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料理人になろう  作者: 一樹(いつき)
酒場「跳ね鼠」
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酒場「跳ね鼠」

 朝焼けから薄靄が漂い出した頃、王都バルトグラムの一日が始まる。


 大通りには数多の屋台が並び、そこかしこで肉や野菜、果物が売られていた。


 その大通りを、この国では比較的珍しい黒髪の男が歩いていく。

 道行く人はその髪色に一瞬目を止め、珍しいものを見たと通りすぎる。

 男は辺りの様子を伺うように右に左にと顔を揺らしながら歩いていた。


 男はある一軒の店の前で立ち止まる。

 両開きのその扉を押し開くと、使い込まれたようなカウンターと数席のテーブルが置いてあった。


「申し訳ないんだが、まだ開店前だから、もう少ししたら来てくれるかな?」


 壮年の男が話しかけてくる。その髪には白いものも若干混じっていたが、体つきは引き締まっていた。


「あの俺、いや、自分はリーズ商会で店員の希望を出してた千歳勇翔という者です。あの、こちらで働かせて頂きたくて来ました。こちらが紹介状です!」


 男、チトセはしどろもどろと怪しい様子だったが、壮年の男性はリーズ商会に従業員募集のお願いをしていたかと思いだし、紹介状を流し読む。


「調理経験有りで接客も問題なし。希望は、住み込みか」

「は、はい」

「……なぜこの店を選んだのか理由を聞いてもいいかな? この紹介状通りの実力があるなら、もっと条件の良いお店もあると思うんだが」

「あの、一度だけですが、この店で食事をしたことがあるんです」


 その言葉にじっと彼を見るが、思い出せないでいる。自分が見てなくても、娘が見たならその特徴的な髪から話題に出すだろうと男は思ったが、


「あ、髪は帽子を被って分からなくしてました。自分の髪の毛は目立つみたいで、気にしてましたから」


 どうやら彼もその事に気づいたらしく、すらすらと理由を述べる。その反応から間違いではないらしい。


「なるほど、それで?」

「はい。それでなんですが、こちらで食べたステーキが、一番美味しかったからです」

「……それだけでかい?」

「はい。あのスタンプボアの肉をあそこまで柔らかく、美味しくするのに、かなりの仕込みと絶妙な焼き加減が必要なのは分かります。実際に他の店でも食べてみましたが、ここほどしっかりと下準備してる店は無かったんです。あれって筋切りしてるからですよね? 凄いと思いました。あれだけ安く売ってても、しっかりと下準備をしてることに。だからお願いします、自分をここで雇ってください!」


 壮年の男、ギリムは驚いていた。

 確かに美味しく食べてもらおうと筋切りなどの下処理を欠かしたことがなかったが、気付いた人は今までおらず、気付かれる事もないだろうと思っていたからだ。


「ふむ、ならば何故弟子希望では無いのかね?」

「……弟子では店を出すのに時間がかかりますから」

「ほう。すぐに店を出したいのかい?」

「それは……」


 顔を曇らせるチトセ。


「構わないよ。単に聞きたいだけだからね」


 それに気付いたのか、やんわりと先を促す。


「……弟子になって長期間料理を学ぶつもりは無いんです。経験が欲しいんです」

「うん? どういう意味だい?」

「……正直に言います。自分は、技術だけならこの店にも負けてない自信があります」


 挑発とも軽んじてるとも取れるセリフだが、先ほどの様子や今の感じからはそのような感情はとれない。


「……続きを」

「はい。ですが自分はお客さんを相手に料理を出したことが少ないんです。先ほどの筋切りも知識では知ってます。やったこともあります。でも、いきなり自分で店を出したとしても、やったかは分かりません」


 一呼吸つく。心臓が張り裂けそうに脈打つ。


「だから知りたいんです。どうすれば満足してもらえるか、どうすれば喜んでもらえるか、どうすれは、食べてもらえるのか。それを知りたいんです」


 真剣な表情だった。真剣に、無謀なことを言っていた。


「それを聞いて雇って貰えるとでも思っているのかい?」


 それはそうだろう。雇う前にすぐ辞めると言ってるのと同じこと。これでは、雇う気も起きないだろう。


「……無理なら諦めます。でも、嘘はつきたくなかったんで」

「そうか……」


 沈黙。ギリムは何かを考えてるかのように静かに目をつむり、チトセはそんなギリムの様子を伺っていた。


「分かったよ」

「え?」

「雇うと言ってるんですよ」

「あ、ありがとうございます!」


 出した結論は雇う事。どう考えて出した結論かは知らないが、チトセにとっては喜ぶべき事だった。


「では早速今日から働いてもらおうかな。良いかい?」

「はいっ! よろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ。チトセ君、酒場「跳ね鼠」へようこそ。君を歓迎します」


 こうして、彼の生活は始まった。


 ◇


 朝、黒髪の男が酒場「跳ね鼠」の扉を押し開いて出てくる。

 背には荷物を背負っており、手にも背負いきれない荷物を持っていた。


「チトセ、元気でな」

「……はい、ギリムさん」


 その心の中を伺うことは出来ないが、チトセの表情は晴れやかだった。


「ミーナ、お前も挨拶しなさい」

「……チトセェ」


 涙で顔を濡らしながらミーナがチトセに顔を向ける。


「ミーナ……」

「……行っちゃやだよぅチトセェ」

「ごめんな」


 ミーナに近づくと、ぎゅっと抱き締める。そしてその耳元で、しっかりと約束する。


「店が営業を開始したらミーナとギリムさんを最初に呼ぶよ。そして、美味しい食事を食べてもらう。約束だ。これで会うのが最後じゃないんだ。また会える」

「……約束」

「ああ、約束だ」

「……うんっ。絶対だよ」

「もちろん絶対だ」


 ミーナの頭をぽんぽんとあやすように叩きながら立ち上がると、ギリムに向き合う。


「今までありがとうございましたっ!」


 そして深々と頭を下げるチトセ。


「元気で、元気でな。何か困ったことがあったらいつでも来なさい。もう、君のことは家族だと思っているからね」

「俺も、ギリムさんもミーナも家族だと思ってます。だから、だからまた会いに来ます。絶対に」

「また、会おう」

「お世話になりました!」


 そして、歩き出す。後ろは振り返らない。

 流した涙を見られないように。


「お世話になりました、師匠」


 呟いた言葉は朝の王都に静かに溶けていった。




 酒場「跳ね鼠」編


 了

次話は跳ね鼠編をブラッシュアップしてから投稿します。

ちなみに次のシリーズは

「一皿の価値」編

とします。

まだ完結までしばらく掛かりますが、どうかお付き合い下さい。

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