、何?
レイくんは何も言えない私を見ていつものように優しく微笑んだ後話しを続けた。
「初めはワケが判らなかった。 死んだと思ったからね。 だけど生きてた…いや、実際死んだんだと思う。 日にちを知って判ったよ、お盆だって。 ……僕は帰ってきたのか、って。」
私の前にいるこの青年は、つまり幽霊だと言っているのだろうか。
「でも……だって………」
何かを言わなければいけない気がした……けれど何も言えなかった。
「僕はその後にこんなことを考えた。 お盆だから帰ってきた、もし本当にそうならどうしてこの時期なら帰ってこれるのだろうか、って。 他の死んだ人たちも帰ってきているのか、って。」
もちろんいくら考えても判らないよね、そんなの。 そう言ってまた笑う。
「でもこう考えたんだ。 この時期は死んだ人が帰ってこれる日だ、そう信じる人たちの想いがこの奇跡を引き起こしているんじゃないか、ってね。」
「でもこの奇跡も終わる。 今日が、お盆の最終日が、もうじき終わる……。」
……彼は何を言っているの?
……いや、混乱しているのは私だ。
だって私はさっきいったじゃない……23時だ、って。
そして今日は彼に出逢ってから三日目だ。
「じゃあ……じゃあ……、消える、ってこと?」
「……多分、ね。 その前に話しておかなくちゃ、って。」
やった、ほんの少しだけ、頭が追い付いてきた気がした。
彼は別れを言っているんだ。
ふとついさっき見た夢を思い出した。
私から離れていく彼の背中。
……それを見て私は何をしようとした? 何を言おうとした?
「ゴメンね。 いきなり出てきて、いきなり消える。 この後僕は自分がどうなるのか判らない。 それも怖いけど、まぁそれは前にも一回覚悟したことだからね、ロスタイムが終わっただけのこと……それよりも君が心配なんだ。」
これから自分がどうなるのか判らない。
消えてなくなるのかもしれない。
それはとても恐ろしいことのように思えた。
死ぬ、それはとても怖いことだと思う。
……それよりも私が心配?
「どういう……こと?」
いきなり色んな事を明かされてやっぱりまだ頭が追い付かなくて、口もあまり回らない。
「どうして僕はあそこで目覚めたんだろう、そう思ってたら君がたまたま通りすがった。 そして少し話しをして何かを感じたんだ。 僕が帰ってきたことを含めて何か意味があるのかもしれない、そう思ったから僕に与えられてたこの時間を君と関わっていこうって思ったんだ。」
彼は饒舌に話し続ける。
何も言えない私に向かって。
まるで今の限りある少ない時間でできるだけ多くの想いを私に伝えようとしているみたいに。
「君が気になったワケは話しをしてて判ったよ。 君は自分の将来を思い悩んでいた。 自分が何をしたいのか判らない、って。 物事に興味を持てない自分に苦しんで、そのくせそれを受け入れてるようなフリをして。 ……僕は伝えないといけないんだと思ったよ。 この世界の、当たり前すぎて普通になってしまっているとても大切なモノのことを。」
いつだったか彼に打ち明けた悩み事。
真剣に、熱心に、頑張ることができない私の言い訳から始まった私の悩み事。
羨ましかった。 何かに一生懸命になって頑張る周りの人たちが。
羨ましかった。 自分の将来の夢を嬉々として話し合う友達の姿が。
「もっと目を見開いて、この眩しすぎる景色を見よう。 もっと耳を澄ませて、この溢れかえる音を聴こう。 もっと腕を伸ばして、この世界に在るモノの存在を感じ取ろう。 ……君はまだ、知らないだけなんだよ。」
ふふ、ちょっと疲れちゃったな。 そう言って彼は一息つく。
「僕は生きている間、真っ白で重く濃い霧に圧し掛かられている世界しか知らなかった。 なんなんだろうね、そういう病気だったみたいなんだ……だから僕は感動したよ、この鮮明で美しい世界を見て聴いて感じて。 江見さんと話す日々もとても楽しいものだった……残念ながら時間は短かったけどね。」
「その全ては生きてる間に体験できなかったものだった。 判る? 意識がずっとハッキリしなくて、自分がここにいるのかどうかさえ判らなくなるんだ……。」
悲しそうに笑う彼の背後でに月明かりでキラキラ光る湖面が見えた。
次いで私は何かから逃げるかのように漆黒に染まる空に数々の星と共に浮かび、ひときわ輝いている月へと目を移すと彼もそれに気づいて月を見上げた。
「ここまで暗いと月もずいぶん明るいんだね。 ……完全な満月でないのが残念だけど、十分綺麗だよね。」
私は未だに何も言えなかった。
彼は何を言っているの?
突飛な作り話だと信じたかった。
ねぇ、それは本当なの? 嘘、なんでしょ?
そんな考えが延々と頭の中をぐるぐるしていた。
けれど彼のその雰囲気は嘘を言っているようには見えなくて、初めて会った時に感じたあの不思議な感じも納得できるような気がした……悲しいほどに。
「僕はこの世界を恨んでいた……物心ついた頃には意味の解らない謎の奇病、なんてものに罹っててただただ苦しいだけの日々だった。 周りの人たちは優しくて親切だったけど、世界は非情だった。 ………そう思ってたんだけどね、こんな奇跡を体験してこの世界の本当の姿を見てそして君に逢って僕はもう満足だよ。」
「わた…わたしは……」
何か、言葉にしなければならないことだけは判っていた。
かと言って未だあらゆる疑問が渦巻く頭の中じゃ今の私の気持ちを表現できる言葉なんて紡ぐことはできなくて。
どれくらいかの長くはない時間が流れて、やがてレイくんがそろそろかぁ、と呟いた。
「……すぐにこの状況を整理することはできないと思うけど、とても不思議で信じられないことだと思うけど、忘れないで欲しいな。 この三日間のことも、何か意味があったんだ、って。」
──そして考えてほしい、諦めないでほしい、君の人生のその意味も。
やがて彼の身体から蛍のような淡い光が生まれ離れていきそれに伴って──まるでその光が彼を持って行っているかのように──次第に彼の身体が薄れていった。
そして私は……そんな普通じゃありえないような光景を目の当たりにしながら目を見開いてずっと彼の少し心配と読み取れる表情の混じった彼のその微笑みを見ていることしか、できなかった。
次で終えます。




